139.閑話 ケネス~ソーヤに執着を覚える
もう一話ケネス回です。
「チッ」
つい舌打ちが漏れてしまった。
ランドールが女郎蜘蛛の糸を受けて体を拘束されてしまい、シドに蹴り飛ばされて私の方に転がってきた。
あんなに糸には注意しろと言っておいたのに。
いったい何をしているのだろう。
とっさに蹴り飛ばしたシドもブーツに糸が付いてしまい脱ぐのはわかるが、何故もう片方も脱ぐんだ?
しかも中履きを脱いで裸足になっている。
これでは足を守るものが何もない。
怪我をしたらどうするんだ!
本当にこの2人には違う意味で驚かされる。
ダメ元で魔法を使い火をつけてみるが、やはり土蜘蛛の糸とは違い燃えてはくれない。
やはりもっと高火力でないと無理だろう。
護身用の短剣で糸を切ろうとしたが、糸の弾力に押し返される。
しかもその粘着にやられ、短剣が離れなくなってしまった。
万事休すとはこのことか。
思わず天を仰いでしまうが、目に映るのはトーチに照らされた薄暗い岩肌だけだ。
せめて青空の下で死にたいと思うのは贅沢な望みなのだろうか。
攻撃の要であるランドールを欠いてしまえば、詰んだともいえる。
シド一人ではとてもではないが女郎蜘蛛の相手は務まりきらないだろう。
今はなんとか凌いでいるが、目に見えて受ける傷が増えている。
見ていられないのか、カシムとランカさんが戦闘に介入したが、どちらかと言うと邪魔になっている。
ああ、またシドがランカさんを庇ってかわりに傷を負ってしまった。
いったどうしろというのだ。
足元でグルグル巻きになっているランドールに対して無性に腹が立つ。
シドのように蹴り飛ばしてやりたいが、私のブーツがダメになるだけだ。
なんとか心を落ち着かせて我慢しよう。
目を閉じて深呼吸していると、誰かの足音が聴こえた。
ソーヤ君か。
腰の変わったバックから何かを取りだした。
見たことがないものだ。
手の平に納まり、2本の短い刃が付いている。
暗器の類か?
「ケネスさん、ちょっと僕に試させてください」
どうぞどうぞ試して下さい。
私にはどうすることもできないので、場所を明け渡した。
彼はランドールの前に膝をついて、暗器を操作している。
どうせ私の短剣のように糸に絡め取られて終わりだろう。
せめて刃を入れやすいようにと、すでに私のものではなくなってしまった短剣を持ち上げてスペースを開けてやる。
それにしても、珍しい暗器なので失くしてしまうくらいなら私が買い取りたいのだが。
こんな時まで自分の知識欲がなくならないことに思わず苦笑が零れてしまう。
けれど、その笑みはすぐに固まり、私は表情を無くして息を飲んだ。
彼の手の平から緑色の光が溢れてきた。
いや、その光は暗器が発しているのか?
刃全体を薄く覆うように広がり、波をうち固定された。
そして、ソーヤ君の口から聞きなれない言葉が漏れた。
『カット?』
どこの国の言葉だ?
様々な国の言葉を研究しているが、どの言葉とも似ているようで似ていない。
魔法言語?
もしや古代語なのか?
『カット』
『カット』
彼が不思議な言葉を呟き、暗器を振るう度にランドールに巻き付いていた糸が切れて剥がれていく。
切れているのか……私の眼は彼の動きにくぎ付けになった。
緑色の光……風属性の魔法か?
でもソーヤ君は水属性の魔法使いだと言っていたし、ここまで水属性の魔法しか使っていないはずだ。
2つの属性を持っているのか?
普段は水属性をメインに使い、風属性を隠している?
いや、もしそうなら逆のはずだ。
一般的に扱える数の多い風属性をメインで使い、希少な水属性を隠すのならわかる。
騒がれたくないとか、奥の手は見せたくないとか理由は様々だが、同じように火属性を隠していた人を私は知っているから。
ならば……あの暗器が風属性の魔道具なのか!?
それなら全ての説明がつく。
彼自身は水属性だけど、魔道具を利用して風属性を使用しているのか。
そのキーワードが『カット』という言葉。
珍しい魔法に珍しい魔道具。
是非話を聞きたい!
隠しているのかもしれないが、臨む対価を支払ってでも知りたい。
私の全財産は……今はいくらあっただろうか。
冒険者ギルドに預けているものも合わせれば、そこそこの金額になるはずだ。
いや、先日ランドールの防具を買うのにお金を貸してしまった。
くそっ、貸さなければよかった。
どうせ糸でグルグル巻きにされて役に立たない防具の為に、私はなんという無駄をしたのだ。
そうだ!
カシムに借りよう。
足りなければシドに借りたっていい。
なぁに、後から返せばいいだけだ。
ソーヤ君と離れてしまえばお金なんてたいして必要じゃない。
利息なしの分割払いにしてもらおう。
その為にはシドに死なれたら困る。
ああ、また攻撃を喰らってしまった。
ランドールを縛る糸はまだ切れないものか。
「ソーヤ君、まだですか? もう少し急げませんか?」
つい急かすようなことを言ってしまった。
ソーヤ君が困ったように私を見て、悔しそうに手に握る暗器を見た。
彼の目に滲む涙に気が付いてしまった。
今の状態で限界なのだろう。
彼だって急いでいたのだ。
私は申し訳ない気持ちになってしまうが、言ってしまった言葉は呑み込めないし、急がなくていいですよ、なんて口が裂けても言えない。
同じパーティーではないが、シドが、仲間が命をかけて時間を稼いでいるのだ。
けれどソーヤ君を責めるのはお門違い。
自己弁護の為かもしれないが謝罪を口にしようとした瞬間。
ソーヤ君の瞳が輝いたのがわかった。
それと彼の腰から青い光が溢れ出した。
なんだ!?
また何かが起こるのか?
ソーヤ君の目が握りしめていた暗器に移動した。
緑色の光が再び波をうち、刃先の方に押し寄せていく。
そして、彼がまた不思議な言葉を呟いた。
『チョップカット?』
最後の言葉は先程と同じだ。
だとすると前の言葉は強化?
もしくは変化なのか?
ソーヤ君がすばやく暗器を動かした。
けれど糸に刃を差し入れることはせず、チョンとつつくように動かしただけだ。
私は黙って彼の動きを目で追いかけた。
『チョップカット』
彼は呟きながら、細かな動きを繰り返した。
そのスピードは先程までよりも早い。
糸を大きく切るのではなく、少しの量をすばやく切る方法に変えたのか?
ただその効果は十分あったようだ。
切れる糸の量は少ないはずなのに、緑色の光に侵食されたのか、切った付近の糸がハラリハラリと落ちていく。
あの光が切った付近の粘着をなくしているようだ。
彼が糸を切りやすいいように、ランドールに転がるように指示を出し、私は全てを見逃さないように集中して見つめ続けた。
知らず知らずのうちに息を止めていたようだ。
全ての糸がランドールから外されると、大きく息を吐いて欠乏していた酸素を取り込む。
凄い!
こんな言葉でしか言い表せないのが悔しいが、私は凄いものを目にした。
理屈はわからない。
その仕組みもわからないが、ソーヤ君に視線を向けると彼の顔にはやり遂げた笑顔があった。
私は上手に笑えているだろうか。
窮地を脱したのだ。
私も彼のような笑顔を浮かべるべきだ。
ランドールは……助かったとソーヤ君に告げ、彼の背中を叩いて走り去って行った。
単純で羨ましい。
自分がどれ程恵まれたことをされたのか理解していないのだろう。
「シド、待たせたな! 俺様、復活だ!」
頭の悪そうな言葉を発して、シドに背中を蹴られていた。
もっとやってもいいんですよ、私が許しますから。
心の中でシドに話しかけ、傍らのソーヤ君を仰ぎ見た。
今ここで質問したら彼は答えてくれるのでしょうか?
あの魔法はなんですか?
この魔道具はなんですか?
聞きたい、聞きたいけれど……それは今ではないはず。
ソーヤ君の目は、真っ直ぐに向けられていた。
私ではなく、仲間が必死で戦っている場所へと。
格上の女郎蜘蛛に対して攻撃を繰り返す彼らへ、強い眼差しを注いでいる。
私も見習わなくてはいけない。
自分の欲求を抑えなくてはいけない。
今は皆で生き残るのだ。
ソーヤ君を生きて無事に帰そう。
私達も誰一人欠けることなく無事に帰ろう。
そうしてお酒でも飲みながらゆっくりと語るんだ。
お酒が入れば例え秘密のことでも上手く聞き出せるかもしれない。
足りなければ金銭でもなんでも差し出そう。
彼の秘密にはそれだけの価値がある。
足元から髪の毛の先まで震えが走った。
なんて楽しみなんだ。
私の知識欲を満たす楽しみがこの後に控えている。
私は死ぬわけにはいかない。
だからもうひと頑張りするとしよう。
MP回復薬だっていくらでも飲める。
吐いたっていい。
今は力が欲しい。
この場を切り抜ける力が。
次話から本編へ。




