それぞれの恋の行方3
「…約束ですもの。当然でしょう」
私もまた、そんなマシェルに平常を装って笑みを浮かべ返す。
「マシェルこそ、来てくれて嬉しいわ。ありがとう。それで昨日の話の続きなのだけど…」
「――ルクレア、いい」
普段通りを意識しながら続けようとした言葉は、マシェルの言葉によって遮られた。
マシェルは口元に笑みを浮かべたまま、静かに首を横に振る。
「そんな風に話さなくて、いい――昨日の夜のように、話してくれて構わない」
「…昨日?」
マシェルの言葉の意味がとっさに分からなかった。何か、私は昨日おかしなことをしただろうか。正直無我夢中だったから、自分の行為を客観的に記憶していない。
戸惑う私に、マシェルはそっと目を細めた。
「昨日の話の途中から…お前は精霊と対峙しているような口調で、私に話しかけてくれただろう…嬉しかった」
「…あ」
『違うっ!!…望んでないわけじゃないんだ…!!確かに、最初は一方的だったけど、今は私は望んでこの立場にいるんだ…っ!!』
『――明日の、放課後!!ここで、さっきの話の続きを、しよう!!』
『マシェルの言いたいこと、全部聞くよ!!話せることは、全部話す!!だから、明日放課後ここに来て!!』
思い出した自分自身の台詞に、思わず口元に手を当てた。
今の今まで気付かなかった。動揺のあまり、すっかり素の自分の姿をマシェルに晒していた自覚すらなかった。
だけど、マシェルのこの反応。
これじゃあ、まるで、私が昨日失敗する前から…
「――知っていたの?」
愕然と目を見開いてマシェルを見る私に、マシェルは呆れたように溜息を吐いた。
「…以前シュガー嬢も言及していたが、お前の演技はところどころ杜撰すぎるぞ。いくら物陰に隠れてとはいえ、結界も盗聴防止魔法も使用しない状態で、四六時中精霊達に接しているんだ。意識してお前を眼で追っている人間なら、すぐ気が付く」
……嘘ん!?私が隠れドジっこなことばかりでなく、精霊ラブな精霊馬鹿なことまで、周囲にバレバレなの!?何それ、衝撃的過ぎる…!!
でもチャンスがあれば精霊達構っていたい私としては、精霊達と戯れる度にいちいち結界なんか張ってられないよ…!!そんな時間あるなら、その分だけ長く精霊達と触れ合っていたいよ…!!
…うん、私はそのことを後悔なんか、しない。いくら傍からは間抜けだと思われていても、後悔なんかするもんか…!!けして、けしてだ…!!
「…だから、ルクレア。今は素の口調で話して欲しい」
一人頭を抱えて悶絶する私を、マシェルは真っ直ぐに見据えて言った。
「お前の素の口調で――お前の心からの言葉が聞きたいんだ」
その青い瞳に宿る熱に、ぞくりと肌が粟立った。
――ああ、嫌だ。始まってしまう。
そう思った途端、鉛を呑んだかのように胸の奥がずしりと重くなった。
嫌だ。
逃げたい。
今なら、まだ間に合う。
今、背を向けて走り去れば、決定的な言葉を聞かなくて済む。
そうすれば、知らないふりを続けられる。――このままの関係で、いられる。
思わず逃げをうってしまいそうになる足を、心を、意志の力で押さえつける。
逃げちゃ、駄目だ。逃げちゃ、駄目だ。
ちゃんと向き合わなければ。…約束、したんだ。
大きく息を吐き出して、早鐘を打つ心臓を必死に落ち着かせる。
――大体、逃げるようなことじゃないじゃ、ないか。
最近やたら、虐げられる機会が多くて自分でも忘れがちだけど、元々私はサディストじゃないか。傷ついて屈辱に歪む顔に高揚を覚える、変態的性癖の持ち主じゃないか。
そう考えれば、マシェルを傷つけることなんて嫌がることじゃない。寧ろ、ご褒美だ。
実際、以前はコンプレックスをつついてマシェルが傷ついて顔を歪める様子に、ぞくぞくしてたじゃないか。
それが、コンプレックスじゃなく、恋情なだけだ。…何が違うというんだ。
喜べ、喜べよ、私。
イケメンを振って、傷つけるなんて機会、そうそうないぞ?満たされる自尊心と、嗜虐心に、女王様のごとく高笑いを浮かべればいいじゃないか…!!
いくらそうやって自分自身に言い聞かせても、息が詰まる様な苦しさは、消えてくれなかった。消えるどころか、一秒ごとに増々胸が苦しくなる。
「…ルクレア」
名前を呼ぶ真剣な声に、泣きそうに顔が歪むのが、分かった。
――違うよ。やっぱり、違う。
以前私が意図的にマシェルを傷つけた時とは、訳が違う。
あの時、私はマシェルが嫌いだった。
大嫌いで、いけ好かない奴だと、そう思っていた。ことある事に突っかかってくるマシェルが鬱陶しくて、向けられる負の感情が不愉快で仕方なかった。
だけど、マシェル。今は、違う。私がマシェルに対して抱く感情は、あの時とは全く、違うんだ。
躊躇うように言葉を呑んで少しの間視線を伏せたマシェルが、再び顔をあげて私を見ながら口を開いた。
「――私は、お前が好きだ。友人としてではなく、異性として、お前を好いている。どうか結婚を前提に、私の恋人になってはくれないだろうか」
ガラスが割れるような、高い不協和音が耳の奥で響いた気がした。
その言葉を聞いた瞬間、自分の中で、何かが終わったのを感じていた。
――マシェル。
あの時と違って、私は今、マシェルのことが好きなんだよ。とても、好きなんだ。
「――ごめん、マシェル」
思わず俯きそうになる顔を必死にあげて、真っ直ぐにマシェルを見つめ返すと、はっきりとした口調で返事をした。
「好きな人がいるから、私は、マシェルの恋人にはなれない」
――例えその好意が、恋愛のそれじゃなかったとしても。