オージン・メトオグという王子10
「…何を言ってらっしゃるのか、さっぱり分かりませんわ」
取り合えず、すっとぼけるのがこの場では最善だろう。
私はまっすぐにオージンを見据えながら、笑みとともに言い放つ。目の動き、声の抑揚、全てを一瞬で脳内計算して、けして不自然にみえないように取り繕う。脊髄反射で体を動かせる私は、さすがにハイスペックだと思う。
「ルクレア嬢、まばたきの回数が通常の1.3倍になっているよ。演技をするなら、もっと完璧にしなければ」
……そして、微笑みながら、私のハイスペックな演技の穴を指摘するオージンは、きっと人間じゃない。
きっと、超優秀な魔術師によって創られた、超精巧な魔術人形にちがいない。うん、きっとそうだ。
何だ、1.3倍って。いつのまにまばたき回数とか数えてたんだ。怖いわ。
「……そもそも私は、殿下が天使と称する姫君がどなたかもしれないのだから、答えようがありませんわ」
「エンジェ・ルーチェ」
オージンは躊躇うことなく、私が予想していたその名を口にした。腹の探り合いは、もはや放棄するようだ。
「君がずっと嫌って苛め抜いていたのに、ある日突然和解した一般庶民出の少女の名前だ。知っているだろう?」
オージンの言葉に、私は鷹揚にうなずいてみせた。
「もちろん知っておりますわ。彼女とは、今や親友と言っても良い間柄ですもの。だけど、彼女が殿下の想い人だとは思いもしませんでしたわ。それにエンジェが別人というのはどういうことですの?」
「まだ、とぼけるのかい?ルクレア嬢。私は、君が彼女と和解した背景にこそ、彼女の正体の真実があるのだと思っているのだけれど。だって、一方的に嫌っていた相手を、ある日を境に手のひらを返したように好きになるなんて、よっぽどのことが無ければまずありえないじゃないか。…そう、例えば、相手の重大な秘密を知ってしまうとか、そういった重大な出来事が起ったりしないかぎりさ」
…うーん。あてずっぽうかもしれんが、なかなか惜しいところついてくるな。この王子様は。
確かに秘密を知ってしまったのが、私とエンジェ(ディビット)の関係の変化の要因といえば要因である。あの時、私がディビットが男だと気付かなければ、今はまた違った未来があったのだろう…。あの日の私に言ってあげたい。イベント失敗とかどうでもいいから、エンジェなんか探すなと。切実に!!
…まぁ、惜しいといっても、さすがに秘密を知ったせいで隷属魔法を行使されたとまでは思い至らないだろーけど。
エンジェ・ルーチェの正体が男で、しかも禁呪とされている隷属魔法の使い手だなんて真実、そうそう辿り着けるものじゃない。
「私はただエンジェと語り合って、自身の間違いに気づいただけですわ。おかしな邪推はなさらないで下さる?」
「邪推ねぇ…」
…完全に信用してない目だな。駄目だこりゃ。
なんとしてでも隙を作って逃げ出さないと、ろくでもないことになりそうだ。
私はなんとかオージンを振り切るべく、脳をフル回転させる。
しかし、私の脳が案を出す前に、オージンはますます私を追いつめてくる。
「…ねぇ、ルクレア嬢。私は君が思っている以上に、君のことを分かっているつもりだよ」
耳元で囁かれるその言葉は、まるで睦言のように、どこか怪しい雰囲気を持っていた。
今の様子を第三者がみたら、私がオージンに口説かれているのかと勘違いするかもしれない。
だが、現実は蛇に睨まれた蛙のごときだ。そんな甘い雰囲気とは程遠い。
「君は野心家にみえて、実は安定志向で保守的だ…違うかい?」
「………」
まさにそうだ。当たっている。
個人的に、家が没落でもしない限りは、これ以上の地位なんかいらない。誰かと争って敵を作ってまで、ボレア家の勢力を拡大させたいとは思わない。それより本でも読んで引きこもりたいというのが、本音だ。
だけど、そんな本音、けして表に出してこなかったのに。恐ろしい観察眼だ。
「ルクレア嬢…そんな君が、わざわざ次期王と言われている私に逆らうのは、得策じゃないと思わないかい?協力して恩を売る方が賢いと思うけれど」
つまり、『協力しなければ潰す』と言外に告げているのだ。
オージンの目は本気だ。私が逆らうようなら、こいつはずっと私を敵とみなすだろう。厄介ごとが、延々とついて回る事態は、私の望むところではない。
ならば、私の答えは一つだ。
私は微笑みながら、懐からしまっていた扇を取り出すと
「……煮るなり焼くなりお好きになさったら如何ですか?」
壁についたオージンの手に勢いよく、降り下ろした。
「オージン殿下がそのような私的感情で私と敵対するというなら、私はボレア家の総力を持ってして手向かうまで。どうぞお好きになさって下さいませ」
先程までの恐怖心は一瞬で消え失せ、別の感情が私の内側から混み上がっている。
それは、激しく燃え立つような「怒り」
平穏?
安定?
――知ったことか。
オージン・メトオグは、侮った。
私を、
ルクレア・ボレアを
ボレア家そのものを
それは、私のけして触れてはいけない琴線。
「――全力で叩き潰してあげますわ」
私は、私のボレア家としての誇りを傷つけるものを、例え王族相手だろうとも、けして許さない。