156.美容師~約束の内容を変えてもらう
「ごめんさない!
たくさん心配かけてごめん。きちんと話をする前に逃げ出した風になっちゃってごめん。
でも本当に急用だったんだ。その内容は話せないけど、逃げたわけではないんだ。信じてほしいし、許してほしい」
そのまま頭を下げ続けること数十秒。
これで駄目なら土下座しかないかと思った時、
「心配、したんですからね」
鼻を啜る音にまぎれて小さな呟きが聴こえた。
「女郎蜘蛛が出たって聞いて、もう駄目だって思ったんですからね」
見つめていた床に、ポタンと雫が1滴垂れて弾けた。
「やっぱり無理やりにでも止めていればよかったって……後悔して後悔して……その時のわたしの気持ちがソーヤさんにわかりますか?」
ポタン、ポタンと連続して雫が落ちてくる。
顔を上げると、気丈にも僕を睨みつけながらマリーが涙を流していた。
その姿がとても美しく見えてしまい、そのまま数秒見つめることしかできなくなる。
「ソーヤさん、わたしの話を聞いていますか?」
「うん、聞いてるよ。心配かけてごめんね。
でも約束通り、無事に戻ってきたから。ほらっ、怪我もしていないし大丈夫だから」
「約束……」
「うん、約束は守ったよ?」
「守ってない……全然守ってないです。危ないことはしなって約束したのに」
「あっ……そうでした」
そんな約束もしたっけなぁ。
すっかり忘れていたし。
「ソーヤさんは、いつもわたしとの約束を守ってくれません。どうしてですか?」
「どうしてって言われてもなぁ」
「どうしてですか!? 女郎蜘蛛の前に立つなんて、どんなに危険なことか理解していますか?」
女郎蜘蛛の前に立つ、か。
それは経験した僕が一番よくわかる。
「理解はしているよ」
「なら、どうして?」
「だって、ランドールさんやシドさん、仲間の命が危険だったからだよ。僕ならその危険を回避できると思ったから前に出たんだ。でもね」
「なんですか?」
「ニ度とやりたくない。
正直、今でも思い出すと足が震えて腰が砕けそうになる」
おどけて言うと、つられるようにマリーの顔にも頬笑みが浮かぶ。
「マリーが僕のことを心配してくれているのはわかるよ。でもね、また同じような場面になったら、僕は同じことをするかもしれない。仲間の命を助けられると思えば、危険でも前に出るかもしれない。
けどね、その為に自分の命を捨てることはしないから。無理だと思えばちゃんと引くようにするから。だから約束の内容を変えてほしいんだ」
「内容を変えるんですか?」
「そう。危険なことをするかもしれない。この先、怪我だってするかもしれない。
でも、ちゃんと無事に生きて帰って来られるように頑張るから。それは約束するから。だから今回の件は許してほしい。お願いできないかな?」
右手を拳状に握り、小指だけを立たせて掲げて見せた。
そこに数秒遅れて、マリーの小指が絡みついてくる。
「……仕方ないですね。今回だけは許してあげます。でもきちんと何があったのかは説明してもらいますからね」
「わかった。出来る限りの説明はするよ」
頷くと、やっとマリーの顔に笑顔が戻る。
ほっと一安心だ。
「たくさん心配したんですからね?」
「ごめんね。この埋め合わせはするから」
「ほんとですか? それなら、わたし明日は休みなんで、どこかで美味しいご飯をご馳走してくれませんか?」
「それくらいならお安いご用だよ。今回の依頼で報酬もたくさん貰ったし、何が食べたいか決めておいて。
明日のお昼前に、冒険者ギルドの前で待ち合わせしようか」
「はい、約束ですよ?」
「うん、約束」
再び小指を絡ませて指切りをする。
「待ち合わせの約束をしてご飯を食べに行くって、なんだかデートみたいですね」
マリーが恥ずかしそうに呟いて、「ほんとだね」と二人して顔を見合わせ笑い合っていると……そこに、「ごほんっ」と低い咳払いが乱入する。
部屋の扉を微かに開けて、ギルマスが顔だけ覗かせていた。
「どうしたんですか? そんな恰好で」
声をかけると、ため息をつきながら扉を開けて部屋に入り、不機嫌そうに睨みつけてくる。
「『どうしたんですか』じゃねーよ! お前達のせいで酷い目にあったぜ。
キンバリーには詳しく説明しろと言われるし、シェミファには蔑んだ目で睨みつけられるし、冒険者の野郎共にはコソコソと陰口を叩かれるし……それで張本人達ときたら、人の部屋で甘い空気を出して見つめ合いやがって……まったく、俺の苦労もわかってくれよ」
僕がギルマスに匿ってもらっている間に、下で何かあったのだろうか?
チラリとマリーを見ると、意味深に微笑まれてしまった。
これは、聞かない方が身の為なのかもしれない。
ギルマスには悪いが、知らぬ存ぜぬで通させてもらおう。
ただ、匿ってもらったことは確かなので、
「ありがとうございました」
と告げ、借り1だな、と心の中に留めておく。
「ああ、もういいよ。2人ともさっさと俺の部屋から出てってくれよ」
疲れた声に追いやられて、マリーと一緒に部屋を出る。
階段を下りてギルドの前でマリーと別れ、宿に戻ることに。
宿の女将に部屋の鍵を貰い、部屋に入るなり荷物を放り出しベッドに倒れ込むと、抗いがたい眠気が襲ってきた。
初の緊急依頼は遠出に長時間の継続戦闘、野営込みの4日間。
自分でも気付かない程の疲れが溜まっていたのだろう。
夕飯はどうしよう、なんて考えているうちにまどろみの中に落ちていくのだった。
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