136.美容師~シザー7を手にする
『アクアウェーブ』に巻き込まれて土蜘蛛が数匹流されていったので、残りは大体30匹くらいか。
ただ相手も考えたもので、離れた位置から糸での牽制が増えてきているので、ケネスさん一人が頑張ってなんとか対処しているが、全てはカバーしきれないのだろう。
タイムさんやハスラさんなんかは体中に糸の残滓が貼りついていて動きづらそうにしているし、ランカにいたっては避けられない糸は槍で絡め取るようにしているのか、一部綿あめのような面白武器になってしまっていた。
もちろんそれを口に出す勇気は僕にはない。
煩わしそうに槍を振るランカの顔には、不機嫌ですとしっかり書かれている。
自ら地雷を踏めば、火属性魔法の使えない僕にまでなんとかしろと言われかねない。
水で流して剥がせなんて言われたとしても、無理なのだから。
あの粘着性がなければ刃で切り裂くことは可能だろうが、余程切れ味の鋭いものでないと逆に糸に絡みつかれて餌食になってしまう。
そういえば、女郎蜘蛛の出す糸は、より粘着質だと注意されていたがまだ糸を飛ばしてくる様子はない。
今でさえ難儀しているのだから、このまま使わないでくれればいいのだけど。
なんてことを考えた僕に罰があたったのか、これがもっさんの言うフラグというものなのか、水流を耐えきった女郎蜘蛛が徐にお尻を向けてきた。
「マズイぞ! 散開しろ!」
シドさんの叫びに、ランドールさんが慌てて距離を取ろうとする。
けれど初見で完全に見きることはできなかったようだ。
何しろその量とスピードが土蜘蛛とは段違いだった。
土蜘蛛の飛ばす糸に目が慣れ切ってしまっていたのも悪かったのだろう。
全力で逃げに徹したシドさんとは違い、糸を避けて攻撃を加えてやろうと甘い考えをどこかに持っていたランドールさんの左腕にはごっそりと乳白の糸が塊となって付着していた。
それをそのままケネスさんに焼いてもらえばまだよかったのだろうが、右手で引きちぎろうとしてしまったものだから……ランドールさんの腕は完全に糸に絡まってしまった。
上半身だけなのがまだ救いだったのだろう。
足が無事だったので、続く女郎蜘蛛の体当たりはなんとかかわす事ができた。
とはいっても地面に倒れ込み転がるように避けたので、体中に糸が付着して立ち上がることもできなくなってしまった。
絶体絶命のピンチだ。
「くそっ! これだから脳筋はっ」
駆け寄ってきたシドさんがランドールさんを思い切り蹴り飛ばした。
「ケネス、受け取れ! いや、触るな、避けろ! ……ん、ブーツに糸が付いて取れん。仕方ない、脱ぐか」
シドさん……あなたにだけは言われたくなかったと思う。
シドさんは右足のブーツを脱ぎ捨て、バランスが悪くて動きにくいと左足のブーツまで脱いでしまった。
靴下のようなものになると濡れた地面が滑って動きにくかったのか、結局はそれも脱いで素足になった。
「お、結構動きやすいな。裸足もいいものだ」
豪快に笑うのはいいが、何かを踏んで怪我をするとは考えないのだろうか。
まるで野生児だ。
ケネスさんは糸で身動きが取れないランドールさんに向かって火属性の魔法で糸を焼き切ろうとしているが、諦めたように首を振った。
「ダメです。これ以上火力を上げると、中身のランドールごと燃やしつくしてしまう」
「俺なら大丈夫だ。やれ、ケネス!」
なんて、かっこいいことを言っている人がいるが、糸でグルグル巻きなのでなんとも間抜けに見える。
ランドールさんの抜けた穴を埋めようと、ランカとハスラさんが女郎蜘蛛に立ち向かって行ったが、ハスラさんは足爪の一撃を受けて早々に弾き飛ばされてしまった。
ランカは器用に身をかわしているようだが、その表情の必死さからかなりの無理をしているのがわかった。
ケネスさんは護身用の短剣で女郎蜘蛛の糸を切ろうとしたが、やっぱりダメ。
予想通り、どんなに力を入れても切れず、しかも糸の粘着に絡め取られて短剣を持っていかれてしまった。
押し切ろうとするからダメなのだろうか。
鋭い剣筋で立ち切ればまた違うのかもしれない。
ならば……シザーケースを開け、シザー7を抜きとった。
薬指を指穴に差し入れてガンマンのように一回転させ、親指を指穴にひっかける。
シザー7、力を貸してくれ。
心の中で呼び掛けて、マッドウルフとの戦闘時を思い出す。
緑色がシザー全体を覆っていたイメージを再現するように集中する。
「ケネスさん、ちょっと僕に試させてください」
場所をあけてもらい、ランドールさんのそばに膝をついてしゃがむ。
態勢が悪いのは我慢だ。
シザー7の反応はなし。
緑色の光も出ていない。
目を閉じて集中していると、余計なことまで頭に浮かんでくる。
後ろ向きな考えだ。
はたしてこのままシザーを使用してもいいのだろうか?
糸に絡め取られて使えなくなってしまったらと考えると躊躇して、やりたくない気持ちが溢れ出してくる。
父親の形見である大事なシザー。
こんなことで失くしてしまうのは……いや、ランドールさんや皆の命を救うと考えればこんなことではない。
むしろ今使うべきだ。
惜しんだりするな!
父さんだって笑って許してくれるさ。
目を開けてシザーを大きく一度開閉した。
ケネスさんが糸にへばり付いてしまった短剣を持ち上げて、糸が切りやすいようにスペースを確保してくれていた。
シザーの刃を開き根元付近まで差し入れて、すばやく引きながら切る!
『カット!』
自然と言葉が漏れていた。
それと同時に緑色の光がシザー全体を覆うように溢れだす。
ランドールさんに巻き付いていた糸が一部分ハラリと落ちた。
「ソーヤ君、切れました!」
嬉しそうにケネスさんが言うのを頷くことで返し、『カット』を繰り返していく。
その間、シドさんはほぼ一人で女郎蜘蛛の相手をして耐えていた。
ランカやハスラさん、タイムさん達が助勢に向かってはいるが、やはりランドールさん程の影響力はないようだ。
逆にシドさんが彼らを庇うことで受けなくてもいい攻撃を受け、余計に怪我を増やしているという見方もできる。
急がなければ。
「ソーヤ君、まだですか? もう少し急げませんか?」
ケネスさんもシドさん達のことが心配なのと僕に対する気づかいとの間で揺れ動いているのがわかる。
僕にだって焦る気持ちはあるが、全身に絡みついている女郎蜘蛛の糸を剥がしきるのに、後何回シザーを開閉しなくてはいけないのか。
刃全体を使って一度で限界の長さを切ってはいるが、切られた付近数センチしか粘着が消えないので切った場所全てが剥がせるわけではないのだ。
緑色の光のせいか、シザーの刃に糸が絡みつく事はない。
それだけが救いなのだが、このままではそう遠くないうちに誰かが致命傷を負いかねない。
どうすればいいんだ。
悔し涙が視界をぼやけさせる。
ただ泣いても状況は変わらない。
変わらせる為には……リリエンデール様、シアン、アンジェリーナ、父さん……力を貸して!!
――その瞬間、腰の辺りから青い光が走った。
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