そして悪魔は恋を識る20
「…なんで!!何で、急に!!」
「そんなことないよ!!今だって、誰もデイビットの正体なんて疑ってない…!!今まで大丈夫だったんだから、卒業までくらい全然平気だよ!!」
動揺を露わにするルクレアの反応に、気持ちがぐらつく。
動揺、してくれるのか。
俺から、離れたくないと思ってくれるのか。
思わず出そうになるそんな言葉を呑みこんで、ルクレアの手を喉元に当てた。
「――お前はこれを触ってもまだ、んなことが言えんのか?」
「…っ」
「…幸か不幸か俺は女顔なうえ、早生まれな分もあって同年代の野郎より発育が遅れている。―だけど、それでも俺は男だ。この八か月の間、徐々に声も低くなってきたし、背だって伸びている。夜中になると、成長痛で全身が痛ぇ。まだ困っちゃいないが、そのうち髭だって生えてくるだろう。…どう考えても、この先もずっと女装を続けていくなんて不可能だ」
それはルクレアにというよりも、自分自身に言いきかせる為の言葉だった。
潮時なんだ。いい加減。
例えいくら俺がこのままエンジェのふりをして学園に通うことを望んでも、現実がそれを許さない。
「…まあ女装生活なんて黒歴史だけど、思えばいい経験したよな」
ルクレアの姿を意図的に視界から外して、懐かしむかのように淡々と言葉を紡ぐ。
「逆ハー計画?は失敗して望む下僕は作れなかったけど、普通は貴族じゃねぇと勉強出来ねぇ文官になる為の知識も得られたしな。…お蔭で来年の文官試験はかなり有利になった」
だけどいくら視界に外そうとしても、気が付けばまた視線は勝手にルクレアを向いていた。
まるで瞳が、少しでも長くルクレアの姿を網膜に焼き付けようとしているかのように。
「…でも、でもデイビット、良いの?」
「何がだ?」
「本当にエンジェちゃん、学園に来て大丈夫なの?危険じゃ、ないの?」
ルクレア…んな目で俺を見るな。
んな縋る様な目で見られたら、期待しちまう。
期待して――お前を、離せなくなる。
「二年になったら、俺に執着しているアルクは卒業する。オージンは、愚姉の意志を尊重して卒業までは、あいつが望む距離感を保とうとするだろう。ルカに至っては、惜しい所まで行ったとはいえ、それでも大勢の前できっちり負けたんだ。銀狼狙いの奴から敵意を持たれてはいない。文官コースなら高い身体能力を期待されることもねぇし、その能力を披露する場もねぇから、武術大会を見ていた連中に能力の差を訝しがられることもない…何が、問題があるんだ?」
「っ問題、あるよ…!!」
噛みつかんばかりの勢いで、続けられた言葉は、完全に予想外の物だった。
「――私が、いる!!」
…は?
「私が、デイビットがいなくなったら、エンジェちゃんを虐めるかもしれない…っ!!ほら、隷属の印だって、主人が遠ざかったら効果は薄れるよ!!だから、だから…」
…いきなり何を言いだすんだ。こいつは。
「――お前が?」
思わずため息が漏れる…やっぱりアホだ、こいつ。
「ねぇな」
「っなんで、分かるの…!!あるかもしれないじゃない…!!」
「分かるに決まっている――半年以上、ずっとこうやって交流してきたんだから」
学園に入学してからずっと、ルクレアを近くで見てた。だからはっきりと言い切れる。
「今のお前が、愚姉苛めなんか出来るわけねぇよ…それがあいつにとって、デメリットしかねぇ行為だって分かっているから。何だかんだでお人よしなお前は、『周囲の人間の好感度を上げてやる為』という大義名分がない限り、苛めなんか出来るわけがねぇ。寧ろ、お前は同じ転生者?なあいつに同情して、手を貸そうとすんじゃねぇのか?」
「…う…」
告げた言葉はルクレアを認めるものの筈なのに、ルクレアの顔は泣きそうに歪んだ。
「…そんなの、分からないじゃん…」
弱弱しく否定の言葉を吐き続ける姿に、苦笑が漏れた。
「だから分かるっつーの。俺は、お前がけしてエンジェに手を出す訳ないって信じている――だから、もういいんだ」
もう、いい。
これで、十分だ。
ルクレアがこんなアホなことを行ってまで、俺を引き留めようとしてくれた。
それくらい、俺と離れたくないと、そう思っていてくれた。
それだけで、もう十分だ。
十分だと俺は、満足すべきなんだ。
伸ばした手を、ルクレアの首元に掲げる。
「…もうお前が俺の下僕で居つづけなくても、良いんだ。ルクレア。…俺に縛られないで、好きな相手と、好きに生きろ。――【解】」
言葉を口にした途端、ルクレアの首につけていたチョーカーがパキリと音を立てて割れ、首元から眩い光が溢れはじめた。
光はルクレアの全身を包むように徐々に強くなっていき、そして目が眩むばかりに一際強く光ったのを境に、そこから徐々に弱まって行った。
光が無くなった瞬間、全身から力が抜けたように、ルクレアがくりとその場に座り込むのが見えた。
呆然とこちらを見るルクレアに、俺は笑いかけた。
「喜べ。ルクレア。――これで、お前は自由だ」
その瞬間、俺とルクレアの間にあった「契約」という絆は、完全に消滅した。




