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 そんなオズヴァルト候の一件もすっかり忘れていたある日の深夜、カイの元にひとりの客が訪れた。


「カイ……お客様が見えたの」


 手職台を手に寝室に現れたエレナは、すでに寝支度を整えたカイに客の来訪を告げる。

 窓の外を見やると、家々の明かりも消え暗闇と静寂が存在するだけ。

 今宵は月もなく、夜空を彩る無数の星々もまた、重く垂れ込めた暗雲の陰にひそみ、地上を包むのはまさに真の闇。

 訪ねてくるにも常識的な時間ではない。

 だが、カイの元にやってくる客などたいがいがそうだ。

 そして、カイもカイで気分が乗らないときは平気で客を追い返すこともあった。


「帰ってもらえ、いや……」


 夜着姿のエレナに気づき、カイは自分で断ると上着に再び袖を通す。


「女性の方なの。それもひとりで」


 女? ひとり? とカイは目を細めた。

 わけありか。

 こんな時間に女がひとりで訪ねてくるなど、それ以外の理由が思い浮かばない。

 女と聞いてこのまま無下に追い返すのもためらわれ、結局その客を部屋に通すことにした。


「そこに座れ」


 カイは客の女に席につくよう指示する。

 けれど、女は席についても、ずっとうつむいたまま一言も喋ろうとはしない。

 カイは注意深く女を見やる。

 わけありというのはおそらく当たりであろう。

 黒い衣装に黒い帽子。顔まで黒のベールで覆っている。

 年はわからない。が、立ち居振る舞いと、唯一露出しているほっそりとした手の肌つやは若い女のものだ。かもしだす雰囲気は間違いなく身分ある者。その証拠に左手のくすり指に、大きな宝石のついた指輪がはめられていた。いかにも高そうな代物だが、女の細い指にはまったく不似合いであった。

 ここへ来る者は何かしらの悩みや不安を抱え占いに救いを求めて来る者ばかりだ。それは恋の悩みであったり、仕事や金、様々。別にそれが悪いとは決して思わない。

 もっとも、先日の玉虫にかんしては無下に追い返してしまったが。

 人の心は弱い。何かに頼りすがりたい時だってある。それがその者にとって、たまたま占いだったということだってあるのだ。

 そんな救いを求め、迷える人々を導いていくのが自分の役目だ。 

 しんとした静寂に燭台の炎がじっと音を立てて揺らぐ。

 やはり女は口を開こうとはしない。

 カイは心の中で息をつく。ならば、こちらから引き出すしかなさそうだ。


「ひとつ確認するが」


 女の向かいに腰をかけカイは口開く。そして、カイの言葉にようやく女は反応し、うつむいていた顔をわずかに持ちあげた。

 カイはわずかに目を細めた。

 色素の薄いカイの空色の瞳に蝋燭の緋色の炎が映し出され曖昧に揺れ動く。


「たとえどんな未来、結果がでても、それを受け止める覚悟はあるか?」


 カイの澄んだ空色の瞳に射すくめられ、女は動揺したように再び視線を手元に落とす。

 細い肩が小刻みに震えていた。


「その覚悟がないならこのまま引き返せ。占いの結果に迷って己を見失うようなら、何も知らないほうがいいときもある」


 厳しいカイの言葉に女は動揺の色を見せる。


「私……」


 弱々しい、かすれた声が女の唇からもれる。あまりにも頼りなくか細い声だ。

 カイはふっと息を吐いた。


「悪い、脅かすつもりはなかった」


 一転して、カイはつとめて明るい口調で女に問いかける。


「相談は何だ? あっと、その前にできれば目を見て話がしたい。その方が占いもしやすい」


 それは嘘だ。

 顔を隠して訪れて来る者など珍しくもない。

 たかが占いと思われがちだが、実は意外に危険な商売なのだ。占いの結果が気に入らないと逆恨みされ、命を狙われることもしばし。

 カイの師であった先代の占師も常に腕の立つ護衛を側においていた。

 そして、この時のカイの予感が危険を孕んだ何かを告げていた。

 気をつけろと。

 相手の顔もわからず、相談を受けるなどそんな不用心な真似はしない。

 そんなカイの思惑など知らず、女はためらいつつも、言われたとおり素直にベールに手をかけ取りさった。

 あらわになった顔は思っていた以上に若く、カイと年齢の変わらない二十歳を少し過ぎたばかり。

 顔を見られて落ち着かないのか、黒い瞳を所在なげに動かしている。

 カイは女の方から切り出すのを辛抱強く待った。そして、長い沈黙に耐えきれなくなったのか、女はようやく口を開いた。


「私、結婚をします……」


 相変わらず視線を落としたまま切り出した女を、カイはテーブルに頬杖をついて話に耳を傾ける。

 だがどう見ても、結婚を間近に控え喜びに満ちあふれている顔ではない。

 もっとも、幸せな者がここへ訪ねてくることなどまずないが。

 目の前の女も望まない相手と結婚されることになったのだろう。

 案の定。


「親が決めた相手で顔すら知らないのです。彼との結婚生活がうまくいくか……」


「占って欲しいことは本当にそのことか?」


 女の言葉をさえぎり、すかさずカイは切り返す。

 答えはない。

 けれど、ずばり言い当てられ女は動揺して瞳を泳がせうろたえる。


「本当にそのことか」


 もう一度カイは問いかけた。

 しばしの沈黙。

 やがて観念したのか、女はわずかに前のめりになってテーブルから身を乗り出した。


「私の家は貴族といっても落ちぶれた地方の貧しい家です。そんな私に大貴族の長男との縁談話が持ち上がり、親は泣いて喜びました。相手は地位も名誉も財産もあるお方。これで私の将来も安心だと……でも、私には他に好きな人がいます! その方を心から愛しているのです。どうしたらいいのでしょう? このまま、親が決めた相手と結婚するべきか、それとも……」


 カイは口の端をあげて笑った。


「くだらねえな」


 カイのくだらないの発言に、女は不安げに瞳を揺らして首を傾げた。

 よもや、そんな答えが返ってくるとは予想もしなかったのだろう。

 しかし──


「何を占うってんだ? 親が決めた相手と心に思う男との相性を占うのか? どちらと結ばれた方が自分が幸せになれるか。そんなもの占いに頼るまでもなく答えはあんたの心の中にあるだろう?」


 女が小さく息を呑んだのがわかった。

 カイは頬杖をついたまま、女の目をじっとのぞき込む。


「自分がどうしたいか、どうありたいか。望む未来を自分の手でつかみ取れ。運命は絶対じゃない」


 運命は絶対ではない、と繰り返す女の目にみるみる涙が浮かび、滑らかな頬に落ちた。


「そうですね……その通りだと思います。ありがとうございました。何だか少し気持ちが晴れた気がします。いえ、きっと誰かにそう言って欲しかったのだと思います」


 女は落ちた涙をそっと指先で拭った。

 だが、そうは言っても家のしがらみなどいろいろあるはず、本当は口で言うほど簡単ではないことくらい、カイとてわかっているつもりだ。

 あとは目の前の女が自分でどう動くか、どんな未来を歩み自らの手で切り開いていくか。

 自分は彼女の迷いにそっと背中を押しただけに過ぎない。


「あの……」


 膝元のバッグに手をかけ、占いの代金を支払おうとする女をカイは手で制する。


「いらねえよ」


「いいえ、そういうわけには」


 カイは戯けた仕草で肩をすくめた。


「いらねえって言ってんだろ? だいいち、俺は何も占っちゃいねえ」


 女ははっとした顔をする。

 確かにカイは女の話を聞いて、自分の思ったことを口にしただけ。

 何一つ占いらしきことはしていない。


「ですが、こんな非常識な時間に訪ねてしまい……お時間をとらせてしまいました。せめてお礼だけでも……」


 カイが金は受け取らないと頑なな姿勢をみせても、律儀な性格なのだろう、女もはいそうですか、と引く様子はない。

 カイはやれやれと肩をすくめ苦笑いを浮かべた。

 これではいつまでたっても金を払う、いや、受け取らないの言い合いだ。


「だったらこうしよう」


 ふっと真面目な顔に戻り、カイはついっと女の顔をのぞき込む。


「もしもこの先、あんたが本当に道を失い一歩も動けなくなった時、もう一度俺を訪ねてこい。その時こそ、(あた)う限りの力を持って、星が導き出す運命を詠み解き未来の指針を示してやる」


 いったん言葉を切り、カイは目を細めた。


「ただし、俺の占い代金はあんたが思っている以上に高額だぜ」


 しばし女は困惑の表情を浮かべるが、再びぽろぽろと涙をこぼし声を殺してむせびなく。

 カイは女が泣き止むのを無言で待ち続けた。

 やがて、ようやく落ち着きをとりもどした女は立ち上がり深々と頭を下げ部屋を去った。

 女が立ち去ったのを見届けたカイは、手元のカードに手をのばし鮮やかな手つきで、テーブルの上に扇状に広げた。

 その中の一枚を迷うことなく抜き不敵な笑みを刻む。


「大丈夫。あんたはあんたの思うとおりの未来を切り開ける」


 手にしたカードは眩しい光を背に凜然と立つ、幸運の女神。


「すべての困難を乗り越える力と、災厄を退け好機を呼び寄せる最高のカード」


 そう、あんたには幸運の女神がついている。

 自分が信じる道を進めばいい。

 寝室に戻るとエレナがベッドの縁に腰をかけて座っていた。自分の仕事が終わるのを待っていたのだろう。

 すでに夜も更けてしまっている。


「先に寝ていてもよかったのに」


 首を振りふわりと微笑むエレナを見つめ、カイの口許にも自然と笑みが広がる。

 が、ふっと窓の向こう、夜空に瞬く星を見つめカイはわずかに顔をゆがめた。

 ちくりと胸に走るかすかな痛み。


 これは予感……。


 もしかしたら、近々やっかいごとが降りかかるかもしれない。

 けれど、そのことは口にはしなかった。

 悪戯にエレナに心配をかけさせたくなかったから。けれど、しらずしらず不安が顔に出ていたのだろう。エレナがそっと手を伸ばし自分の胸に手を添えてきた。


「私は大丈夫よ。カイが側にいてくれるなら何も怖いものはない」


 カイはそっとエレナの頬に手を添える。

 そんな顔をするな。

 おまえのことは俺が守るから。


「明日は仕事休みだろ? 久し振りにでかけようか」


 するとエレナはぱっと瞳を輝かせた。


「本当? 一日中カイと一緒にいられるなんて嬉しい」

「ああ」


 エレナは静かにまぶたを落とし、頬を赤らめる。まぶたを縁取る長いまつげが震えるように揺れている。

 とんとエレナのひたいが胸に添えられた。


「エレナ?」


 呼びかけると胸に添えられていたエレナの手がきゅっと衣服をつかむ。


「わたし……」


 うつむいたままエレナが消え入りそうな声を落とす。カイは照れたように頭をかき、燭台の炎をふっと吹き消した。

 いつの間にか垂れ込めていた重い暗雲が払われ、部屋に満ちるのは淡い月明かり。

 射し込む月明かりを頼りにエレナの肩に手を添えた。うつむくエレナをのぞき込むようにして、カイはエレナの唇に唇を重ねた。

 夜の静寂と月明かりだけが差し込むだけの薄闇が二人を包み込む。


 ベッドに横になったまま、カイは窓からのぞく夜空を見上げた。

 隣ではカイの腕枕で、ぴたりと身を寄せるようにエレナが穏やかな寝息をたてて眠っている。

 あれから十四年か……。

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