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「カイとエレナには本当にすまないことをしてしまった。どうか許して欲しい」
玉座に座るアルガリタの若き女王、アリシアは目の前のカイに頭を下げ、謝罪の言葉を落とす。
「いや、結果として前女王の膿みのひとつを肥大する前に潰すことができたんだ。もっとも、奴のやることなどたかがしれているだろうが。それよりも……頼むからやめてくれ。女王陛下に頭を下げさせたとみなに知られたら、後で何を言われてしまうか……って、何でおまえがここにいるんだよ」
そう言って、カイは女王の隣で腕を組んで立つ、ひとりの青年を睨みつける。
歳の頃は二十歳過ぎ。整った顔立ちの青年であった。
名前はハル。
女みたいな顔と細腕、細腰のくせに、剣を振るわせれば右にでる者なしの強者というから、人は見かけによらないとはこのことだ。
元々は、どこぞの国の暗殺者だったらしいが、そんな闇の世界とはまったく無関係に見えるくせに、時折、垣間見せる表情や行動にほの暗さを漂わせる瞬間は、自分も犯罪者の巣窟、裏街という世界にいた人間であるにもかかわらず、背筋が凍るものを感じさせた。
その異国の人間の、それも元暗殺者が、どうやって、このアルガリタ国の女王と知り合ったかは知らないが、現在彼は、女王陛下の〝剣〟として女王に仕えている。
それどころか、アルガリタの由緒ある貴族の娘と、あまりにも身分違いすぎる大恋愛のはてに結ばれ、今ではちゃっかり、その娘の夫という座におさまり屋敷にいるのだから、信じられない話だ。
ハルは口許に薄い嗤いを刻んで肩をすくめた。
「何でと聞くのか? おまえを救うために、わざわざ、それも女王陛下自ら処刑場となった広場に出向くと仰るのだから、俺もあの場に行かないわけにはいかないだろう? 大切な陛下の身に何かあったらそれこそ大問題だ」
「相変わらず、嫌味な言い方をする奴だな」
つまり、占ってくれとやって来たオズヴァルト候を、無下に追い返したりしなければ今回の騒動は起こらなかった。そもそもの発端はおまえだ。おまえの浅はかな行動のせいで、どれだけ女王陛下に迷惑をかけてしまったか反省しろ、と言いたいのだろう。
「嫌味? なるほど。俺は今回の件で、民たちの陛下に対する信望がよりいっそう高まった、と言ったつもりだが、おまえの耳にそう聞こえてしまったということは、少なからず引け目を感じているというわけだな」
あたっているだけに、反論もできず不機嫌な顔で舌打ちをするカイに、女王は困ったように笑ってハルを宥める。
「ハル、そのくらいにしておけ」
「はい」
と、ハルは答えあっさり引き下がると、カイに視線をあてふっと嗤う。
笑えば嘲笑、口を開けば嫌味、あるいは棘のある言葉しか出てこない男だが、女王の命令には素直に従うようだ。ついでに、愛する妻には激甘だとも聞く。そんなハルを見て、カイは唇を曲げ肩をすくめた。
「私は大切な友が、あらぬ嫌疑かけられ窮地に陥っていると知り駆けつけた。友を助けるのはあたりまえのこと。それにカイ、ハルは口ではこう言っているが、本当のところは、万が一の時にはエレナを救うためにあの場にいたのだ」
「エレナを?」
「その必要はなかったようだけどね」
「あたりまえだ。おまえの手など借りずともエレナは俺が……」
守る、とカイは小声でつけ加えた。
「ところで、そのエレナだが、容態はどうだ?」
「ああ……心配には及ばねえよ」
あの後、エレナは高熱を出し寝込んでしまった。張りつめていた緊張が一気に解けてしまったのだろう。気丈に振る舞っていても、そうとう精神的に辛い思いをしたはずだ。
そうか、と呟きアリシアはふっと微笑む。
その笑みは年相応の少女のものだ。
「カイたちが羨ましく思う」
「羨ましい?」
「ああ、カイとエレナは運命の出会いをはたしのだな。互いに欠けてはならない存在。互いが互いを必要とする存在」
アリシアの言葉に、カイは静かにまぶたを落とした。
「運命の出会いか……」
人と人との出逢いもまた神が与えた運命というならば、人は神の手によって躍らされているようなもの。そんなものは虫酸が走る。この世に生まれ落ちたその瞬間から、自分の人生は自分だけのものなのだ。
だけど……。
俺はエレナと出会えたことを心から感謝している。エレナに会わなければ、今の自分はなかっただろう。
荒んだ環境の中、エレナの存在が唯一の心の拠りどころであった。
ずっと。
これから先も一生。
カイは笑って女王を見つめ返す。
「それを言うならあんたと俺も星が導いた運命の出会いだろ?」
「そうだな……そうであった。カイがいなければ私はこうしてここにいることはなかった。カイだけではない、私は私を支えてくれるすべての者に感謝している」
アリシアはいったん言葉をきり、真剣な目をカイに向けた。
「カイ、これを機に王宮にあがることを考えてはみないか? むろん、エレナもだ。そこで弟子を持ち後継者を育ててみるというのはどうだ?」
カイは苦笑いを刻む。
「悪いが、俺は好きで占い師になったんじゃない。弟子なんて取るつもりもないし、そんながらでもねえよ」
「だがそれでは秘術師として、後を受け継ぐ者がいなくなるぞ」
女王の問いかけにカイはわずかに口許をゆがめる。
「それでいいんだよ」
そう言いつつも、カイはほんの少し辛そうに眉間にしわをよせた。
人の死を読み解く。
こんな技術など持たない方が幸せだ。
知ってしまえば試さずにいられない。そして、必ず術を使ってしまったことを後悔する。
悪いな婆さん、秘術師としての代も俺でお終いだ。
「それに……俺はあいつから裏街を託された。俺は裏街を、そこにいるみなを守らなければならない」
「ああ……カイの前に裏街の頭をやっていた、シンという男のことだな」
カイの口許にかすかな笑いが浮かぶ。
それはどこか悲しげで痛々しい笑みであった。
「先の動乱で好きな女を守って死んじまったがな。あいつらしい最期だったよ」
「そうか……」
と、女王は小さく呟いただけであった。
「で、やつは?」
不安が声にでないように気をつけながら、カイはオズヴァルト候のその後を尋ねる。
カイの問いかけにアリシアはわずかに視線を大理石の床に落とす。
女王の表情ですべてを悟ったカイの表情に、思いつめるような暗いものが浮かんだ。
「見張りの者が様子を見にいったときにはすでに。隠し持っていた短剣で喉を掻き切ったらしい」
あの時、カイは牢の中でオズヴァルト候の最期を感じとった。
禁忌の術をもって視たのではない。
ただ、漠然とあの男の死を予感しただけ。
けれど、心に暗いわだかまりが落ちるこの罪悪感はきっと一生消えることはないだろう。
楽な死に方ではなかったはずだ。
そうとう苦しんだに違いない。
あの男ならみっともなく命乞いをしてもおかしくない人間だった。
なのに……。
俺のせいかもしれないな。
あの時、おまえは死ぬと言った俺の言葉が、奴の心に楔となって打ちつけ、結果、奴を死に追いつめてしまったのかもしれない。
カイはさっと女王に背を向けた。
「行くのか?」
「ああ、エレナが待っている」
ほんの少し寂しそうな目で視線を落とすアリシアをカイはかえりみる。
まだ玉座について間もない若き女王にとって、ひとりでも多く信頼できる人間を側に置いておきたいのが心情であろう。
「アリシア」
カイの呼びかけにアリシアは顔をあげた。
「困ったことがあればいつでも俺を呼べ。いや、俺だけじゃない、あんたの星の元に集った仲間全員がすぐにあんたの元に駆けつける。あんたはひとりじゃない」
「カイ……」
「たくさんの仲間があんたにはいるだろ? 俺の星読みでは、まだまだ頼もしい味方や仲間が増えていく予定だぜ」
カイの言葉に女王はふわりと笑った。
「じゃあな」
振り返りざま、カイの胸元に揺れるペンダントが窓から差し込む明るい陽の光を受けてきらりと光った。