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「カーリン様。お約束していた仕立屋がお見えになりました」
侍女の案内で通された部屋に足を踏み入れた瞬間、エレナは目をすがめた。
明るい陽射しが射し込む窓際で、コンラディン家の令嬢カーリンが外の景色をぼんやりと見つめ佇んでいた。
彼女のまとった純白の婚礼衣装が、陽の光に反射して眩しい。
侍女の呼びかけで我に返ったカーリンは、戸口に立つエレナの姿を確認した途端、小さく息を飲み、目を見開いた。
「〝貴婦人の夢〟から参りました。縫製師のエレナです」
ふわりとエレナは微笑んでおじぎをする。しかし、カーリンは顔を青ざめさせたままその場に立ち尽くすだけ。
「ご依頼のドレスのお直しにとりかかってもよろしいでしょうか?」
「あ、あなたは本当に仕立屋なの?」
おそるおそる問いかけるカーリンに、はい、とエレナは静かにうなずく。
瞬間、カーリンはふらりと足をよろめかせ、すぐに側のテーブルに手をついた。
「お嬢様!」
すぐに侍女が駆けつけ、カーリンの身体を支えようと手を差し伸べる。
「大丈夫ですか? お嬢様」
「ご気分がすぐれないようでしたら、また別の機会にいたしましょうか?」
心配する侍女の声にカーリンは首を振る。
「いいえ……大丈夫」
「ですが顔色が」
「本当に大丈夫だから……」
カーリンは青ざめた顔に弱々しい笑みをはりつけ、あらためてエレナに向き直る。
「ごめんなさい……さっそくお願いしてもらうわ」
「はい」
と、お辞儀をし、エレナはドレスの直しと新たな飾りつけの作業に取りかかる。
無言で作業を進めるエレナを見つめるカーリンの目は、始終落ち着かない様子でさまよっていた。
とうとう、沈黙に耐えられなくなったのか、カーリンはそっと顔をあげ。
「あなたたちはもういいわ」
と、側で控える侍女たちを全員さがらせた。
「とても素敵なドレスですわ」
二人っきりになって初めて、エレナの方からカーリンに話しかけると、カーリンは虚をつかれた顔をする。
「え、ええ……亡くなった母が……この家に嫁いだときに着ていたドレスなの」
「まあ、お母様の。素敵ですわ。思いがたくさんつまったドレスなのね。でも……」
「でも?」
「泣いているわ」
「泣いている?」
「ええ」
突如、カーリンの瞳に動揺の色が濃く走る。
泣いているのはドレスか、娘の幸福を願う、亡くなった母の思いか、あるいはカーリン自身か、それともそのどれもすべてか。
エレナの意図をはかりかねたカーリンは、かすれた今にも消え入りそうな声を落とし、エレナに問いかける。
「あなたは……あの占い師の……家にいた人よね」
「はい」
すると、カーリンは目の縁に涙を浮かべ唇を震わせた。
「ほんとうは、私を責めに来たのでしょう!」
カーリンの足下でドレスの裾を直していたエレナは、驚いたように顔をあげた。
「責める?」
「だって、私のせいであの人が! あなたは私を怨んでここへやって来たのでしょう?」
カーリンの足下にひざまづいて作業をしていたエレナは、すっと立ち上がった。
「私はカイから何も聞いていないわ……いえ、カイというのはあの日カーリン様がお会いになった占師の名です」
しかし、カーリンは嘘とつぶやき首を左右に振る。
「ほんとうですわ、カーリン様。あの日、あの時、カーリン様とカイが何を話したのか私は一切知らない。でも……」
カーリンを見上げるエレナの瞳に宿るのは揺らぐことのない強い光。それは、たとえ何があっても私はカイを信じているという強い意思。
「人は生まれた瞬間に自分の星を持つの。あなたはあなたの星の輝きを失ってはいけない。これはカイがよく口にする言葉なのだけれど」
途端、カーリンは顔をゆがめた。
「あの人は私の心の迷いを救ってくれた人。なのに……私……まさかこんなことになるなんて、どうすれば……どうすればいいの……」
両手で顔をおおい泣き出したカーリンの細い震える肩を、エレナはそっと抱きしめた。
「ごめんなさい。許して……」
「カーリン様、何があったのか、もしよかったら私に話してはくださいませんか? 少しでもカーリン様のお心を軽くすることができるのなら、私でお役にたてることがあるのなら……どうか、カーリン様の苦しみを私に話してください」
その場に崩れて泣き続けるカーリンの背を、エレナはそっとさする。
「エレナさん……実は……」
◇・◇・◇・◇
それから七日が経ち結局、事態は何一つ変わらないまま、カイの処刑の日は訪れた。
兵士たち数人がかりの手で牢から引きずられるように出されたカイは、足をとめ、久しぶりの空を見上げ、眩しさに目をすがめる。
自分の身にこれから起きようとする惨劇などまるで無関心とばかりの穏やかで、晴れ渡った青空に思わず失笑をこぼす。
「ほら、歩け」
立ち止まったカイの背中を兵士のひとりがどんと剣の柄で突く。
両手をきつく後ろ手に縛られたまま、大通りを歩かされた。この通りをまっすぐに行けば処刑場となる大広場にたどり着く。
カイは苦笑いを浮かべた。
通りの両脇にはこれから処刑される罪人の顔を一目見ようとずらりと人が並び、それが大通りまで延々と続いていた。
「あれが貴族の娘を無理矢理襲った男ですって」
「いやだわ穢らわしい!」
「あの人、わたしの家の近所に住んでいたのよ。ああ、恐ろしい」
あちこちで自分を非難する声が耳に飛び込んだ。
そんな、彼らの好奇あるいは憎悪の目にさらされながら、ようやく大通りにたどり着く。
カイが現れた途端、わっと広場を揺るがす喚声が耳に響いた。
いったい、どこからこれだけの人が集まって来たのか、広場の中央に設置された処刑台の回りにはこのまたとない〝処刑〟という見せ物を見ようと、大勢の人が集まっていた。
よくもまあ、これだけの人が集まったもんだよな。
まるでお祭り騒ぎだ。
いや、彼らにとっては祭りか。
で、俺がこの祭りの主役。
苦笑を浮かべ人ごとのようなことを考えるカイであったが、広場が近づくにつれ、その笑いが凍りつく。
「な……」
それまで自分が処刑されるというにもかかわらず、飄々とした態度を崩さなかったカイであったのに、その光景を目にした途端、呆然と立ち尽くした。
何故なら、処刑台の上に拘束されたエレナが立っていたからだ。
カイは側にいた兵士をかえりみる。
「どういうことだ! 何故エレナがあそこにいる!」
しかし、兵士はカイの質問に答えない。否、罪人に答える必要などないという態度だ。
「ふざけんなっ!」
突如カイは両脇にいた兵士たちを肩で突き飛ばして振り切り、処刑台に駆け出した。
「エレナ!」
が、処刑台手前で駆けつけた数人の兵士たちによって、力尽くで地面に押しつけられる。
「放せ! 放せってんだろ!」
押さえ込まれた苦しい体勢で、カイは顔をあげ処刑台に立つエレナを見上げる。
「エレナ!」
エレナの視線がこちらを向く。
いつもと変わらない、ほんの少し小首を傾けて自分に微笑みかける姿。
どうして。
どうして、そうやって笑っていられる。
今まさに殺されるというこの瞬間に何故。
俺のせいだ。
血がにじむほどにカイは唇をきつく噛みしめた。
エレナ、すぐに助けてやる。
必ずおまえだけは。
「おい! 暴れるな!」
さらに数人の兵士たちが駆け寄ってくる。
「どけ! エレナを放せ……エレナっ!」
彼らと激しくもみ合った拍子に、服の下にひそませていたペンダントの鎖が切れはじけ飛んだ。
這いつくばったまま、ペンダントの行方を追ったカイの視線の先に、嘲笑を浮かべたオズヴァルト候の姿が映る。
足下に転がってきたペンダントを、オズヴァルト候がつま先で踏みにじるのを見つめカイはぎりっと奥歯を噛みしめた。
「何故、エレナがあそこにいる」
押し殺した低い声音でカイは問う。
「おまえがコンラディンの娘を襲った時にあの女もいた。つまり、おまえの愚行をとめようとしなかったあの女も同罪だ」
カイはぎりっと奥歯を噛んだ。
そんなばかなことがあるか。
「これで思い知ったか。おまえもあの女も終わりだ」
カイはうつむき肩を小刻みに震わせた。やがて、その唇からもれるのが忍び笑いだと気づき、オズヴァルト候は顔をしかめる。
「な、何がおかしい!」
カイはすっと視線を目の前の相手に据える。
「貴様……覚悟しておけよ。絶対に許さねえからな」
「は! 許すも何も、今のおまえに何ができる。おまえはここで無様に死ぬのだ」
にやりと笑うカイの顔を見て、一瞬怯みかけたオズヴァルト候は側にいた裁判人に言い放つ。
「罪人の処刑をさっさと始めろ!」
その声に裁判人はびくりと肩を跳ね、前に進み出る。
いよいよ処刑が始まるとばかりに、見物人の声がわっとあがった。
おざなりに儀式を済ませ裁判人が淡々と罪状を読みあげる。
それは、カイがコンラディン家の令嬢を無理矢理家に連れ込んで暴行し、それを止めなかったエレナも同罪という無茶苦茶な内容だった。
カイは握った手を小刻みに震わせた。
こんなことがあってたまるか。
俺はいつ、どこで、どうやって死ぬかを〝知っている〟それが今ではないことを。
カイはそっと処刑台の上に立つエレナに視線を走らせた。
けれどエレナは……。
エレナの運命までは知らない。
本来、人の死を星で読み解くことは禁忌の術。
その禁忌を犯してまで己の未来を占ってしまったのはただの興味本位。
今となっては後悔している。ましてや、愛する者の死の瞬間など知ってしまっては、きっと耐えられない。
兵士の手が乱暴にエレナの肩を押し、吊した輪縄の前へと立たせる。
エレナは抵抗するどころか、動揺する気配すらみせない。
その瞳はあくまで静かで毅然としていた。
「エレナに触れるな……」
カイは押し殺すような低い声で呟いた。そして、顔をあげ今度は大声で叫ぶ。
「こんな真似をして後悔するぞ! この処刑台をてめえらの血で染めてやる!」
カイの澄んだ空色の瞳が激しい怒りに揺れ動く。
「やっと本性を現しおったな。裏街のごろつきめが!」
オズヴァルト候の声に、回りの空気がざわりと震えた。
「裏街だって……」
「あの犯罪者の巣窟の!」
「あの人、裏街の人間だったの?」
くそっ、と小声で吐き捨て、カイはひたいを強く地に押しつけ歯を食いしばり縛られた手首をひねった。
くそ! 以前、ハルのやつに教わった縄抜けの方法がこんな時に役立つとはな!
耐えがたい痛みからなる絶叫を喉の奥に飲み込み、自力で縄を抜けたのと──
「カイ、受け取れ!」
「頭! そんな奴らのしちまえ!」
まるでこの瞬間を狙っていたかのように見物人の中からその声が響き、銀色にきらめく丸い何かをカイ目がけて投げつけたのは同時であった。
太陽の暈と重なり光をはじいて回転するそれを手に取ったカイは、エレナの首にかけられたつるし縄の根本目がけ、迷うことなくそれを投げつけた。
一瞬にして縄が断ち切られ、処刑台の上にエレナが崩れ落ちる。
「カイ!」
カイの手にしていた物。
それは数個にもおよぶ戦輪であった。
特殊な作りをしているそれは、仕掛けを解くと一つの輪からいくつもの輪にわかれる仕組みとなっていた。
カイは武器を手にじりっと踏みしめ身がまえる。
カイの身から放たれる静かな殺気に、回りにいた見物人たちは顔を強張らせ、そろりと後ずさる。
「貴様!」
兵士たちがいっせいに剣を抜きカイを取り囲む。
多対一。
カイにとっては不利な状況であるにもかかわらず、それでも恐れるどころか不敵な笑みを口許に浮かべていた。
「よせよ」
カイは低い声で呟いた。
大切な者を守る為なら、たとえ誰を敵に回しても、この手を血に染め地獄に堕ちたとしてもかまわない。
「向かってきた奴は誰であろうと容赦はしねえ。ひと思いに殺してやる」
カイはざっと回りを見渡した。
「それでもかまわねえと覚悟のある奴はかかって来いっ!」
「いいぞ! 頭!」
「俺たちも加勢しますぜ!」
威勢のいい声がした方に視線をやれば、そこには、自分を慕ってくれる大勢の裏街の仲間の姿あった。
「な、何をやっている! 相手はひとりだぞ。早く殺せ、殺してしまえっ!」
オズヴァルト候が凄まじい声をあげ、兵士たちを怒鳴りつける。
しかし、彼ら全員、カイの凄絶ともいえる迫力と殺意に怯え、その場から動けずにいた。
「おまえら! わしの命令が聞けないというのか!」
「しかし……」
兵士たちは互いに顔を見合わせる。
「いいからやるのだ!」
その時であった──
通りの向こうから、馬蹄をとどろかせこちらに向かってくる数十騎のかたまり。みな何事かとそちらの方に視線を傾けさらに、互いに顔を見合わせる。
「何だあれは?」
「さあ……」
「いや、よく見てみろあれは……っ!」
徐々に近づいてくる兵たちの姿に、その場にいた者全員、凍りついた表情を浮かべた。
「そんなまさか……」
やがて、まっすぐ大広場に向かってきた兵の一団が処刑台の前でとまった。
あたりがさらに騒然となる。
「静まれ! 静まれ!」
興奮気味にいななく馬の手綱をしぼり、兵士のひとりが声を張り上げた。
「女王陛下の名において、この処刑はとりやめとする!」