そして悪魔は恋を識る17
「……私も、マシェル・メネガという人間が好きだ」
そう言って、ルクレアは優男に手を差し出して笑った。
「だから、どうかこれからも宜しくお願いします」
優男の手が、差し出されたルクレアの手と重なる。
「ああ、これからも宜しくな」
その言葉を聞いた瞬間、俺はその場から背を向けて駆け出していた。
優男と、ルクレアがしていた約束が、約束の行方か知りたいがあまり、教師が時間配分を間違った故に普段より長引いた授業が終わるなり、足は自然と昨日の場所へと向かっていた。
そしてそこで見たのは、泣きはらした顔で微笑み合いながら、優男の手を握って好意を口にするルクレアの姿だった。
なんで、何でだよ。
昨日、お前は、その優男より俺を取ったじゃねぇか。
俺がいいと、そう言ったのに…何でだよ…!!
「――あれ?デイビット。珍しいやんか。こないな時間に帰ってくるなんて。今日は修行休むん?」
息せき切って寮の部屋に飛び込んだ俺を見て、共同スペースでくつろいでいたキエラが目を丸くした。
「…ああ、ちょっと体調が悪ぃんだ…」
「あらま。薬でも買ってきたろか?」
「いい…寝てれば治る。…移すのが心配だから部屋には入ってくんなよ」
ぶっきらぼうに言い放って、心配げなキエラの視線を振り切るように、そのまま自室へと向かう。部屋に入るなり、キエラが気まぐれでも入ってこれないように鍵をかけて、うつぶせにベッドに倒れ込んだ。
胸が、痛い。
息が苦しい。
目の前が、ちかちかする。
「…くそっ」
ベッドのスーツに爪を立てて、そのまま握り込む。
先程のルクレアの姿が脳裏から、離れない。
ルクレア…お前はあいつの気持ちを受け入れるのか?
俺よりも、あいつの隣にいてぇのか?
お前はあいつが、俺よりも好きなのか?
「…当たり前、だよな」
口から乾いた笑みが漏れた。
「ルクレアが、俺よりあいつを選ぶのは、どう考えても妥当な選択だよな…」
あいつは、貴族で、俺は庶民で。
俺はあいつを隷属魔法で縛り付ける悪逆非道な悪役で、あいつはそれを救い出そうとする正義の味方で。
昨日のルクレアの態度がおかしかっただけで、普通の感性を持った貴族の女なら誰だって俺よりもあいつを選ぶだろう。
…そうだ、思い出した。あいつ、クラスの女子が騒いでいた【氷の貴公子様】じゃねぇか。
現宰相の息子で、氷魔法の天才だっていう。学業だって、ルクレアと争うくらいには優秀だとか、確かんな話をしていた。
――何だ、それ。俺、全然勝ち目なんかねぇじゃねぇか。
高い身分もあって、高い魔法能力があって、学業も優秀で、正義感が強くて誠実で。
顔だって随分と男前だった…未だ女装が出来てしまうくらい女顔な俺とは違う。
ダンスだって、あいつは貴族の嗜みとして完璧にこなすのだろう。きっと。物腰だって、粗野な俺と違って柔らかくてスマートだった。
そんな完璧人間に、どうやったら勝てるっつーんだよ…!!
(だけど、ルクレアは昨日、俺を選んだ)
(あいつよりも、俺がいいと言った)
(俺の傍にいたいのだと、俺に手を出すなら許さないとそう、言った)
――だけど、そんなのただの気の迷いではないと、何故言い切れる?
――ひと晩経てばすっかり考えが変わっていることだって、人間、ある
――それに、もしかしたら、ルクレアはあの時実は隠れている俺の存在に気付いていたのかもしれない
――俺の存在に気付いていたから本音を言えなかっただけで、本当はあの優男の手を取りたかったのじゃないのか
浮かび上がる、縋る様な言葉は、すぐさま悲観的な言葉に上書きされていく。
頭の中が、ぐちゃぐちゃだった。
いやだ
いやだ
いやだ
いやだ
あれは、俺の物だ。
誰にもやらねぇ、俺の物だ。
俺だけの物なんだ。
――ああ、でも
優男に対峙していた時のルクレアの顔を、思い出す。
優男の手を取って笑うルクレアの顔は、未だ乾ききらない涙で濡れていたが、それでもひどく嬉しそうだった。
――ああ、でも。
俺の感情抜きで、ルクレアのことを考えるならば。
「…あいつの方がルクレアを、幸せに出来るよな…」
ぽつりと吐き出した言葉は、情けないまでに掠れて、弱弱しかった。




