アルク・ティムシーというドエム31
「クレア…?」
突然雰囲気が変わった私に戸惑うデイビットを、鼻で笑った。
「どんなに努力したって、庶民が貴族になんてなれるわけないじゃない?馬鹿な夢を見るのはやめたら?」
「…っ」
ショックで呆然とするデイビットに胸の奥がすっとした。
もっと、もっと、傷つけたい。
この愚かな子供に現実を思い知らせたい。
現実を教えて、絶望させたい。…精霊を御せないことに対する、今の私の絶望よりももっともっと深く。
そんな残酷な欲求が胸の奥からふつふつと湧き上がってくる。
どうせ、いつかは知るんだ。子ども時分に考えていたよりも、現実はもっともっと厳しいことを成長するうちに知っていくんだ。世界はそう、優しくはないことを。
ならば、私が今それを教えてあげても同じことでしょう?
寧ろ下手な夢を見る前に現実を知らせてあげた方が、デイビットの為に親切ってものじゃない?
「――ねぇ、デイビット。いいこと教えてあげる」
脳内で自分の行為を正当化する言い訳を並べ立てながら、私は歪んだ笑みを浮かべてデイビットを傷つける言葉を口にする。
「私は今まで、貴方を好きだと、大切だと、そう言い続けたけど、少しも本気ではなかったわ」
デイビットの顔がこわばり、その眼に絶望が走る。
そんなデイビットに、私は一層笑みを深めた。
「貴族の私が、庶民の貴方を本気になると思った?ぜーんぶ、嘘。全部ただのお遊びよ。…良かったわね。デイビット。これで貴方が貴族になるなんて無謀な夢を見る必要、亡くなったわね?」
デイビットの心が、パキリと音を立てて折れる音が聞こえた気がした。
「――嘘、だ」
顔から一切の血の気が引いて、蒼白になったデイビットが唇を戦慄かせる。
「残念ながら、全部本当よ。――ごめんなさいね。本当はちゃんと隠す通す気だったのに、貴方があまりに愚かなことをいうものだから、思わず本音をばらしちゃったわ」
くすくすとわざと聞こえるように笑いながら、私は意識的にデイビットを追いつめる。
「――でもいい勉強になったでしょう?貴族の口車をそのまま信じると痛い目に合うってことが分かって。そういう生き物なのよ、貴族っていうのは」
嘲るような私の言葉に、デイビットの顔が、怒りでカッと赤く染まった。
「――嘘つき」
「………」
「嘘つき、嘘つき、嘘つき!!――最低だ、お前は…っ!!」
顔を真っ赤にして癇癪を起したデイビットを、私は冷めた視線で眺めていた。それは、単なる子どもの癇癪のように思えた。――この時は、まだ。
「俺のこと、好きだって、言った癖に!!大好きだってそう言った癖にっ!!……」
デイビットは目に涙を浮かべて俯くと、そのまま暫く黙り込んだ。
…これで罵りは終わりだろうか?これで満足したかな?
ならばもう帰ってもいいかな。お父様が帰り支度をして待っている。
そこまでも冷淡な気持ちになっていた私の心は、その時既にデイビットから離れつつあった。
デイビットを激昂させたことで、私はもうすっかり満足して、既にデイビットから関心を失いかけていたのだ。
「…っ」
しかし次の瞬間、不意にどこからか湧き上がって来た本能的な恐怖に、私は弾かれたようにデイビットに視線を向けていた。
「……許さない--絶対に、許さないから…!!」
俯いたデイビットから発せられた声。
それはまるで、氷のように冷たい、地を這うような声だった。
今まで聞いたことが無い種類の声に、首筋にぞわりと冷たいものが走る。
ゆっくりと顔をあげたデイビットと目をあった途端、まるで金縛りにあったかのように動けなくなった。
「後悔、させてやる…いつか、お前に復讐して俺の気持ちを弄んだことを、後悔させてやるから、忘れるな…っ!!」
その眼の奥で激しく燃える憎悪の感情に、私は息を飲んだ。
こんな激しい負の感情を私は、知らない。
こんな激しい負の感情を、今まで人から向けられたことが無い。
うらまれることをしていると、分かっていた。負の感情を、デイビットは向けて来るだろうと、予想はしていた。
分かっていた、筈だった。分かっていると、そう思っていた。
だけど。だけど、こんなに
「いつか偉くなってお前を見返して、俺の前に這い蹲らせてやるから、覚えておけ…っ!!」
――だけど、こんなに、実際に憎悪をぶつけられることが怖いことだなんて、私は知らなかった。




