そして悪魔は恋を識る18
二日、自室に引きこもって、決心した。
身代わりをやめて、エンジェをちゃんと学園に通わせよう。
身体的にも、女のふりはいい加減限界だ。もともと持って一年ぐらいだと思っていた。
今の状態ではルクレアによるいじめの心配もないし、二年になれば俺に執着するアルクもいなくなる。今からオージンと相談して受け入れ体制を整えておけば、いくらあの小心者の引きこもり愚姉とはいえ、残り二年くらい学園に通えるだろう。
そしてそうなったら――ルクレアを、解放してやろう。
どうせ、学園から去ったら、俺とルクレアの接点なんてほとんどなくなるんだ。無理に契約を継続させる必要はない。
俺がちゃんと文官の試験に受かって、さらに出世して、貴族の地位を手に入れて――そこまで行っても、ボレア家直系の貴族なんて縁遠い存在だ。学生時代だからこそ、今の距離間でも許されているだけで、元々あいつは別の世界の人間なんだ。
俺のものだなんて――勝手に俺がそう信じていたかっただけで。
二日ぶりに自室を出た俺は、学園に届けを出して実家に帰ることにした。
面倒臭い引きこもり女を、説得する為に。
「――っエンジェてめぇいい加減にしろよ!!俺が学園に戻れって言った瞬間、部屋に立て籠もりやがって!!もう五日経ったぞ!!そうやって逃げればいつも許されると思ってんなよ!!」
「…だって、やだ…外怖い…いいじゃん、あと二年くらいデイビット通えば…」
「っだから、いい加減女装も限界だって何度言わせば理解しやがるんだ、ぼけぇっ!!」
「大丈夫…デイビット、女顔の美少年…まだまだイケる…多分、20歳くらいまで…」
「てめぇ、碌に顔もみねぇで引き籠った癖に、何を根拠で言いやがってんだ?ああ?じっくり、成長した俺の体見せつけてやっから、いい加減部屋から出てきやがれっ!!」
「……やだ……」
「エンジェっ!!!!」
頑なに考えを曲げようとしないエンジェの様子に苛立って、思い切り扉を拳で殴る。
エンジェによって、どんな武器を持ってしても壊せないような耐衝魔法が施されている為、扉は俺の拳くらいではびくりともしないが、それでも派手な音は響き中でエンジェがビクついたのが分かった。
…びくびく怯える癖に、そのくせ絶対考えは曲げねぇなんだよな。この糞女。
「…なあ、エンジェ…頼むよ。俺、ちゃんとお前の為に、一年身代わりやってやっただろう?」
こうなったら泣き落とししかねぇと思い、一転して弱弱しく発して見せたその声は、自分でも驚くほどの会心の出来栄えだった。
「限界なんだよ…二年からで、いいんだ…頼む…もう、無理だ」
身を切る様な、どうしようもなく悲痛な声。
…俺、こんな演技も出来たんだな。流石、俺。天才じゃねぇ?
あ、よく見ると手まで震えている。すげぇ。意識してねぇのに、完全にそういう心情なり切っているじゃねぇか。
「…デイ、ビット」
次の瞬間、あれほど頑なに閉じられていた扉があっさり開いた。
開いた扉の向こうには、唖然と目を見開く、俺と瓜二つなエンジェの顔。
…馬鹿め。騙されやがったな。
しかしようやく見えたエンジェの姿は、何故か滲んで見えた。
「デイビット…泣いて、いるの?…」
何言ってんだよ、こいつ。泣いてなんかいねぇよ。嘘泣きに決まってんだろ。泣き落としで、お前を外に出させるための演技だよ。まんまと引っかかりやがって、ばーか。
そう言おうと思ったのに、なぜか言葉にならなかった。
瞬きをした瞬間、生ぬるい何かが、頬を伝う。
「デイビット…やっぱり泣いている」
エンジェの顔がくしゃりと歪んだ。
「…っごめん、デイビット…!!」
次の瞬間、俺は泣きじゃくるエンジェに抱きしめられていた。
「ごめん…私が、わがままだった…デイビットは私の為に一年間、頑張ってくれたのに…外が怖くて…怖くて仕方なくて…それしか、考えて無かった…自分のことしか、考えて無かった…デイビットのこと、何も考えて無かった…」
耳元で、ひくりとしゃくりあげる声が聞こえた。
「行くよ…ちゃんと二年になったら、ちゃんと覚悟決めて学園に向かうよ…だから、デイビット」
そういってエンジェは涙と鼻水でグシャグシャの真っ赤な顔で、真っ直ぐに俺を見た。
「…だがら、デイビッド…泣がないで…」
おいおい、何言ってやがる。泣いてるのはてめぇだろうが。
俺と同じ顔で、みっともない顔を晒しやがって。ボケ。
だいたい何で、お前が泣くんだよ。全ての元凶の癖に。
お前が我儘言わなきゃ、そもそもこんなことになって無かったのに。
エンジェの手が俺の目元に伸ばされる。
その指先が目尻をぬぐった瞬間、脳内でぷつりと何かが切れた音がした。
「…いつも我儘ばかり言って、迷惑ばっかりかけてやがる癖に…」
ひくりと、喉がなり、自身の顔がエンジェと負けず劣らず歪むのが分かった。
「…こんな時だけ、いい姉貴ぶってんじゃねぇぞ…ぼげぇ…」
限界、だった。
叫んだ瞬間堰を切ったように、だらだらと目から涙が零れ出した。
震える手を、縋るようにエンジェの背中に回してしがみ付く。
エンジェに縋りながら、俺は嗚咽をあげた。
悔しかった。
苦しかった。
辛かった。
悲しかった。
ルクレアを手放さなければならないことに、そしてそれがルクレアにとって一番の幸せに違いないことに、俺は11年前のあの幼い日の頃のように、馬鹿みてぇに声をあげて、ただひたすらに泣いた。




