エンジェ・ルーチェを騙る悪魔5
【隷属の印】
その意味を説明する前に、まずはこの世界における魔法概念を説明せねばならない。
この世界における魔法は、絶対的理にあたる「式」を展開することで発動される、効果作用である。
式を脳内で描いて、言霊によって発動させる「演唱法」
式を直接大気中や、地面、紙などと言った媒体に描く「記載法」
精霊のような、自分以外の存在に式を行使させる「使役法」
魔法の展開方法は一般的に用いられる上記3つをはじめとして、他にも様々存在するが、どれも全て、「式」を用いることには変わりない。
「式」
それは、幾何学模様に、似ている。
それは、ある種の方式を元に形成され、特定の魔法効果を生み出す特殊な模様。
人間は、その式を認識し、何らかの形で模写することにより、魔法を展開できる。
いかに多くの模様を、正確に暗記でき、いかに早く正確に再現できるかが、そのまま魔法能力に直結するのだ。
しかし、それは単に形態模写能力や、記憶力だけに左右するような単純な問題ではない。
同じような、複雑怪奇な幾何学模様でも、その人の属性によって、覚えられるか覚えられないかが違ってくるのだ。
例えば、生まれつき水属性が強い人間には、水属性の魔法ならば、様々な要素が複合したどんなに複雑な模様でも、不思議とすんなり頭に入る。
しかし、反対属性の火の魔法に関しては、例えば単なる三角形がいくつか重なっているような単純な図形からなる式ですら、なぜか覚えるのが難しかったりと、そんなことが普通に起こってしまうのだ。
だから、魔法の才に関しては、けして紙のテストで測ることが出来ない為、習得の際には必ず座学と実技の両方が必要となってくる。
【隷属魔法】
それは、かつて奴隷貿易が、国家にとって重大な収入源になっていた時代に蔓延った、暗黒魔法の一つだ。
隷属魔法の行使者は、相手にただ、自身を主人だと認めるような発言をさせさえすれば、対象を奴隷化できる。
魔法によって【従なるもの】は、自身の生殺与奪に関わったりするような事柄以外は、どんな命令でも【主なるもの】の言ったことに従わなければならないのだ。
魔法が展開されると【従なるもの】の首元には、自身の立場を知らしめる印が彫り込まれる。これが【隷属の印】だ。
命令を拒否し続ければ、首元の印が【従なるもの】の体内に浸食し、【主なるもの】の望む形で【ペナルティ】を科せられることになる。そのペナルティの形は、完全に【主なるもの】の意志に一任されるため、言うことを聞かない子供を躾けるような軽いものから、目を覆いたくなるような悲惨なものまで、実に様々だ。様々ではあるが、文献として残っている過去の資料を見た限りでは、残酷な【ペナルティ】を設定することの方が一般的だったようだ。
隷属魔法が蔓延った結果、あまりに人権を無視するような悍ましくも悲しい事件が多発した為、英雄エイリカによって奴隷制が崩壊した際、隷属魔法は真っ先に禁呪とされた。
理に干渉しうる特別な能力を持つ神官によって【隷属】の式は破棄され、その瞬間全ての人間がその式を思い出すことが出来なくなった。
その式を書いた本は一冊を残して王家に保管され、残りは全て焼き払われた。
奴隷制から百年以上経った今では、最早伝説のようになってしまっている魔法である。行使できる人間がいれば、本来のゲームのヒロインにあたるエンジェちゃんが行使できる「聖魔法」よりも、下手すればずっと騒がれるくらいに。国レベルで影響があるかもしれない。
まあ、細かいことをごちゃごちゃ言ってはいるが、ようはエンジェちゃんが【隷属魔法】を使えたのはとんでもなくありえねーことなのだ。
国家機密となってしまった案件を、なぜお前が知っているんだ、という話なのだ。
何者だ。こいつ。
エンジェ・ルーチェを騙る女装男に対する疑問は時間を経過するごとに増すばかりだ。
そんな魔法理論に意識を飛ばして感覚をごまかしながら、私は今、必死に苦行に耐えていた。
具体的にいうならば、脚の痺れという苦行に。
私は今、正座させられていた。
――トイレの床の上で。