157.美容師~ワンギリされる
気がつくと、視界は完全な闇だった。
窓の外にあるはずの月は雲にでも隠れているのか、普段はあるはずの薄明かりすらない。
一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなったが、覚醒し始めた脳が触れなれた硬いベッドとゴワゴワしたシーツがわりの布を感じて、いつもの宿の部屋だと教えてくれた。
どうやらあのまま眠ってしまったらしい。
皮鎧一式も外さないままだったので、体の節々が痛い。
いててっ、と呟きつつも手探りでパーツごとに外しては床に落としていく。
本当は汚れや傷の確認とから拭きくらいはしたかったけれど、こんな夜中にやることではないし。
明日まるごとグラリスさんに頼んでしまおう。
さて、これでよしとニ度寝しようとしたが……あんなにあった眠気はすっかりどこかに消え去ってしまったようだ。
仕方がないのでベッドわきのランプを探して操作し、灯りを灯すが微かに自分の手が見えるかどうかの明るさだ。
日本にいた頃はスイッチひとつで部屋が明るくなるのは当たり前のことだった。
深夜でも電気さえつければ、昼間と同じように部屋の中で暮らす事ができる生活。
それがこの世界では通用しない。
誰もが明るくなれば起き、暗くなれば眠るのだ。
こんな時間に起きているのは、燃料を気にせず大量のランプをつけることができるお金持ちか、もしくは闇の中でしか生きられない住人くらいだろう。
はたして僕はそのどちらかと……まぁ、どちらでもない。
早く寝過ぎて、こんな時間に目が冴えてしまった間抜けなだけだ。
ノートを取り出してステータスでも確認しようとシザーケースに手を伸ばす。
すると、
「プルルルル」
呼び出し音が聴こえたが、すぐに止まった。
なにこれ?
ワンギリ?
もしくは、深夜だからバイブレーションモードに切り替わったのか?
シザーケースの中のアンジェリーナに触れるが震動していない。
間違い電話?
誰から?
その相手はリリエンデール様しか思い浮かばない。
もしかして帰ってきたのかな?
それで連絡をしようとしたけど、夜遅いことに気がついて慌てて切ったとか?
んー、ありえる。
現状、手持ちぶたさでやることもないし、眠れずに起きているのだから、もう一度鳴らないものか。
僕が起きていて暇なことを伝えられればいいのに。
こちらから呼び出しができればな。
なんて思いながらアンジェリーナを指先で弄っていると、
「プル」
再び呼び出し音がしたがすぐに途切れた。
ちょうど鼻先に触れていた為、自然と通話がオンになったのか?
「はい、ソーヤです」
「……」
「リリエンデール様ですか?」
「……」
返事がない。
繋がっていないのか?
「もしもーし、聴こえてますかー?」
宿の薄い壁を意識して小声で呟くと、
「起こしちゃったかしら?」
バツの悪そうな、リリエンデール様の声が聴こえた。
やっぱりそうか。
「起こしちゃったわよね? こんな時間だし、当然寝ていたわよね。ごめんなさい。明日またかけ直すわ」
そう言って、通話を終了しようとするので、
「いえ、ちょうど目が覚めてしまって、眠気がないので困っていました。用事があるのなら、是非呼んで頂きたいくらいです」
慌てて遮ると、
「そう? ならよかったわ。なんとなく起きている気がしたのよね。さすがわたし。じゃ、呼ぶわね。クルクルー」
目眩、暗転……目の前には微笑むリリエンデール様。
いつもの場所だ。
空に太陽があるわけではないが、昼間と同じくらいに明るい。
さっきまで闇の中にいたので、目が慣れなくてシパシパする。
何度か瞬きして視界を調整していると、
「ごめんなさいね、こんな深夜に呼び出して」
眉をハの字の形にし、申し訳なさそうにチョコンと頭を下げた。
「いえいえ、大丈夫です。本当についさっき目が覚めてしまって、やることがなくて暇だったので」
「そう、ならよかったわ」
両手で髪の毛を掻きあげると、ふわふわとした緑色の髪の毛が風を受けたように横に広がる。
それを見て、やっと違和感に気が付いた。
コーンロウが解けている。
わりと強めに編み込んだので、癖がついてゆるふわパーマ風の髪型だ。
自分で解いたのかな?
見つめられていたリリエンデール様が、
「あっ、これ? どう? にあう?」
右手を腰にあて体をくねらせ、モデル風にポーズを決める。
「はい、よくお似合いですよ。リリエンデール様の柔らかな雰囲気にピッタリな髪型ですね」
「でしょ? そうでしょ? あのお方も、『とてもよくにあうよ』って。『まるで風の妖精のようだね』って」
嬉しそうに頬に手を当て、「えへへ」と恥ずかしそうに笑い、
「まぁ、立ち話もなんだし座ってよ」
照れ隠しなのか、急に椅子をすすめられる。
「でも、喜んでいただけで良かったです。それよりも、解く前の髪型の評価はいかがだったのでしょうか?」
もしかしてコーロウのような髪型は、主神様には不評だったのではないか?
だから解いて今の髪型になっているのではないか?
こちらの方が気になっていた。
「ああ、そうそう。あのかっこいい髪型はね……」
中途半端に言葉を止めるので、続きを待ちわびて思わず前のめりになってしまう。
「『古の物語から飛び出てきた戦女神のようだね』ってー! 『わたしの心もキミのその姿に完膚なきまでにやられてしまったよ』って! きゃー!! どうしましょう!?」
その時のことを思い出したのか、リリエンデール様が頬を両手で挟みこみ、いやいやと体をくねらせる。
えーっと、喜んでもらえたということだよな?
あまりのはしゃぎっぷりについていけずに、冷静にソレを見つめる僕。
ひとしきり騒いで気がすんだのか、リリエンデール様は大きく3度深呼吸してから、
「取り乱してしまって、ごめんなさいね」
振り乱した髪の毛を手の平で撫でつける。
「いえ……主神様に気に入ってもらえたのなら幸いです。ただ、そんなに褒められた髪型なのに、どうして解いてしまったのですか?」
「それがね」
と、リリエンデール様の顔がまたにやけだす。
「『髪の毛に触れてもいいか?』と聞かれたから、いいですよって答えたの。
それであのお方はわたしの髪の毛に触れて、戯れながらお話をされていたのよ。
そうしたらゴムがとれて、少しずつ編み目が解けてきてしまって……『この髪型もステキだが、いつもの下ろした状態のキミもステキだったね。いっそ、わたしの手でこの髪の毛を自由にさせてもいいだろうか?』って仰るから、どうぞお好きなようになさってください、ってわたしが言って……えへ、えへへ」
なんか、僕の中のリリエンデール様像がどんどん崩れていく。
どこにでもいそうな、ただの恋する女性に見えてきた。
「それで主神様自ら編んだ髪の毛を解いたのですね?」
「そうなの! 1本1本、『痛くないか?』って聞きながら丁寧に解いてくださって……その間、たくさんおしゃべりをしたわ。
こんなにあのお方とお話したのはいつ依頼かしら? 幸せな時間だったわ」
恍惚とした表情で、リリエンデール様が呟く。
「それにね、解いた髪の毛がふわふわと風で揺れるように変わっていたのに気がついて、あのお方がまたそれを見て褒めて下さって……ご寵愛をいただけたの」
「ご寵愛というと?」
「うふふ、それは内緒よ。いくらソーヤ君にでも恥ずかしくて言えないわ」
頬を染めて唇を尖らせ、それに触れさせるように指を1本立てた。
その仕草はとても可愛らしくて、見る人が見れば女神様と人間という垣根を容易に超えて恋に落ちてしまいそうになる。
かくいう僕もドキッとしてしまったのは仕方のないことだろう。
軽く頭を振って気を取り直し、話の方向を変える。
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