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エレナとの出会いは自分が八歳、そしてエレナが六歳の時だった。
カイもエレナも貧しい家の生まれで、一家が食べていくのに困り奴隷商人に売られた。エレナとはその奴隷商人の馬車の中で出会ったのだ。そのまま、買われた先の領主の城に連れて行かれ、奴隷として働かされ過酷な日々を送った。
ある日、病で倒れた自分を救うため、エレナは己の身を領主に差し出した。けれどその時、倒れたカイに与えられた薬は興奮作用を促す麻薬だった。
つまり、奴隷ごときに与える薬などない。
たとえ病で倒れようとも、死ぬまで働けということだったのだ。
だが、それがカイにとって、ある意味思いもよらぬ力をもたらした。
その後、捕らわれたエレナを救うため剣を奪い領主の城に乗り込んだ。
襲い来る兵を次々と斬り倒し城に火を放った。あの時、病に倒れ体力を失っていたにもかかわらず、自分でも信じられない力を出すことができた。剣すら握ったこともなかった自分に、どこからこんな力が沸いてくるのだろうと不思議に思ったが、エレナを救うという強い思いに、薬の効果も重なったせいもあったのだ。
そして、エレナを陵辱した領主をひと思いに殺し、迫り来る猛火から逃れるため、バルコニーから眼下に流れる川へと飛び込んだ。
川岸に打ちあげられ何とか助かったカイとエレナは、昇りくる朝日を見つめ、生き延びることができたことと、自由をつかんだことに互いに喜びあい再び意識を失った。
そして──
次に目を覚ました時、カイの目に飛び込んだのは見知らぬ部屋の天井だった。
窓から明るい日射しが差し込み、白い天井が光を反射して目に眩しかった。
どうやらベッドの上に寝かされているらしいということはすぐにわかった。
ここは……。
朦朧とした意識の中、視線だけを動かし辺りを探ろうとする。が、次の瞬間、天井がぐるぐると回り、鈍い痛みをともなった頭痛と激しい吐き気に襲われた。
「やっと目覚めたようだね」
しわがれた声が頭上からかけられカイは身動いだ。
ベッドの脇にひとりの老婆と青年が立ち自分を見下ろしていた。そして、そこでようやく自分の両手が縛られ、寝台で括られていることに気づく。
「これは……何だよ! 離せっ、くそ!」
「おやおや、暴れるでないよ」
「俺をどうするつもりだ! エレナは……エレナはどこだ!」
「まったく、口を開けばエレナエレナと……薬の後遺症で目を覚ますたびに暴れて、仕方ないからこうやって押さえつけさせてもらった。悪く思わないでおくれよ」
「黙れくそ婆! エレナはどこだ!」
「カイ、私よ。私はここにいるわ。わかる?」
反対の枕元からエレナの声が聞こえ、カイはようやく落ち着きを取り戻した。
「エレナ怪我は? 具合の悪いところは? こいつらにひどいことはされなかったか?」
矢継ぎ早に繰り出されるカイの問いかけに、エレナは大丈夫、と微笑んで首を振った。
エレナに触れたいのに、身体の自由がきかなくてもどかしい。カイは縛られている手首の縄から逃れようと何度も手首を捻る。それを見かねてエレナがきゅっとカイの身体にしがみついてきた。
「カイ、無理に動いてはけないわ。手首が傷ついてしまう。私は無事だから安心して」
「エレナ……」
「……イェタ、縄を解いてやりなさい」
やれやれとため息を落とすと、老婆は側に控えていた青年にそう命じた。
縄を解かれても、しばらくの間腕を動かすことが出来ず、カイはひりひりと痛む手首をさすった。
「お腹は空いていないか? もし、食べられそうなら少しでも口にしたほうがよかろう」
身を起こし寝台に背中をもたれかけるカイの膝に、イェタと呼ばれた青年が無言でスープの乗った盆を置いた。
褐色の肌に黒い髪、黒い瞳。
アルガリタの人間ではない。異国人、おそらく東の大陸アイザカーン出身と思われた。
カイはじっとそのスープを見つめ、そして敵愾心剥き出しで老婆を睨み上げた。そんなカイを見下ろし、老婆は軽快に笑った。
「安心しなさい。毒など入っておらんよ」
「カイ、おいしいよ」
椀からゆらりと湯気がたちのぼり、美味しそうな匂いが食欲を誘った。
カイはごくりと喉を鳴らした。
家にいたときでさえこんなスープを口にできることはほとんどなかった。
匂いにつられ、急速に空腹が押し寄せてくる。
カイはおそるおそるスプーンを手に取った。が、指に力が入らず、ぽろりとスプーンを膝の上に落としてしまった。
エレナがかわりに落ちたスプーンを手に取り、スープをすくうとカイの口許に運んだ。
エレナがおいしいでしょう? と微笑む。
「今は身体を回復することだけに専念するがよい。詳しい話はそれからだな」
老婆は異国の青年を連れ、部屋から出て行ってしまった。
◇
ようやくベッドからまともに起きあがれるようになったのは、それから三週間後のことだった。
傷はまだ痛んだが、無理をしなければ歩ける程度には回復した。兵士と斬り合いで受けた傷もそうだが、それよりも、薬の後遺症の方がひどかったのだ。
「こんな短期間でここまで回復するとは、たいした精神力だよ」
カイたちを面倒見てくれた老婆は感心した口調で言った。
老婆の名はエルフィーネといった。そして、エルフィーネの側には、常に異国の若者イエタという男がいた。
自分たちは川の下流で倒れていたところをイェタに発見され、ここへ連れられて来たことをようやく聞かされた。そして、ここがアルガリタの街であることをカイは知る。
カイもエルフィーネとイェタの二人にこれまでの出来事を語った。
話をしている間中、カイとエレナは堅く手を握りあった。
幼い頃に奴隷として売られたこと。
そこでの過酷な日々。そして、そこから逃げ出してきたこと。ただあの夜、領主を殺してしまったことだけは話さなかった。
何故なら、領主殺しは重罪だ。
もしもそれが自分たちの仕業だとばれたら……。
「ところで、おまえさんたちが望むなら、住んでいた村に送ってやるが、どうするかね?」
エルフィーネの言葉に、エレナはぎゅっとカイの手を握りしめてきた。応えるようにカイもエレナの手を握りしめ返す。
どうすると聞かれるまでもなく、答えは決まっている。
「村には戻らない。どこだっていい、エレナと二人で生きていく」
カイはためらうことなく即座に答えた。
自分たちは売られたのだ。
それを恨むつもりはないが、いまさら家に戻ったところでどうなるのだろう。
村に、母や兄妹のいるあの家に帰るつもりなどなかった。おそらくエレナも二度と戻りたいとは思っていないに違いない。何故なら、奴隷商人に売られる前、親を亡くしたエレナは親戚の家でずっと虐待を受けてきたのだ。そんな場所にエレナを帰すつもりなどなかった。
それに、一生、エレナとは離れないと誓った。
自分がエレナを守ると。
「おまえさんたちのような子どもが生きていけるほど、この世の中は甘くはないよ」
「わかっている、つもりだ……働くにしたって俺たちみたいな子どもを雇ってくれるところなんてあるわけがない。それでもエレナが側にいてくれるなら、どんな辛いことだって乗り越えてみせる。エレナのためなら俺は何だってやる」
エルフィーネは困ったものだと、深いため息をついた。
「まあ、おまえさんたちのことはおいおい考えるとしようかね」
◇
それからしばらくの間、カイとエレナはエルフィーネの家に身を寄せた。
そこで、エルフィーネから読み書きなどを教わって過ごした。
行くあてなどない。かといって、いつまでも他人の家に世話になり続けるのも気が引けたが、エルフィーネは迷惑な素振りひとつみせることはなかった。何より、エレナはすっかりエルフィーネに懐き、読み書きの他に刺繍や裁縫などを教わったりしていた。
そのときのエレナの表情はとても楽しそうで、そんなエレナの笑顔を見ているだけでカイは幸せだと思った。
エルフィーネはこのアルガリタの街の片隅でひっそりと占い屋を開いていた。
客層は様々で、明らかに身分の高そうな者が来ることもあれば、仕事帰りに興味本位でちょっと立ち寄ったという雰囲気の者もいた。
ある日、エルフィーネの元に、悲壮感たっぷりに漂わせたひとりの客が尋ねてきた。
だが……。
「婆もいい商売してんだな。今の客、ここへ来るときは泣きそうな顔をしていたのに、帰るときにはすっかり晴れ晴れとした顔をしていた。いったいどんな嘘をついてあの客を騙して喜ばせてやったんだ」
「騙したとは人聞きの悪いことを言うねえ」
「だってそうだろ?」
「もし、その者に最悪な運命が待ち受けていたとする。おまえなら正直に話すかい?」
「嘘を教えたって仕方ないだろ? それよりも、占いで事前にこれから起こる災厄があらかじめ分かるなら、それを避ける方法を探してやるな。いくらでも対処法があるだろう?」
言ってカイははっとした顔になる。
「そう。ただ占うだけが私たちの仕事ではない。相手の悩みや迷いを振り払い少しでも希望を持たせることが私たちの仕事だ」
「じゃあ、なんでお偉い占師の多くが貴族に雇われているんだ? 金もない貧乏人には占う価値もないっていうのか? 世の中にはもっと困ってる人や救いを求めている人たちがいるじゃないか? そういう人たちの為になんで手助けをしようとしない? 俺だったらそうするねって、よくわからないけど……思ったことを言ってみただけ」
カイの言葉にエルフィーネは目を細めた。
「ほう? おまえならそうするというのかい?」
「それだけの力があるならの話だよ!」
エルフィーネはしわ深い顔に笑みをほころばせた。
「ならばその力をおまえに授けよう」
「授ける?」
と、聞き返し、カイはぽかんとした顔をする。
「私のとっておきをおまえにくれてやると言ったのだ。その力を手に入れたら、おまえ、生涯食うに困ることも、望むならどんな高みにも昇ることもできるぞ。私の弟子になれ」
「弟子って占いのか? っていうか、婆さん弟子とるほどすごい占い師なのか?」
「いずれわかる」
しかし、カイは戯けた仕草で肩をすくめた。
「でもやだね。俺、占いなんてこれっぽちも興味ないし、信じてないし。イェタに剣を教わったほうがよっぽどこの先のためになる」
即座に否定するカイに、エルフィーネはにやりと笑った。
「そうそう。私の知り合いの店でちょうどお針子を欲しがっている店があってな。王侯貴族御用達の仕立て屋で、それはそれはびっくりするくらい立派な店だよ。そこにエレナを紹介してやってもいいと考えている。もっとも、最初は見習いだがね」
カイはばっと身を乗り出した。
「ば、婆! もしかしてそれを条件にしようってのか! 汚ねえぞ!」
「見込みのありそうな弟子を捕まえるためなら手段は選ばないよ。それに、おまえ、エレナのためなら何でもすると言ったではないか。あれは嘘だったのか」
カイはぎりぎりと歯を鳴らした。
確かに、身よりのない子どもを働かせてくれる店などこの先まずないだろう。
針仕事をしているエレナの楽しそうな笑顔が脳裏を過ぎる。
エレナがきちんとした店で働かせてもらえるのだ。
……迷う必要なんかないよな。
カイはぎっと目の前に座る老婆をにらみ返した。
「わかったよ、弟子でもなんでもやってやるよ! くそっ! だけど俺には占いの知識なんて何にもないからな」
「かまわんよ。これからみっちりとおまえをしごいてやる」
「くそ婆!」
「これからは師匠と呼べ」
◇
まさかあの婆さんが、元王家専属の占師……いや、秘術師だったとはあの時思いもしなかったが……。
カイは腕の中のエレナを抱き寄せ髪をなでた。
腕に抱いたエレナの暖かい温もり。
ふわりと髪から香る優しい香り。
「たとえ何があっても俺がエレナを守る。命にかえても」
ささやいて、カイは再び夜空に視線をさまよわせた。