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 暗い牢の鉄格子の側、カイは壁に背をあずけ右足を立てた格好で座っていた。

 ここへ放り込まれてからすでに二日が経とうとしていた。

 結局、一言も何の弁解をする余地も与えられず、問答無用で牢屋に放り込まれたのだ。

 もっともこうなることは最初から覚悟していたことだが。

 漂ってくるすえた腐臭と、あちこちから聞こえてくる呻き声。

 まともに声を発している者はいない。

 時折兵士たちがやってきては罪人を引きづり出し、どこかに連れて行った。

 ひどい拷問を受けたのだろう。

 血にまみれ、ぼろぼろになった状態で戻ってくる者もいれば、そのまま帰って来ない者もいた。

 カイは肩をすくめた。

 つまり、ここはそういう所ということだ。

 生きて地上に出られることはないに等しい。いや、地上に出る時、それはおそらく死を意味する時。

 カイは胸元のペンダントを服の上から握りしめた。


「さて、どうするか」


 さして困った素振りもみせず、ぽつりと呟く。


「拷問だけは勘弁してほしいけどな」


 何故自分が捕らえられたのか、相手の出方をうかがってからこれからのことを考えてみようかと思ったその時、誰かがこちらに近づいてくる足音に気づく。

 通路の奥で、ほのかにランプの灯りがちらちらと揺れている。


 さっそく来やがったか。


 足音は二人。

 甲冑と剣がぶつかる音から察するに見張りの兵士。もうひとりは、どすどすと地面を踏みしめる足音。

 ずいぶんと乱暴な歩き方だ。

 徐々に暗闇が払われ、橙色の明るさが増してくる。やがて、ランプを手にした男が牢の前で立ち止まった。

カイはその人物を見上げ、やはり、おまえかと肩頬をゆがめて嗤う。

 先日、女王陛下に近づくための方法を占えと山ほどの貢ぎ物を持って訪れた玉虫だ。

 そう、名はオズヴァルト侯爵。

 カイは挑む目つきで相手を見上げた。

 吊り気味のまなじりがさらに吊り上がり鋭さを増す。


「ぶざまだな。占い師ごときがわしに逆らうからだ」


 わしの力を思い知ったかと言わんばかりに、オズヴァルト候はぎらついた目でにやりと唇をゆがめた。

 弛んだ顔の肉が見苦しい、とカイは心の中で失笑をこぼす。


「そうそうあの後、いろいろ調べさせてもらったぞ。そもそも、おまえは下賤な身の上に、犯罪者の巣窟〝裏街(うらまち)〟の頭をやっているというじゃないか。は! おまえはごみだめの世界に生きる人間のくずだったというわけだ!」


 へえ、とカイは可笑しそうな、どこか感心したような顔で笑った。


「裏街という闇の世界に身を投じているおまえが、どうやって取り入ったか知らないが、先代の占星術師エルフィーネの元に弟子入りし、その技術を会得した。その女をそそる男まえな顔でエルフィーネを誘惑したか?」


「おいおい……」


 眉宇をひそめ、カイは勘弁してくれと、心底嫌そうな顔でしかめる。


「あんな婆を誘惑してどうすんだよ」


「ふん! 裏街の人間は目的のためならどんなことでもするというではないか。それに、本来ならこうして表の世界に生きることさえ許されないおまえは犯罪者。悪人! ん? おまえはいったい何人の人間を殺してきたんだ?」


「さあな。数えたことねえよ」


 オズヴァルト候はあからさまに、まるで汚物をみるような目つきでカイを見下ろした。


「ふん、くずがっ!」


「それにしても、わざわざ俺のことを調べたのか? ご苦労なこったな」


「造作もないことだ」


 オズヴァルト候は得意げに鼻を膨らませた。


「だが、本当にちゃんと調べたのか?」


 カイの澄んだ空色の瞳が刃の如き光を含ませ鋭さを放つ。

 その瞳は晴れ渡った青空を思わせるほどに澄んでいて、とても裏街につきものの、人殺しだのそういった血腥いこととは全く無縁の綺麗な色であった。

 笑顔の一つでも浮かべれば、間違いなく人受けのする好青年で通用するであろう。けれど、吊り上がったまなじりと目の前の相手を見据える鋭い眼光が澄んだ瞳とあいまって、かえって得体の知れないそら恐ろしいものを感じさせた。


「どういう意味だ?」


 訝しむ顔で尋ねてくる相手に、カイはまあいいや、と肩をすくめた。

 意味ありげなカイの言葉に一瞬、訝しむ顔をしたものの、オズヴァルト候はすぐに気を取り直す。

 自分が有利であることを信じて疑わない顔だ。


「ふん! いいか、よく聞け。おまえはわしの息子の婚約者であるコンラディンの令嬢をたぶらかし、家に連れ込み無理矢理犯した。その罪で貴様は近々処刑されることとなる」


「へえ」


 カイはまるで人ごとのように返事をする。


「どうだ、絶望したか? 己の無力さを痛感したか? 恐ろしくて声もだせまい?」


 カイはくつりと笑ってオズヴァルト候に顔を近づけた。妖しく瞳を揺らし、相手の顔をのぞき込むように見上げる。


「なあ、俺が裏街のやりかたで女を犯したら、その女、今頃生きてはいないぜ」


 淡々と言うカイの恐ろしい言葉に、オズヴァルト候はごくりと唾を呑む。


「本気にするなよ。冗談に決まってんだろ。だいいち女をいたぶる趣味なんて俺にはねえよ。勘弁してくれ。で、処刑とやらはいつだ? 何でもいいから早くここから出しやがれ」


 そこでオズヴァルト候は意味ありげな笑いを浮かべてカイを見下ろした。


「だが、わしの専属占い師として仕えるのなら、貴様の命を救い、この牢からだしてやってもよいぞ」


 カイはじっと相手の顔を見つめるだけであった。

 すぐに自分の提案に飛びつくと思っていたのだろう、無表情のカイの態度にオズヴァルト候は焦りの色をにじませる。


「このわしが、おまえを救ってやるというのだ。悪い話ではないだろう?」


 しかし、やはりカイは答えない。


「わしはどうしてもおまえが欲しいのだ。たとえ卑しい身分であったとしても、おまえの占いの技術で右にでる者はいないと誰もが口をそろえて言う。わしの屋敷に来い。そして、おまえの占いでこのわしを最高の地位へと導くのだ。むろん、それに見合った十分な報酬は与えよう。思う存分贅沢をさせてやる。おまえのために美しい女だって用意してやるぞ」


「そんなに俺が欲しいのか?」


 一転して艶めいた笑みを浮かべるカイの表情を見たオズヴァルト候は、何を勘違いしたのか顔をさっと赤らめごくりと喉を鳴らした。


「おいおい……勘違いするなよ。悪いけど、俺にはそういう趣味はねえよ」


 カイは戯けた口調で言って顔をゆがめた。


「あたりまえだ!」


「へえ、だけどあんた一瞬どきりとしただろ?」


「そんなわけがあるか!」


「真に受けるなよ、俺だって冗談で言ったんだよ。ばかが」


「貴様、ふざけおって!」


「そう怒るな。喚くな。興奮するな。わかったよ。そんなに俺に占って欲しいっていうならやってやる。だけど、本格的に占うにはこんな所じゃ無理だ」


 上目遣いでオズヴァルト候を見上げると、相手はうむむと口を曲げて唸っている。


「まずは手相でいいか? 手相を見てあんたの未来を見てやる。それで、あんたが満足した結果を得られたなら契約成立。納得しなければ処刑でも何でもすればいい。それでどうだ?」


 オズヴァルト候はにやついた顔でうなずいた。

 あれだけ大言を吐いても、命がかかるとなれば人間などこんなもの。

 結局、弱者は強者に従うしかない。

 おそらくそう思っているのだろう。

 そろりと鉄格子の隙間から手を伸ばしかけ、ふとオズヴァルト候は眉をひそめた。


「確か、おまえの専門は占星術ではなかったか?」


 カイの口許に不適な笑みが刻まれる。

 こめかみのあたりで揺れる金糸の模様がほどこされた真紅の飾り紐がゆらりと揺れる。


「俺くらい腕のいい占い師となると、何でも極めてんだよ。ほら、いいから早く手を出せ」


 相変わらずカイのふてぶてしい態度に顔をしかめつつも、オズヴァルト候は怖々と鉄格子にぶよついた手を伸ばす。

 瞬間、カイの手がオズヴァルト候の手首をつかんで地面に押さえつけた。

 軽くもう片方の手首をひねると袖口からすとんと小刀が落ち、手のひらにおさまった。その小刀を手首を使ってくるりと回し、逆手に持ち替えると、押さえていたオズヴァルト候の指と指の間に突き刺した。


「ひいーーっ!」


オズヴァルト候の口から悲鳴がほとばしり、牢屋内に響き渡る。


「なななっ!」


 わなわなと怯えるオズヴァルト候をカイは鋭い目で射抜く。


「そう、俺はしがない貧乏百姓の生まれだ。親父が死に母親が病で倒れ、一家が食うに困って八歳の時、奴隷商人に売られた。売られた先での非情な家畜以下の扱い。ろくに食事すらありつくこともできず、過酷すぎる労働に何人もの人間が目の前で死んでいったのを目の当たりにしてきた。俺は雇い主である領主を殺し、命からがら城を逃げ出しそして、このアルガリタの街にたどり着いた。それから裏街に踏み込み、生きるためなら何でもした。ためらいもなく人殺しもな」


 生きるか死ぬか。

 強いか弱いか。

 奪うか奪われるか。

 裏街で生きるとはそういうこと。

 強者だけが生き残る世界。

 弱者はその餌食となるだけ。

 そんな世界で生き抜いてきた。


「ちなみに」


 カイはにやりと嗤ってオズヴァルト候の手を返し手のひらを見る。


「あんた、さい先よくねえな。最悪だ。もしかしたら死ぬかもな」


「な……死ぬ……ばかをいうな」


「俺にはわかるんだよ。そう、何だったら俺のとっておきで、あんたの死ぬ日を正確に割り出してやろうか? 自分がいつどこでどうやって死ぬのかわかっていながらこの先、生きていくのもなかなか味わい深いだろ?」


 オズヴァルトは咄嗟に手を引っ込めた。その勢いで後方にすてんとみっともなくひっくりかえる。


「で、でたらめを言いおって!」


「でたらめなんかじゃねえ。占師は占った相手に嘘の結果を伝えてはならねえんだよ。これは絶対の掟だ」


 オズヴァルト候は顔を青ざめさせ、ぶるぶると弛んだ頬の肉を震わせている。


「わ、わしは死ぬと言うのか……」


 カイは肩をすくめてにっと嗤う。


「ああ、間違いなく近々な。ほら、ここから出せよ。約束してやるよ。てめえが死ぬその瞬間まで、てめえの専属占い師とやらになってやる。喜べ」


 カイはすっと立ち上がり、腰を抜かしたまま座り込んでいる相手を冷ややかな目で見下ろした。


「き、き、貴様っ! 絶対に許さんぞ……許さんからな! おい、早く手を貸せ!」


 オズヴァルト候は側にいた兵士の手を借り起き上がると、怒りで顔を真っ赤にし、半ば逃げるようにこの場から去っていった。

 カイは片手を顔にあて頬をゆがめて天井を仰いでぎりっと奥歯を噛んだ。

 再び暗闇と静寂が辺りを支配する。

 そのまま壁に背をもたれ、ずるずると崩れるようにその場に座り込む。


「ちっ」


 立てた膝を抱え、そこに顔をうずめてカイは肩を震わせた。

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