アルク・ティムシーというドエム41
「ええ…月はいつでも綺麗だけど、この季節の月は格別だわ」
絞り出すように発した言葉は、まるで作り物のように白々しく響いた。
マシェルは文字通り、ただ月を愛でているだけ。
動揺なんかする必要がない。そんな状況なんかじゃ、ないんだ。
私の返答にマシェルは視線を月から私に映した。
そして暫く黙って私を見て、やがてまぶしいものでも見るかのように目を細めた。
「……もし月よりも、今日のお前の方が綺麗だと言ったら笑うか?」
ふざけるように言われた言葉に、心臓が跳ねる。
口調とは裏腹に、向けるまなざしは、言葉に含まれた響きは、真剣だったから。
「…笑わないけど、似合わないわ。そんな古典的な口説き文句。オージン殿下でないんだから」
茶化すように返すと、途端にマシェルの表情が曇った。
あ、失敗した。今のマシェルの状況で、オージンの名前は出すべきでなかった。
そう後悔しても、すでに一度口にしてしまった言葉は消せない。
「…それより、マシェル。どうして舞踏会ホールに居なかったの?学園行事に参加しないなんて、真面目な貴方らしくないわ」
「――見たくなかったから」
取り繕うように咄嗟にした問いかけは、一層私をどつぼに嵌める。
「お前がオージン殿下と踊る姿を見たくなかったから、ホールにはいかなかった」
真っ直ぐに向けられる、マシェルの目が、痛い。
冷たい汗がこめかみを伝う。
「そう…自分が良いパートナーを得ることが出来なかったから、負けた気になって悔しいのね」
「そうだ…唯一の望みの相手とパートナーになれなかったことが、悔しくて苦しくて仕方ない」
鈍感なふりをして、惚けて誤魔化そうとしても、マシェルはけして私を逃がしてはくれない。
思わず被った仮面をかなぐり捨てて、泣いてしまいそうになる。
やめて、くれ。
そんな目で、私を、見ないで。
そんな、まるで愛しい相手を見るような、そんな目で。
体が震えて、口の中が乾いた。
視線から逃れるように、俯く。
――嫌だ。
私は、嫌だ。
向き合いたくなんか、ない。
私はマシェルの気持ちと向き合って、今の関係を変えたくなんか、ない…!!
脳裏に浮かぶのは、先日思い出したばかりの記憶。
目に涙を浮かべながら、憎悪に満ちた目を向ける、デイビット。
……もう、あんな風に誰かを傷つけるのなんて、ごめんだ。
例えかえって残酷だと詰られようと、私は知らないふりを貫く。
「――私、ちょっと外の空気を吸いにきただけなの。もう帰らなきゃ……」
早口で告げるなり、背を向けてホールへと足を向けた途端、背中に熱を感じた。
「――行くな」
マシェルの声が、すぐ耳元で響いて、思わずひっと、小さな悲鳴が漏れた。
背中が、熱くて心臓がうるさい。
体が錆び付いたかのように、動かせない。
「行くな、ルクレア……行かないで、くれ」
交差するようにして、背中から回されたマシェルの腕から、逃げられない。
抱き締められている。
そう脳が認識した途端、かあっと顔か熱くなった。
「ま、マ、マシェル…貴方、何を…」
「ルクレア…お前だってとっくに分かっているだろう?」
自嘲するように笑うマシェルの息が耳にかかって、体が跳ねる。
分かっている。
分かっているからこそ、聞きたくない。
だけど、私を腕の中で拘束するマシェルは、私が耳を塞ぐことすら許してくれない。
「ルクレア……」
背中ごしにマシェルの心臓の早さが伝わってくる。
本気だ。
マシェルは、本気で今、言う気なんだ。
――ああ、どうしよう。怖い。
マシェルの想いが、怖い。
「私は、お前を…」
やめて、マシェル。言わないで
「……お前のことを……」
お願いだから、その先の言葉を言わないで…
「……これは…――っ!!」
――そんな私の願いは、予想外の形で叶えられた。
「っルクレア!!なぜ、お前の首もとに【隷属の印】があるんだ!?」
一層危険な別の火種によって。