3
風が少女の金の髪を浚う。
「フローリゼル様。」
「カイザー?」
少女――フローリゼルが振り返ると、その先に黒髪の青年――カイザーが立っていた。
「そちらは風が強いので、中に入ったら如何ですか?」
「……。」
フローリゼルは寂しげに微笑み、小さく頷いた。
カイザーは近くを歩いていた一人の黒髪の少女を呼び止める。
「リディアナ。」
黒髪の少女――リディアナは声をかけられた方を見て、満面の笑みを浮かべた。
「何ですか、兄様!?」
パタパタと駆け寄るリディアナにカイザーはまるで、子犬のようだと笑みを漏らした。
「すまないが、姫を自室に案内してくれ。」
「……。」
リディアナは先程の笑みを消し、真剣な顔をするが、ほんの一瞬だけ落ち込んだような顔をしたのだが、カイザーは気の所為だと思い、特に気にしなかった。
「いいか?」
「分かりました。さあ、姫様行きましょう。」
「……カイザー、後でわたくしの部屋に来てくださいますか?」
「はい、ルシスと共に後で参ります。」
カイザーは仕事の打ち合わせかと思い、自分の副官の名を上げるが、フローリゼルはただの誘いのつもりだったので、肩を落とした。
「分かりました、お待ちしております……。」
トボトボと歩き始める二人の少女を見詰め、カイザーは海へと視線を向けた。
「兄さん。」
カイザーの事を「兄さん」と呼ぶのは彼の兄弟の中で一人しかいない。
「ルシスか。」
「兄さん、レナーレまでは後一日でつくそうです。」
「そうか、順調に進んでいるんだな。」
「ええ、ですが…こうも順調では後々大変な目に遭いそうです。」
ルシスの物言いにカイザーは苦笑を漏らす。
「…そう悲観するな。」
「僕もそう思いますが、今までの経験で言えば、そう楽観視も出来ないんですよ。」
「まあ、そうだな。」
カイザーも何度も事件に巻き込まれてきて、その度に命を落としかけた事が何度もあったのだ。
「そういえば、ジャックは?」
「あいつは船酔いで寝てますよ。」
「そうか…、まさか、あいつに苦手なものがあるなんてな。」
「そう不思議がるほどじゃありませんよ、あいつの苦手なものなんて簡単に上げられます。」
「……。」
ルシスは何故か一つ下の弟――ジャックの事になると何故か厳しくなる。因みに彼らの兄弟の順はカイザー、ルシス、ジャック、リディアナという順になっている。
「まあ、丘に上がれば一発で復活しますよ。あれはそういう男です。」
「……ルシス、もっと、俺やリディみたいに、あいつの事も気に掛けたらどうだ?」
「いくら兄さんの頼みごとでも、こればっかりは聞けませんよ。」
まあ、大人しく頼みを聞いてくれるとは思っても無かったカイザーは小さく溜息を吐く。
「お前はいつもそうだな。」
「そういう兄さんこそ、皆に優しすぎです。」
「そうか?」
「そうですよ。……だから、勘違いするやからが出て、フローリゼル様たちの怒りを買うんですよ。」
「――?何か言ったか?」
最後の部分が聞き取れなかったのか、カイザーは首を傾げた。
「いえ、何でもありません。」
「そうか?それならいいんだが。」
「さて、そろそろ、姫の元に参りますか、兄さん。」
「ああ――って、お前何時からいたんだ?」
思わず聞き流しそうになったが、あの時、確かにルシスは居なかったはずだ。
「ああ、何となくですよ。」
「……。」
「兄さんが僕の気配を感じ取れるのは十分に知っていますよ。」
「……。」
ルシスは実際にフローリゼルと兄たちの会話は聞いていなかったが、すれ違い様に見えたフローリゼルの表情が曇っていたので、何となく彼は理解していた。
毎度の事なので、ルシスは驚くよりも先に呆れた。
兄のカイザーは将軍の位についている、剣の腕前は国一と謳われ、そして、頭脳明晰で、性格も良い。ただ、彼には大きな欠点があった。
それは「鈍い」のだ……。
彼を敬う部下は勿論、彼に憧れる女性は多い、彼らの感情を彼はうまく読み取っていない。
しかも、自分は未熟だからとかなり、身分隔てなく接するものだから、彼の魅力は大勢に知れ渡っている。
なのに彼自身はそう思っていないのか、かなり無防備でいる事が多い。
「今回の旅は何もなければいいですね。」
「誤魔化す気か?」
「まさか、僕に兄さんを誤魔化したり、嘘を吐く事なんてできませんよ。」
「まあ、そうだな。」
ルシスを信用しているカイザーは目を細める。
「そうでなければ、今俺はこの立場に立っていないのかもしれないな。」
「兄さん……。」
カイザーの言いたい事が分かるのか、ルシスは顔を曇らせる。
「僕は兄さんを裏切らない、たとえ、他の連中が兄さんを敵にしても、僕は…いや、僕たちはいつも兄さんの味方ですよ。」
「ルシス……、それは、好きな相手に言った方が良くないか?」
「……。」
「俺はお前たちが裏切るなんて事は頭から考えてない、お前たちにたとえ裏切られても、それは俺が人の道を踏み外した時だと思う。」
「兄さんが人の道を踏み外す事なんて絶対にありませんよ。」
「さあ、どうだろうな。」
カイザーは縁に手を置き、真っ青な空を見上げる。
「俺はまだ二十二だ、だから、道を踏み外さないなんて事は言い切れないさ。」
「兄さん。」
「まあ、お前たちに迷惑を掛けたくないから、絶対に道を踏み外す気はないんだがな。」
「…それでも、僕たちは兄さんの邪魔をするものは排除しますよ。」
「……。」
過激な事を言うルシスにカイザーは苦笑を浮かべ、その頭を幼い子のように撫でた。
「それじゃ、フローリゼル様の所に参るぞ、ルシス。」
「はい、将軍。」
二人は気を切り替え、きびきびとした足取りで、歩き始めた。
二人は気づいていなかった、この中で一番気配や勘の鋭い二人なのに、これから起こる事を予測できなかった。