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あの日、不吉な予感を抱いた日からすでに幾日か経とうとしていた。
「あ、ひものお兄ちゃんが帰ってきた。ねえ、また何か恋占い教えて!」
「騎士ごっこしようぜ。ひもの兄ちゃん!」
買い物帰りのカイの元に、まるで待ちかまえていたかのように近所の子どもたちがわらわらと群がってきた。
エレナは日中お針子として働きに出ている。
女が外で働いてるのに、占い師として街では名の知れているカイでも、家でぶらぶらしているように見える子どもたちにとっては、女に養ってもらっている〝ひも〟なのだ。
「恋占い? ミリアは好きな男でもできたのか?」
カイの問いかけにミリアと呼ばれた幼い少女はぱっと顔を赤くする。
カイは玄関先に植えていた花を一輪手折りミリアに差し出した。
「好きな人のことを思って花びらをちぎって願うんだ」
「願う?」
「そう、相手は自分のことを好きか嫌いか、好きでありますようにってな」
「うん、やってみる!」
声をはずませミリアは好き嫌いを交互に呟いて花びらをちぎっていく。
最後の花びらをちぎろうとして。
「好き……好きだって。ねえ、最後の花びら好きって」
「そうか、よかったな」
カイはミリアの頭に手を置いた。
「なら、最後にとっておきの魔法を教えてやる」
とっておきの魔法という子ども心をくすぐる言葉に、ミリアは瞳をきらきらと輝かせた。
「自分の心に素直になること」
「素直に?」
「そう、言葉にしなければ伝わらないこともある。わかるか?」
ミリアは一瞬だけ首を傾げたが、すぐにうんとうなずいた。
「わかるわ。でも……」
と、恥ずかしそうに、ミリアは側に立っているひとりの少年にちらりと視線を向けた。その少年もミリアの視線に気づき、慌てて顔を赤くしてそっぽを向く。
カイはふっと笑って、ミリアの頭をなでた。
「大丈夫。ミリアの気持ちは伝わるさ」
「ほんとう?」
うなずくカイを見上げ、少女は手にした花びらのなくなった花を見てぽつりと呟く。
「わたし思いきって伝えてみようかな」
「ああ、頑張れ」
「なあ、ひもの兄ちゃん、そんな女みてえな遊びはもういいだろ? 早く騎士ごっこしようぜ」
今度は男の子たちが棒きれを剣にみたてて振り回し、遊んでくれとカイの腕を引っ張る。
「なあ、おまえら。俺はこう見えても忙しいんだぞ」
「ひものくせに忙しいわけないじゃんか」
「そうそう、兄ちゃんいつも家でぶらぶらしてるじゃん」
「兄ちゃんはひもだから、毎晩エレナさんを悦ばせてやってんだろ?」
「おまえ……がきのくせに何言って……」
「だって、母ちゃんが言ってたぞ。ご飯食べさせてもらうかわりに、夜になったら女をたっぷり悦ばせてるんだって。にやにやしながら母ちゃん言ってたぞ」
「でも、何で夜なんだ?」
カイははあ、と呆れたようにため息をつく。
一体、こいつらの母親は子どもに何を吹き込んでいるのか。
そんなカイの思惑など無視して、少年たちは揃ってあははと笑う。
「よし! 俺は女王陛下を守護する騎士だぞ。悪い奴は全員俺が倒すんだ」
「女王陛下の守護騎士、中でも最強なのが女王陛下の〝剣と盾〟そして〝星と影〟なんだぞ! 弱虫のおまえじゃむりむり」
「うるさい! 俺だって毎日訓練して強くなるんだ!」
少年たちの熱いやりとりに苦笑を浮かべつつ見守っていたカイだが、ふっと目を細めた。
何気ない素振りをよそおって、肩越しに背後を振り返る。
数人の兵士が路地の向こうから、こちらに向かって歩いてくる。
さらに視線を前方に戻すと、そこからも兵士の姿。
彼らは徐々にこちらに歩み寄ると、カイを取り囲むように立ち止まった。
通り過ぎて行く人たちが何事があったのだろうと、足をとめていく。そうこうするちに瞬く間に通りには人集りができはじめた。
子どもたちも異様な気配を感じたのだろう、遊ぶ手を止めきょとんとした目で固唾を呑んで状況を見守った。
「コンランディン家のカーリン嬢を知っているな?」
唐突に兵士のひとりに問いかけられ、カイは肩をすくめた。
コンラディンのカーリンなど初めて聞いた名だが、おそらく先日訪ねてきた女がそうなのであろう。
兵士たちの緊迫した空気にどうやら、言い逃れをできる雰囲気ではなさそうだと感じとる。
カイは深く息を吸って吐き出した。
目をすがめ、ざっと周りを見渡す。
相手は五人。
カイは買い物袋を持つ手の関節をぱきりと慣らす。
振り切って逃げるのも、倒すのも簡単だ。
いかようにも切り抜ける手段を自分は知っている。
最終的には一撃で相手の息の根をとめることも造作ない。
さわりと風が吹き抜けた。
肩に軽く羽織った上着がひるがえってなびく。
どうする?
そこへ、ミリアがきゅっとカイの服の袖をつまみ、今にも泣き出しそうな顔で見上げてきた。
「お兄ちゃん……」
さらに、騎士ごっこで遊んでいた少年たちもカイの元に駆け寄ってきた。
「兄ちゃん、こいつら誰?」
「兄ちゃん何かしたのか?」
「いや……」
心配そうな目で自分を見つめてくる子どもたちを安心させようと、カイは笑みを返し、緊張を解いた。
ここで面倒ごとを起こすのは得策ではない。子どもたちを巻き込んでしまう恐れもある。
それだけは絶対に避けなければならない。
そう、判断したカイは持っていた買い物袋をミリアに預け兵士たちに視線を据えたまま言う。
「エレナが帰ってきたら伝えてくれるか」
真剣な目でこちらを見上げているミリアの姿が目の端に入る。
「必ず戻ってくると」
ミリアにそう告げ、カイは抵抗はしないと両手をあげた。
すぐに兵士たちが駆け寄り、両脇を捕らえられ、乱暴に地面にひざまづかせられる。縄をかけられ後ろ手で縛られる。
顔をあげたところを、兵士の剣が左右から交差して首元にあてがわれた。
「お兄ちゃん!」
「ひもの兄ちゃん!」
子どもたちがいっせいに悲鳴をあげた。
「コンラディンのご令嬢を暴行した罪で貴様を捕らえる」
カイは片頬をゆがめて笑った。
なるほど、そういうことか。
つまりこれは誰かが仕組んだ罠。
「ほら、歩け。貴様にはいろいろ聞きたいことがある」
兵士たちになかば引きずられるように無理矢理歩かされる。
「ひもの兄ちゃん!」
「どこに行くの!」
不安げな声をだす子どもたちに、カイは振り返る。
「心配するこたねえよ。すぐに帰ってくる」
「ほんとうに?」
「さっきのこと、ちゃんとエレナに伝えてくれよ」
ミリアは唇を引き結び、目に涙を浮かべて強くうなずいた。
「お兄ちゃん早く帰ってきて……」
「ああ」
安心しろとばかりに、カイは不敵な笑みを子どもたちに向けた。
「無駄口叩くんじゃない! 歩け」
兵士のひとりがカイの背中を足蹴にする。
集まってきた見物人の目にさらされながら、カイは兵士に連れ去られていってしまった。
◇・◇・◇・◇
街の占い師が捕らえられたという噂は瞬く間に世間に広まった。
エレナの雇い主であり、仕立屋〝貴婦人の夢〟の女主人アレイアは、ため息をつき困ったようにエレナを見る。
多くの貴婦人を相手に商売をしているだけあり、五十代半ばという年齢でありながらもまったく老いを感じさせないアレイアは、物腰柔らかな雰囲気の上品な女性であった。
「エレナ、まさかとは思うけど、お店に迷惑をかけてしまうからと言って、辞めるとは言わないでしょうね」
アレイアの言葉に、エレナは足下に視線を落としてうつむく。
カイが貴族の娘を暴行した疑いで捕らえられた直後、何かの間違いだと言ってくれる者。あからさまに侮蔑の目を向ける者。
街の人たちの反応は様々だった。
「ですが……お店に悪い噂が……」
他に仕事を見つけるなどとうてい難しい話である。それに、店主のアレイアも店の仲間たちもみなとても優しく気のいい人ばかりで、仕事もやりがいがあって毎日が楽しい。
できることなら辞めたくはないというのが本音だった。
「あなたはカイを疑うの?」
アレイアが静かに問いかける。
「いいえ! いいえ……カイはそんな人ではありません!」
語気を強め首を振るエレナに、アレイアは小さくうなずいた。
ならばやめる必要はないと。
「カイは先代の占師エルフィーネ様が選んだ唯一の後継者」
いったん言葉をきり、アレイアは昔を懐かしむ目でエレナに歩み寄る。
「エルフィーネ様はね、よく私に嬉しそうに語ってくれたのよ。一切の我欲を求めず、見返りすら期待しない。ひたむきで純粋な心意気。彼こそ自分の後継者に相応しいと。ただ口が悪いのが残念だってね。あと、態度もかしら」
アレイアは微笑んでエレナの肩に手をかけた。
「私もカイを信じているのよ」
「そうよ、心配ないって。だいいち、あんないい男が女に乱暴するほど餓えてないって」
「それに彼はエレナにべた惚れだしね」
「そうそう、ほんと羨ましくなっちゃうくらいにね」
仕事場の先輩たちが、だから元気を出して、と勇気づけてくれる。
思わず涙が目の縁に浮かんだ。
ここで泣いてはいけない、涙をこぼしてはいけないとエレナは唇をきつく噛みしめる。
「だけどエレナ、あなたは運がいいわ。その問題のコンラディン家から仕事の依頼がきているの」
エレナははじかれたように顔をあげた。
「ほんとうですか!」
珍しく興奮気味の声で身を乗り出したエレナに、アレイアはええ、と静かにうなずいた。
「結婚式のドレスを仕立て直すお仕事よ。あなたコンラディン家のカーリン様に会う勇気はあって?」
「も、もちろんです。わたしに行かせてください!」
「だったら泣いている暇などないわよ」