149.美容師~女神様にお願いされる
ギルマスの部屋に入るなり、アンジェリーナの鼻を押して通話をオンに。
「もしもし、ソーヤです」
「今いいかしら? ずいぶんと時間がかかったけど、もしかして取り込み中だった?」
「取り込み中というか、ある意味助かったのは事実なので問題はありません。一時的にはかもしれませんが」
「そう? よくわからないけど、ソーヤ君の助けになったならよかったわ。それで、呼んでもいいのかしら?」
「はい、一人になれる部屋に移動したので、いつでも大丈夫です」
「なら呼ぶわよ」
目眩、暗転……いつもの森の中だ。
目の前にはリリエンデール様がいて、にこにこと優しげな頬笑みを浮かべている。
「今日はちゃんと服を着ているのね。安心だわ」
「呼びますよ、と言われて服を着ていなかったら、僕はただの変態じゃないですか」
「それもそうね」
なんて軽口を叩きあいながら、テーブルに招かれて椅子に座る。
こうしてリリエンデール様に会うのも、ずいぶんと久しぶりな気がするが、僕がそれだけ濃い時間を過ごしていただけで、実際には1月も経っていない。
そういえば、序列一位様の所に襲撃をかけに行ったと思うのだが……。
「紅茶でいいかしら?」
言いながらも、僕の返事を聞くことなく指をクルクル回すと、テーブルの上に2組のティーカップがあらわれる。
カップの中には紅い液体が8割、ほんのりと湯気を立ち昇らせている。
「遠慮しないで、どうぞ。
疲れているみたいだから、レモンの果汁と砂糖入りで甘くしておいたわ。ソーヤ君の元いた世界では、レモンティーというのよね?」
促されて一口飲むと、久しぶりの懐かしい味がした。
甘みと酸味、微かな渋みが心地いい。
2人してしばらく無言で紅茶を楽しみ、カチャンとティーカップを置く音がしたので、居住まいを正して正面に座るリリエンデール様に目を向けた。
「さて、ソーヤ君。今日ここに呼んだのはお願いがあるからなのだけど」
「お願いですか? 例の件に何か進展があったからではなくて?」
「例の件ね。申し訳ないけれど進展はないわ」
「でも、序列一位様の所へ訪ねて行っていたんですよね?」
「行っていたわよ。
訪ねてというか、出てくるまで門の前で待っていたのだけど、待っていても出てこないから何度か忍び込んだんだの。
でも結界に阻まれて、屋敷の中には入り込めなかったわ。何故か屋敷に入ると、門の前に戻されてしまうのよね。不思議だわ」
うふふ、と笑いながらリリエンデール様が小首を傾げた。
他の女神様の屋敷に忍び込むとか……そんなことをして大丈夫なのか?
「結界というと屋敷を取り囲む、透明で見えない壁があるとか? でも屋敷には入れたんですよね?」
「それがよくわからないのよね。
門を開けてもらえないから、屋敷を取り囲む塀をよじ登って敷地内には入れたのだけど、屋敷の中に入ろうとすると門の前にいるのよね」
「屋敷には玄関から入ったのですか?」
「いいえ、窓からよ?」
「玄関から入らなかった理由は?」
「だって鍵がかかっていて開かなかったんですもの」
無駄にアクティブ過ぎるんですけど。
もしかして、結界なんかじゃなくて、泥棒と間違われて門まで魔法で強制転移させられたとか?
窓から侵入するお客さんなんていないわけだし、転移ってファンタジーの世界ならありがちなんじゃなかったけ?
たしか、もっさんがそんなようなことを言っていたような。
リリエンデール様は数日粘った結果、まったく相手にされずに帰ってきたということか。
これを言うべきか言わないべきか。
悩むところではあるが……。
「それでね、仕方なく帰ってきたわけなんだけど」
「お疲れ様でした」
「うん、お疲れ様なんだけど、そうではなくてね。今日ソーヤ君にお願いしたいのは、わたしの髪の毛を結ってほしいのよ」
「リリエンデール様の髪の毛を結うのですか? 最初に会った時のように?」
「そう、最初に会った時みたいに」
「それは……僕にとっては願ってもないことですが。
髪の毛に触れさせて頂けるのは、僕にとっても嬉しいですし。でも、どうして急に?」
「急ではないのよ。ほら、覚えてる?
そもそも、どうしてわたしがソーヤ君を呼んだのか」
どうして僕を呼んだのか?
あっ、そうか。
ということは、
「主神様に会うのですか?」
「正解よ。だからお願い、わたしの髪の毛を素敵に結ってくれないかしら?」
両手を顔の前で合わせて、可愛くお願いされてしまった。
こんな綺麗な女性、というか女神様の髪の毛を結わせてもらえるなんて、美容師冥利に尽きる。
そうなれば、僕だって張りきるというものだ。
「わかりました。全身全霊をかけて、リリエンデール様の髪の毛を素敵に結わせて頂きます」
「よろしく頼むわね。
そうと決まれば、あまり時間がないの。ついさっき思い出して、急いで帰ってきたばかりなのよ。申し訳ないけど、ぱぱぱっとお願いできるかしら。
皆を待たせるのはかまわないけれど、あのお方をお待たせしてしまうのは嫌なのよ」
「わかりました。すぐに始めましょう。僕のワゴンを出してもらってもいいですか?
それでこの間のように、椅子と姿見を出してもらえれば……あれ?」
いそいそと準備をしていたが、不意に何かが僕の中で引っかかった。




