そして悪魔は恋を識る7
腕の中のルクレアは、人より発育が遅い俺の体でもすっぽり覆えてしまう程、細かった。
通常装備の高慢な仮面から発せられる威圧感から、勝手に背も高いように錯覚していたが、こうやって見ると俺より少し背が低い。
鼻先を擽る髪の毛から、ふわりと甘い香りがした。
…何つーか。――ちゃんと『女の子』なんだな、こいつ。
そう改めて実感した途端、かあっと顔が火照った。
「――言っとくが鼻水を俺の服につけたら、後でお仕置きだからな」
「……もう今の時点で、手遅れでず…既に、大ぎな鼻水の染みが…」
「……よし、ルクレア。お仕置きポイント1追加な。10溜まったら、豪華なお仕置きが待っているから、楽しみにしてろ」
いつもの調子でからかい交じりにルクレアを脅しながら、必死に早鐘を打ちそうになる心臓を落ち着かせる。
…大丈夫。こいつは気が付いていない。こんなに顔を密着していても気づかれないくらい、心臓の早さはそう変わっていない。俺は、平静だ。
俺はちゃんと普段通りの俺でいれている…筈だ。
「……ぷはっ」
突然噴きだしたルクレアに、一瞬俺の内心が見透かされたかと身構える。
だけど、そんな俺の変化なんか気付かずに笑いを堪えているルクレアの様を見るに、単純に俺の言葉がツボにはまっただけのようだ。
――紛らわしいことやりやがって。
ちょっと焦ったじゃねぇか。
「……なんだ。そんな泣かねぇうちに、笑える余裕出てきたじゃねぇか」
八つ当たりも兼ねてより乱暴に頭を撫でてやると、ルクレアは痛そうに顔を顰めた。そんなルクレアの反応が面白くて一層手に力を入れていると、不意に物陰から刺すような視線を感じた。
視線の発信源に目をやると、木の陰に隠れてルクレアとじゃれ合う俺を妬ましそうに――それでいて非常に切なそうに見ている、見覚えがある精霊の姿が目に入る。
…いや、本当言えば最初から気付いていたって言えば気付いてはいたんだが。目に見えて分かる面倒事に首突っ込む気なんかさらさらねぇから敢えて視界に入れず無視を決め込んでいたんだが…。
――くそ。面倒臭ぇな。
全く、主従そろって世話が焼ける奴らだ。
「もう大丈夫そうだったら、さっきからそこの木の陰に隠れている奴と話してやれよ」
「…え」
俺の言葉に、ルクレアもまた俺の視線を追う様にして、視線の主の姿を目に留めた。
「……シルフィ」
「お前が来た時から、あいつ、ずっとあそこでお前の様子うかがってたぞ。こっそりお前の後、着いて来てたんじゃねぇの?」
俺の言葉に息を飲んだルクレアは、少し考えてから俺の腕を抜け出して、真っ直ぐに精霊の方へと足を進めていく。
…腕の中に感じなくなった体温に、どうしようもない喪失感を感じたのは、きっと気のせいだ。
「シルフィ…」
ルクレアはその場にしゃがみ込んで、下から精霊の顔を覗き込んだ。
「…ねぇ。シルフィ。何も言わないでいいから、私の話を聞いて?」
「………」
「――シルフィ。私はシルフィにとって、あまり良い主人だとはいえないね」
「自分の感情のコントロールも出来ずに、負の感情で鬱々となって、シルフィ達を心配させて。シルフィが私を心配するがあまり起こした行動を、勝手なことをするなと責め立てて。そして何より、シルフィの想いをずっと気付かなかった。…よくよく考えると、本当にひどい主人だ」
「……マスター…ソンナ、コト…」
「そんなことあるんだよ…私はまだまだ精神的にも、未熟なケツの青い小娘なんだ」
精霊に向かって真剣な表情で話しかけるルクレアを、俺はただ黙って眺めていた。
「傷つけてごめんね。シルフィ。立派なマスターじゃなくてごめん…だけど」
ルクレアは謝罪の言葉を口にしながら、壊れ物を抱くかのようにそっと精霊を抱いた。
「だけど、シルフィが許してくれるなら、私はこれからもシルフィの主人でいたい。シルフィに、傍にいて欲しい」
精霊と頬を擦り合わせながら、ルクレアは心底愛おしげな表情で言葉を続けた。
「だってシルフィが、大好きだから…誰が一番かなんて決められないけど、他の精霊達と同じくらい、シルフィが大大大好きだから」
――ルクレアにこんな言葉を向けられる精霊が、一瞬妬ましいと感じちまったのは、ほぼ間違いなく、99.9999%、気のせいだ。
気のせいに、決まっている。