オージン・メトオグという王子21
その後、手紙に対する綿密な打ち合わせ(エンジェがどういう人間を好みか、どういった話題が好きかといった、恋のお悩み相談ともいう)を終えると、オージンは意気揚々と去って行った。
そんなオージンの背中を、黙って見ていた悪魔様と私だったが、オージンの姿が完全に見えなくなるなり、悪魔様がその場に崩れ落ちた。
「…え!?ちょ、ご主人様!?」
慌てて駆け寄ると、悪魔様が顔を顰めて大量に汗をかいていた。もしや具合が悪かったのだろうか。全然気づかなかった。あかん、すぐに何とかしなければ…!!
「ご主人様、体調が悪いのですか!?どうしましょう。保険医の先生呼んできましょうか!?それとも動けないようだったら、ここで介抱させて頂きますがっ…」
「…耳元で叫ぶんじゃねぇ、うっせぇ。別に体調は何でもねぇよ」
悪魔様が不愉快そうに眉を顰めたので、慌てて口を閉じた。沈黙は金也。…だがしかし、やっぱり心配は心配だ。だって明らかにさっきまでと様子が違う。
思わずおろおろと視線を送ってしまった私の様子に、ディビットは大きく舌打ちをした。
「んな情けねぇ面で見てんじゃねぇ…ただ、緊張の糸が切れただけだ」
…わっつ?
「…緊張、ですか…?」
「…悪いか。王族相手にはったり噛ましたんだから、緊張くらいして当たり前だろうが」
いやいやいやいや、あんたそんなタマじゃないでしょう。
後ろに立ったというだけで、アルクやルカをぶっ飛ばし、気が弱いダーザから教科書分捕る様な男でしょうが。緊張だなんて、そんなまさか。
私のそんな内心の疑いを悟ったのか、ディビットは鋭い視線を私に投げかけて来た。
「…言っておくが、俺は喧嘩を売る相手は選別しているぞ。ちゃんと喧嘩を売っても害がなさそうな奴にしている」
いやいやいや。確かに気が弱くて、身分もそれほどでもないダーザはまだしも、後ろに立っただけで、反射的に蹴り飛ばしたルカやアルクはどうなるんだよ。選別する間も無かったでしょうが。
「…ご主人様が以前蹴り飛ばした、不良とマッチョも、敵に回すと怖い権力者ですが…」
「武を重んじて、体を鍛えている奴は気配で分かる。そしてそういう奴は、女の格好をした俺に伸されたことなんざ、言い触らせやしねぇ。恥でしかねぇからな。権力を使って復讐なんぞしたら、器量も、能力も疑われて、家の評判自体落とすのは目に見えているから、よほどの馬鹿じゃなきゃ、事実その物を胸に秘める」
…確かに。
思わず納得してしまった。ディビットの言うことは正しい。
アルクの家であるティムシー家は、武を重んじる一家だ。その精神のあり方は騎士道よりも、武士道に近い。武芸の腕だけではなく、その精神も清廉にして、気高く、ストイックであることが求められる。そんなティムシー家に属するアルクが、権力を笠に着て女相手に復讐なんかした日には、間違いなく勘当される。
ルカのポアネス家はもっと顕著だ。獣人は、なによりもその身体能力を重んじる一族だ。ルカを一発KOさせたディビットを賞賛することはあれど、逆恨みから害を成そうとするはずがない。どんな恥をかかされようが、全ては力で負けたルカが悪いのだ。ルカが正面からリベンジすることは許しても、それ以上は一族は絶対に誰も手を貸さない。
ティムシー家と、ポアネス家を知っている私には、彼らがけしてつまらない復讐など出来ないことが分かる。…分かるからこそ、ディビットの鋭すぎる勘に舌を巻く。
ディビットは、そんな背景を知らないままで、ただ気配だけで、直感的に彼らが自分に害を及ぼすことはないと判断して暴挙に至ったのだ。恐ろしすぎる勘だ。
「あいつらは別に喧嘩を売っても、大きな害がねぇ。だから、普段の俺のままで接した――だが、オージン・メトオグ…そして、隷属契約を結ぶ前のお前は別だ。準備もせずに安易に喧嘩を売ったら、家ごと俺を潰そうとしてくるのが目に見えている。それを成す家柄も、能力も、割り切れる冷酷さも持っている――だからこそ、俺はお前に隷属魔法を結ぶ前に、脳内シミュレーションを重ねて予め綿密に準備をしていた」
悪魔様はそう言って自嘲気味に笑った。自信に溢れた傲慢な笑みが似合う悪魔様には、あまりにも似合わない笑みだった。
「俺は一般庶民だから、簡単に一つの家を潰しちまえるような真の権力者には逆らえねぇのさ。せいぜい裏を描いて、騙くらかして、自分の都合の良い展開に持っていくことしか出来やしねぇ。それが相手の逆鱗に触れやしねぇか、内心ビクビクしながらな」
ルーチェ家が罰せられなかった安堵のあまり、腰が抜けるとか情けねぇ。そう言って目を伏せた悪魔様の姿に、弱弱しい様に唖然とした。
私の中の、傍若無人で理不尽な、悪魔様の像が崩れていくような気分だった。
オージンに家族ともども罰されることに、脅える?
そんな、なんで、悪魔様が怯える必要があるのだ。
悪魔様が、悪魔様の家族が、罰せられることなどあるはずないのに。
そう考えたらいても立ってもいられなくて、思わず自分の立場も忘れて言ってしまった。
「――馬鹿だねぇ」