そして悪魔は恋を識る21
ああ、やってしまった。
言ってしまった。
もう、これで終わりだ。――もう、戻れない。
胸の奥に滲む寂寥感と喪失感を噛みしめながら、ルクレアから背を向ける。
「――話したいのは、これだけだ。それじゃあ、俺は行くわ。お前もさっさと精霊呼びだして、安全な状態で戻れよ」
こんな情けねぇ顔、ルクレアに見られるわけにはいかない。
きっと俺は、今、泣きだす直前のガキみてぇな顔になっているだろうから。
そのまま顔を見られないうちに、振り返ることなく、その場を去ろうとした。
「――私、だよ」
しかし、踏み出しかけた足は、背後から掛けられたルクレアの声に止まった。
「…私が、クレアだよ…!!11年前にデイビットを傷付けた、復讐の相手は、私なんだ…!!」
何を、言い出すんだ。いきなり。
何でここで、正体をばらすんだ…!?
ルクレアの告白の内容自体は、さして俺に衝撃は与えなかった。
もしかしたら違うかもしれないと自分に言い聞かせていただけで、心の底では本当は分かっていたから。
俺の心をこれほど揺さぶる女が、この世に二人もいるはずがねぇことを、知っていたから。
本当は知っていた。だけど、俺が知っていたことを、ルクレアが知るはずがない。俺自身ですら、今この瞬間まで認められていなかった事実なのだから。
それなのに、どうして、このタイミングで正体をばらす?
せっかく、解放してやったのに。
あの男と幸せになれるように、自由にしてやったのに。
何で、自分から、俺に囚われる道を選ぼうとするんだ…!?
「復讐、するんでしょ…?だから、駄目だよ…隷属契約解除なんかしたら…どっか遠くに行ったりなんかしたら、駄目だよ…」
振り返って、目があった瞬間、ルクレアはぼろぼろと泣きながら、笑った。
ひどく、嬉しそうに。
「だから、離れて行かないで…傍にいさせて…――デイビットが、好きなんだ」
ひゅうっと、喉の奥が鳴った。
今、ルクレアは、なんて言った?
俺のことが、一体何だと言った?
「好きで好きで仕方ないんだっ……!!」
その言葉を聞いた瞬間、世界が弾けた。
世界が弾けるような、激しい衝撃を俺は知っている。
空の色も、聞こえる音も、取り巻くありとあらゆる情報に大きな変化はないのに、全てががらりと変わって見えるその瞬間を、俺は以前も経験した。
『初めまして。私は…クレア。お父様に連れられてここに来たのはいいけど、お友達もいない初めての土地に、すごく緊張しているの』
春の日差しの下で、幼い日のルクレアが小首を傾げて俺に微笑みかける。
『ねぇ、貴方、私のお友達になってくれる?』
――ああ、そうだ。この感情は
この感情の、名前は
未だ立ち上がれないでいるルクレアに視線を合わせるようにかがみこむ。
「――やっぱりあの時の糞女はてめぇか」
俺の言葉にルクレアは、驚いたように目を見開いた。
「…知って、いたの?」
「…確信はなかったけど、な」
確信というよりも、確証か。…証拠がないことを、認めない言い訳にしていた。
認めてしまえば、全てが変わってしまうようなそんな気がして、ルクレアがクレアと重なる度、その事実から目を背けていた。
「良く似た偽名。あの時のお前を彷彿させる高慢ちきな態度。身体的特徴の一致…そりゃあ、もしかしたらと思うだろう。それに…」
「それに…?」
一度認めてしまえば、ルクレアがクレアであることなんて、明白なのに。
「――それに、俺は昔も今も、お前ほど綺麗な奴を見たことがねぇ」
俺が視線を奪われる相手は、心から綺麗だと思う女は、今も昔もこの世でただ一人、ルクレアだけなのだから。
「――あー。なんだ?お前、俺のことが好きなの?本気で?」
俺の言葉に赤くなったルクレアの顔を見ていたら、急に気恥ずかしくなった。
こくりと一つ頷いて肯定したルクレアの反応に、茶化すように鼻で笑ってみせる。
「……趣味悪ぃな」
あの男を選んだ方が、よっぽど幸せになれるだろうに、俺なんかを好きになるなんて、本当に趣味が悪ぃ。
「……―知ってるよ!!」
今度は羞恥ではなく、怒りで顔を真っ赤にして眉を吊り上げるルクレアの姿が、非常に愉快だった。
「――まあ、俺も人のこと言えねぇけど」
「…え」
人のことなんか言える筈がない。
本当に俺は趣味が悪ぃ。
――俺の初恋をずたずたに傷つけた女に、二度も惚れるだなんて。
…否、違うな。二度惚れたわけじゃない。
憎んでいるつもりで、いつか復讐してやるつもりで、恨んで、呪って、10年以上もずっとルクレアに囚われていた。
ずっとルクレアのことだけを、思い続けていた。
――10年以上もずっと、ルクレアに恋をしていた。
ずっと恋をし続けていたんだ。ただ、そうと認識していなかっただけで。




