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女神様の美容師  作者: 獅子花
美容師 異世界に行く
155/321

155.美容師~追いつめられる


 目眩、暗転……瞼を開いて光を感じたのと、ドパーンという衝撃音と共に何かが体にぶつかってきたのは、ほぼ同時のことだった。

 

 突然のことで何が起きているのかは理解できず、ただ背中に感じた痛みと自分にのしかかる重さで、座っていた椅子ごと倒れ込んだことがわかった。


 視界は薄暗く、途切れ途切れに『ふーふー』という生き物の呼吸音が聴こえてくる。

 そして嗅覚は、柑橘系の果物のような香りを届けてくれた。


 肌で感じる柔らかさと温かさが、膨れ上がっていた恐怖と動揺を収めてくれた。

 ここから推測できるのは、現在僕に覆いかぶさっているのは人間、もしくはそれに近い動物だということ。


 体は拘束されていて動かないので、辛うじて動く顔の筋肉に頑張らせて視界を隠す物に対して唇を尖らせ息を吹きかけてみると、ふわっと浮き上がり光を反射してキラキラと輝いた。

 見覚えのあるもの……これは髪の毛だろう。


 この世界に来てから、こんなに近くに髪の毛を感じたのはいつぶりだろうか。

 ここぞとばかりに匂いを楽しみ、感触を楽しむ為に鼻から息を吸い、口から吐き出す。


 そうしていると、少しずつ冷静さを取り戻してきた。

 僕を押し潰している対象は髪の毛が長く、柔らかくていい匂いときたら……人間の女性か。


 人間の女性で、ドアを開けるなり飛び込んできて僕を豪快に抱きしめてくれる相手。

 いや、待てよ。


 僕を抱きしめてくれている?

 本当か?

 

 さっきからその腕の力は強さを増し、今ではギリギリと僕の体を締め付け始めている。


『ふーふー』と聴こえていた呼吸音は、だんだんと小刻みになり、いつのまにか『ふっふっふっふ』と低い含み笑いのようなものへと変化していた。

 

 怖い、例えようもない程怖い。

 恐怖の為か、吐き出していた息が震える。

 

 さっきまであった幸福感と安心感が、さーっと波が引くように消え去っていく。


「ふっふっふっふ……捕まえましたよ。もう逃がしませんからね」


 耳元でささやかれた言葉と共に、それを行動で表すかのように僕の腕を掴んでいた指先が食い込んで痛みを発する。


 赤茶色の髪の毛の隙間から爛々と輝く目が覗き、思わず口から「ひっ」と悲鳴のような空気が漏れた。


 ポーン、

【スキル 恐怖耐性のレベルが上がりました】


 ポーン、

【スキル 恐怖耐性のレベルが上がりました】


 えっ、頭の中で同じ言葉が2度聴こえたけど、これってバグなのか?

 それとも一気にスキルレベルが2も上がるほどの恐怖を感じたということなのか?


 それっていったいどれ程の恐怖なの?

 そんな恐怖を感じることがこれから待ち受けているっていうことなのか?


 見たい、ノートを見て確認したい。

 けれどそんなことをする余裕が今の僕にあるはずもなく、


「探しましたよ、ソーヤさん。

 酷いじゃないですか。いきなりわたしを置いて逃げ出すなんて……。

 急用だなんて言って、どこに行ったのかと思えば、こんな所でお昼寝ですか?

 いい御身分ですよねぇ。流石Bランクの女郎蜘蛛に、一人で立ち向かう冒険者様は違いますよねぇ。

 冒険者ギルドの受付嬢一人に構っている暇なんてないですよねぇ。ギルマスの部屋でお昼寝する時間の方が大切ですもんねぇ」


「違う、違うんだよ、マリー。本当に大事な急用があったんだってば。それは嘘じゃないって」


「そんなことを言って、また逃げるつもりなんじゃないですかー?」


「だから逃げたんじゃないってば! どうしても外せない急用があったから仕方なかったんだって」


 逃げたわけではないと説明するが、マリーは頑なに信じてはくれない。


「へー、ならその急用はなんだったんですか?

 こんなところで一人きりで、どんな急用があったんですか? 説明していただけますよね? 

 あっ、でもまた急用ができちゃいますか? 

 そうですよねー、ソーヤさんはわたしなんかの相手をしている暇はないですよねー。

 申し訳ございませんでした。わたしごときが大事なお時間を取らせてしまい。

 今後は冒険者ギルドの一受付嬢として、節度を守った距離を取らせて頂きますので」


 そう言って、僕の足の上から立ちあがり1歩下がって一礼する。


「そうじゃないんだって、とにかく僕の話を聞いてよ、マリー」


「いえいえ、結構ですよ。ソーヤ様はお忙しいのですから、わたしなんかに貴重なお時間を割いて構う必要はありません。では、失礼致します」


 ついには顔を背けて部屋から出て行こうとする。

 呼び方もまた『ソーヤ様』に戻っているし。


 その対応は、一ギルドの受付嬢としては正しいのかもしれない。

 けれど、仲の良い友人としてはあまりにも他人行儀すぎる。


「待ってよ、マリー!」


 肩を掴んで引き戻すと、マリーの顔が至近距離に来た。


「なんですか? わたしもソーヤ様程ではないですが忙しいんです。用がないなら帰らせてもらえませんか?」


 冷たい目で睨まれてこんなことを言われると、僕だってついカッとなってしまう。


「そんな言い方って――」


 衝動に任せて言い返そうとし、マリーの体が震えていることに気が付いた。

 そして、何かを塗って隠そうとしているが、睨みつける目の周りが真っ赤に腫れていることにも……。


 ああ、また泣かせてしまったのかな。

 心配……かけたよな。


 マリーの立場になって考えてみると、マリーが怒るのは正しいのかも。

 

 散々心配かけて事情を聞こうとしたのに、僕はその場から逃げだして、急用だと言っていたのにギルマスの部屋に隠れている。

 マリーから見ればこうだ。


 女神様のことを話せないのだから、これ以上言い訳しようがない。

 僕が悪いな、今回は。

 きちんと謝罪することにしよう。

 

 マリーの肩から手を放して一歩後ろに下がり、勢いよく頭を下げた。



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