第三話
午後一時。千間刑事部長は刑事部長室で警察庁警備部公安課の関口隼人に電話した。
「悩みの種が尽きないな。広瀬佳奈が品川署の屋上で拳銃自殺した。しかもサイレンサーも付けずに。あれで殺人事件が浮き彫りになるかもしれないな。銃声はマスコミ関係者に聞こえている。おかげでマスコミから問い合わせが殺到している」
『それで使用した拳銃は何でしょうか』
「ニューナンプM60だ。それも不正に持ち出された形跡がある」
『これは警視庁の不祥事ですよね。だったら警察庁に連絡する必要はなかったのではありませんか』
「困るだろう。あなたは広瀬佳奈をスケープゴートにしようとしたのだから」
『困りません。要するに被疑者死亡で送検すればいいだけの話ですから。兎に角警察庁は彼女の自殺に関してはノータッチです』
関口隼人は電話を一方的に切った。警察庁は警視庁に責任を押し付けた。その対応にけ千間刑事部長は激怒する。
刑事部長室に八嶋公安部長がやってきた理由も、怒りを刑事部長にぶつけるためだった。
「警察庁の考えることだ。やっぱり警察庁は警視庁を都道府県警察の一つとしか見ていないらしい」
「これからどうする。警察庁の隠蔽工作に加担するのか」
「広瀬佳奈が死んだ今、彼らの隠蔽工作に加担する理由は皆無。だから俺は捜査一課三係に協力する。捜査一課を利用すれば警察庁に痛み分けを強要させることができるだろう」
「あなたは警察組織の不祥事を隠蔽できればそれでいいと言ったよな。だから警察庁に協力すると。本当にいいのか。警視庁捜査一課三係の捜査に協力すれば、警察組織の不祥事が浮き彫りになることは確実だ。それは矛盾だろう」
「矛盾か。俺の目的は警察庁に痛み分けを強要すること。多少のダメージは覚悟している。警察庁も同じ考えだったから、俺に協力を要請したのだろう。警察庁だけの不祥事にすると都合が悪くなるから、警視庁との痛み分けを強要した。広瀬佳奈をスケープゴートにした理由はそれだろう。まあ別の目的も絡んでいると思うが」
「八嶋公安部長。なぜ広瀬佳奈が自殺したのか。その理由をあなたは知っているのか」
「それは捜査一課三係の事情聴取で話す。捜査一課に伝えろ。俺は逃げない。お前らの事情聴取を楽しみにしている。いつまでも待っている」
「それは絶対に伝える」
八嶋公安部長は千間刑事部長の肩に触れ労いの言葉をかけた。
「お互い頑張ろう。広瀬佳奈の上司として俺も記者会見に参加しなければならないらしい」
熱く燃えている八嶋公安部長の言葉に千間刑事部長は冷たく対応する。
「嫌。記者会見は喜田参事官に任せているからな」
丁度その頃潮風公園のベンチに愛澤春樹と日向沙織が座っていた。彼らは完璧な変装で顔を変えている。
「遅いですね。柴田誠司さん」
日向沙織が呟くと、愛澤春樹の携帯電話に着信があった。電話の相手はアズラエル。
『朗報です。広瀬佳奈が拳銃自殺しました。これにより都内各地で行われた大規模な検問が終了しました。安心して逃走してください』
「分かりました。彼女が自殺したのなら、広瀬佳奈に変装しなおしてもよかったかもしれませんね。面倒くさいからやめるけど」
『仕事は終わっていないですか』
「はい。まだ対象が姿を現していないので」
愛澤が電話を切ると、レミエルから電話がかかってきた。
『俺だ。狙撃地点に到着した』
「僕たちの姿が見えますか」
『どうせイギリス系外国人とアフロ野郎のカップルに変装しているんだろう。ベンチに座っているお前らがスコープ越しに見える』
「正解」
愛澤がレミエルと電話をしていると、彼らの前を柴田誠司が通り過ぎた。彼は辺りを見渡している。それは誰かを探しているようだった。
「おしゃべりはここまで。対象が現れました」
愛澤は電話を切ると、柴田誠司に声をかけた。
「柴田誠司君だね。僕は広瀬さんの同僚です」
「ああ。佳奈さんの仲間ですか。あのデータだったら昨日の午後十一時ごろあなたにメールしましたよね」
「そのことではない。実は広瀬佳奈さんが先ほど自殺したそうです。彼女の自殺とマスコミ発表されていない品川埠頭で起きた殺人事件。この二つの事件には繋がりがあるように思える。君はあの時品川埠頭にいたと聞いた。だから教えてほしい。あの時何かを見なかったのか」
「そういえば銃声が聞こえた直後に走り去る人影を見ました。あれは男だったと思います」
「なるほど。ありがとう。このことは仲間にも話しておこうと思う」
アフロヘアの男とイギリス系外国人の女は柴田誠司から離れた。そして愛澤はレミエルに連絡する。
「黒ですね。簡単な罠に引っかかりました。僕は広瀬さんとしか言わなかったにも関わらず彼は佳奈という名前を知っている。これはおかしいですよね。それと彼はデータを広瀬佳奈に送ったと言っています」
『そのデータは組織に関する物である可能性が高いということか。どうする。サマエルに広瀬佳奈のコンピュータへハッキングしてもらって、データを壊すか』
「その必要はありません。データ自体が罠ですから。末端構成員が組織のコンピュータにアクセスしてデータをコピーしようとすると、コピーされたデータがウイルスに感染して二度と見られなくなるという仕組みになっているのですよ。つまり末端構成員が送ったデータは無意味なものです。ということで狙撃してもいいですよ。大丈夫ですから」
「分かった」
レミエルは600ヤード離れたビルの屋上でスコープを覗き込む。ライフルの標準を柴田誠司に合わせてから引き金を引いた。
銃弾が空中を飛んでいき、柴田誠司の心臓を貫通した。血液がベンチや地面に付着し、柴田誠司は絶命する。この狙撃事件の目撃者はいない。
午後一時十五分。品川署にいる木原と神津は窃盗の疑いで逮捕された山岡の事情聴取を行った。
「山岡さん。警視庁の木原です」
木原は身分を明かすと、石塚俊の写真を山岡に見せた。
「あなたは午前零時頃この男から鞄を盗みましたね。その時変わったことはありませんでしたか。例えば盗む数分前に誰かと別れたとか」
「その男は一人だった。彼を標的にしようと思った時に、誰かと電話をしていたような気がするな。一時間後品川埠頭で会おうと言っていたのを覚えている。その電話が終わって携帯電話を鞄に仕舞った瞬間俺は彼から鞄を盗んだ」
「その時この男がどのような服装を着ていたのかを覚えているか」
「スーツだった」
「その男はネクタイをしていたのか」
「ノーネクタイだった」
「上着は着ていましたか。それとズボンのベルトはつけていましたか」
「ズボンのベルトも締めていたが、ワイシャツしか着ていなかったな。一つ聞くが、これは何の捜査だ。被害者の服装なんてどうでもいいだろう」
「これは殺人事件の捜査をする上での重要な証言になるのですよ。もちろんあなたが犯人であるとは思っていません。あなたは貴重な証言者です」
「だったら罪を軽くしてくれ」
「あなたは二年間に渡り多くの人々から窃盗をしたそうですね。その被害者数は百人を超えています。残念ながら日本には司法取引というシステムがないので、難しいと思います。最後に一つ。質問します。もしかしてあなたは誰かに頼まれて石塚俊の鞄を盗んだのではありませんか」
「丸山綾乃という隣人から頼まれた。写真の男の鞄を盗んだら百万円やるって。そういえば彼女とは一年付き合ったことがあって、兄が亡くなったという身の上話を聞いたな」
「貴重な証言をありがとうございます」
貴重な証言を得られた二人は取調室を退室した。
証拠品である石塚の鞄を借りた二人は警視庁に戻る。その車内で神津は事実をまとめた。
「午前零時頃石塚を品川埠頭で会う約束をした人物が犯人。その証拠は被害者の携帯電話に眠っている。この携帯電話を解析すれば、事件の真相が分かるかもしれないな」
「そうですね。犯人と会う前に盗まれたとしたら、犯人が石塚俊の着信履歴を消す手段がないはずですから、動かぬ証拠になる」
真相に近づき嬉しそうな神津の隣で木原は腑に落ちない表情をする。
「気になりませんか。午前零時窃盗犯の山岡さんは身なりを整えた石塚さんを目撃している。それから一時間後石塚さんはネクタイや上着、ズボンのベルトを奪われた状態で殺害された。空白の一時間の間に何があったのか。気になりませんか」
「空白は一時間だけではないだろう。午後十時頃タクシーで出かけてから山岡に鞄が盗まれるまでの二時間。それも空白だろう」
「空白の三時間。その内の二時間は今頃合田警部たちが調べているところです。こちらは空白の一時間について調べましょう」
木原たちが警視庁に戻ろうとしている頃、大野と沖矢はフジミヤハイヤーを訪れた。
大野は営業所に集まっているタクシー運転手たちに聞く。
「警視庁の大野です。昨日の午後十時頃この男をタクシーに乗せませんでしたか」
その問いを聞き社長の犬上は写真を凝視する。
「その男の名前は」
「石塚俊です」
「その名前なら記録が残っているよ。タカハラマンションから品川にあるカラオケボックスナナアカリまで送ったと記録に書いてある。ドライブレコーダーにその映像が記録されているから、それを見るか。この会社が使っているドライブレコーダーは音声まで常時記録されているから、捜査の参考になると思うが」
犬上はそのドライブレコーダーの映像を大野たちに見せた。そこにははっきりと石塚俊が映っている。その映像によれば石塚は午後十時三十分にタクシーを降りたという。
「この映像をお借りしてもよろしいですか」
「できればこのタクシーを運転したドライバーにも話を聞きたいのだよ」
「残念ながら井川君は夜勤明けで休みだ。だから彼の電話番号を教える。後で電話すればいい」
犬上はそういうとメモ用紙に電話番号を掻きこみ大野に渡した。
犬上にドライブレコーダーの映像を借りた大野は駐車場に停めた車の中で昨日石塚を品川まで送った運転手に電話した。
「警視庁の大野です。井川さんですね。昨日午前十時頃石塚俊という方を品川まで送ったと聞きました。その時変わったことはなかったでしょうか」
『スマホを操作している以外は特に変わったところはありませんでした』
「ありがとうございました。一応確認をする必要があったので電話させていただきました。失礼します」
大野は電話を切り、品川のカラオケボックスナナアカリに向かう。
午後一時四十五分。大野と沖矢はカラオケボックスナナアカリに到着した。
二人は店員に警察手帳を掲示して身分を明かし、石塚俊の写真を見せる。
「石塚俊がという男が店を訪れたらしいのですが、見覚えはありませんか」
「確か記録されていますよ。少々お待ちください」
店員は昨日の利用者リストを二人の刑事に見せる。
「昨日のお客様リストです。昨日は午後十一時から午前一時までの二時間利用される予定でしたが、一時間で退室しています。二人で予約されて」
「予約したのはいつでしょう」
「昨日の午後一時です。お客様リストに記録されています」
「ちなみに一緒にいた女性はどのような方でしたか」
「分かりません。その時は休んでいたので。防犯カメラを見れば何か分かると思うのですが」
店員は二人の刑事を警備室に案内する。警備室には二人の警備員がいる。
「こちらは警視庁の刑事さんです。昨夜の防犯カメラの映像を見せてほしいそうです」
店員から聞いた依頼内容に警備員が頷き、彼らは二人の刑事に昨夜記録された防犯カメラの映像を見せた。
「早送りして午後十一時のところで止めてください」
大野の指示に従い、警備員は映像を早送りさせる。十倍速になった映像に石塚俊が映ったのはタイマーが午後十一時になった時だった。
「ストップ。止めてください」
警備員が映像を止めると、画面には石塚俊らしきスーツの男と一人の女が映っていた。その画像は荒いため、解析しなければ誰なのかが分からない。
「この映像をお借りします」
沖矢は警備員から防犯カメラの映像を借り、カラオケボックスの駐車場に向かい歩き出した。
「空白の三十分か。タクシーを降りたのが午後十時三十分。カラオケボックス内に入ったのが午後十一時。店を出たのが午前零時」
「品川のどこかであの女と接触したはずです。聞き込みをしましょうか」
午後二時。八嶋公安部長は、公安調査庁に向かう車内で部下からの連絡を受けた。
「柴田誠司が殺されたというのは本当か」
『はい。潮風公園で柴田誠司とみられる男性の遺体が発見されました。殺害方法は射殺。何者かにライフルで狙撃された物と思われます。狙撃地点と思われるビルの屋上に行きましたが、手がかりは残されていませんでした。もちろん目撃者も皆無』
「まさか柴田を殺したのは退屈な天使たちの構成員か」
『その可能性が高いでしょう。狙撃地点と思われるビルから潮風公園までは600ヤードの距離があります』
「その距離から狙撃できる奴はレミエルしかいないということか。だがその推理は間違っているかもしれない。証拠がないだろう。別のスナイパーの仕業かもしれない。一つだけ断言できるのは、我々が追っている世界の住人による犯行ということだ」
八嶋公安部長は電話を切り、スーツのポケットからUSBメモリを取り出した。
「彼の死は無駄にしない」
その頃レミエルが運転するポルシェ・ボクスターは首都高速を走り、神奈川県横浜市に向かっていた。その最中助手席に座るサラフィエルの元にラグエルからの電話が届いた。
「ラグエルはん。これからどうするん。柴田誠司の暗殺をしたけど、ほんまに大丈夫か。別にハッキングしなくても、情報漏えいは可能やろ。例えばコードネームに関する情報とか。末端構成員だとしても、ウリエルちゅうコードネームくらいは聞いたことがあるやろ。末端構成員やから名前くらいしか知らんと思うけど」
『ウリエルですか。彼女はファンが多いですからね。ウリエルはハロウィンの一件で公安にマークされているようです。でも大丈夫。彼女は公安に捕まるようなミスをしませんし、公安を撒くドライブテクを持っています。おまけに護身用と称してスタンガンを所持していますから、彼女を捕まえるのは困難でしょう。万が一彼女が捕まるようなことになれば、守るだけです』
サラフィエルは電話を切った。彼らが乗っているポルシェ・ボクスターの後ろでは、愛澤春樹ことラグエルが運転するランボルギーニ・ガヤンドが走っている。
その車内で日向沙織が先ほどの会話を聞いて頬を膨らませた。
「ウリエルって誰。いざとなったら彼女を守るってどういうこと。もしかして私より彼女の方が大切なの」
日向沙織は退屈な天使たちのメンバーではない。彼女は愛澤が所属するテロ組織のことを知らない。彼女は愛澤がある事件で拉致した女性。そのため組織については蚊帳の外である。
「ウリエルはあなたの幼馴染の娘です。これ以上のことは、あなたの本当の名前を伝えなければお話できません」
「会ってみたいな。そのウリエルという人に」
「あなたがそういうのなら、会わせてあげても構いませんよ。最もそれは彼女が帰国した後になりそうですが」
午後二時十五分。八嶋公安部長は公安調査庁長官室で浅野房栄公安調査庁長官に呼び出された。
「話の手土産として面白い物を持ってきた」
八嶋公安部長はUSBメモリを浅野房栄に渡す。
「これは何なの」
「テロ組織退屈な天使たちに関する情報。主にウリエルに関する情報が多い」
「手に入れるのに苦労したでしょう」
「簡単だ。スパイに潜入捜査をさせて手に入った。そのスパイは残念ながら暗殺されたようだ」
「スパイね。実は妙な噂を聞いたことがあるの。警視庁公安部が外国諜報部隊の真似事をしているって」
「随分前に言っただろう。真似をしなければ、理想の警察組織が実現しないって。あれは警察庁もやろうとしていること。警視庁公安部だけがやっていることではない。公安調査庁は興味がないのか。あれが実現すればテロを規制することもできる」
「興味がないと言えば嘘になるけれど、そこまでする必要があるかしら。あれは非人道的よね。あなたたちは罪もない一般市民を殺した。でもこの国にはそれを規制する法律がない。だからあなたたちを殺人罪で起訴することができない。あれが公になれば、警視庁公安部がマスコミに叩かれる。警察不信という世論が根付くことになるから」
「まさかそれを伝えるために俺を呼び出したのか」
「違うわ。石塚俊と私との間にあるミッシングリンクについて。聞きたいことがあってね。まさか石塚俊という男は、私と同じようにあれを追い求めていた。だがそれは犯人にとって真逆の物だった。だから犯人は石塚俊を殺害した。これが真相でしょう」
「それは分からない。だが九年前に殉職した安藤慶太も彼と同じ考えだった。彼らが追い求めていた物を否定するつもりはないが、その考えは警察組織上層部の逆鱗に触れる。だから安藤慶太は殉職したのかもしれない」
「その推理が正しければ、石塚俊を殺した犯人は警察組織上層部の中にいるという理屈になるけど」
「そうだな。理想の警察組織を実現するために邪魔だったから殺した。もしそうなれば不祥事になる。警察組織上層部の人間が殺人犯。この事実は隠さなければならない。国民の警察不信をなくすためにも」
「なるほど。正義を守るために真相を隠蔽するということね」
「捜査一課三係は悪魔。警察不信という世論を拭い去るためには、真実を隠す必要がある。それなのに彼らは真実を明らかにしようとする。理想の警察組織には必要ない刑事だ」
「本当にそうかしら。彼らは警察組織に必要な人間だと思うけど。彼らにはテロ組織退屈な天使たちと対抗できる力がある。あの組織を壊滅させるために必要なのよ」
浅野房栄と八嶋公安部長との密会が終わった午後三時。合田たち捜査一課三係は警視庁に戻り情報を共有した。捜査一課にはホワイトボードが用意されており、神津は昨日の石塚俊の足取りを書き込んだ。
三月九日。午前零時。石塚俊。電話で犯人に品川埠頭へ呼び出される。その直後山岡に鞄が盗まれる。
午前一時。品川埠頭で犯人に射殺される。
「以上が俺と木原が調べた石塚の足取りだ。窃盗事件が発生した品川通りで聞き込みをした結果、歩いて品川埠頭に向かう石塚俊を目撃した人たちが多数いることが発覚した。目撃者たちは口を揃えて、その男はワイシャツ一枚を着ていて、ノーネクタイではなかった。と証言している。以上のことから、犯行現場に歩いて向かうまでのところで上着がどこかに消えて、ネクタイとベルトは犯行現場で消えたことになる」
その報告を聞き大野は分析する。
「なるほど。おそらくカラオケボックスナナアカリでスーツの上着が盗まれたと考えた方が自然ということですね」
沖矢が神津と同じようにホワイトボードに足取りを書き込む。
午後七時。石塚俊。自宅マンションに帰宅。
午後十時。フジミヤハイヤーのタクシーを呼び、品川に向かう。
午後十時三十分。石塚俊はタクシーでカラオケボックスナナアカリに向かい、歩いて品川駅に向かった。
午後十時四十五分。品川駅にいる女性Xと合流。カラオケボックスナナアカリに戻る。
午後十一時。カラオケボックスナナアカリで一時間女性Xと過ごす。
午前零時。カラオケボックスナナアカリを出て、女性Xと別れる。
沖矢が情報を書き込むと、大野は補足する。
「女性Xとしたのは、広瀬佳奈と接触したという根拠がないからです。現在北条さんに防犯カメラの映像を解析してもらっています」
「北条は大変そうだな。いろいろなところから持ってきた映像の解析を任せているから」
合田が独り言のように呟くと、目に隈ができた北条が捜査一課三係に現れた。
「殺すつもりですか。清原ナギとも協力してすべての映像の解析が終わったところです。まず女性Xの正体は広瀬佳奈です。彼のスマホの着信履歴から頻繁に広瀬佳奈と接触していたことが分かりました。カラオケボックスナナアカリの防犯カメラの映像を解析したから間違いない。次にドライブレコーだーの音声を解析した結果がこれです」
北条はボイスレコーダーを再生した。
『アヤ。今夜あの幻想を終わらせる。あれは間違っている。君もそう思っていたではないか。全ては正義のためなんだ。こうしないと安藤慶太は喜ばない。分かった。君は彼の意思を継ぐつもりはないのか』
「後は無言でスマホを操作していただけのため、音声はこれしか解析できませんでした。石塚俊のスマホを解析した結果、アヤというのは丸山綾乃のことであることが分かりましたよ。その証拠は着信履歴に午後十時十分丸山綾乃と記録されていることです」
「それで午前零時に品川埠頭へ呼び出したのは誰だ」
「この人です」
北条は犯人の写真を合田たちに見せる。その写真を見て合田たちは凍り付いた。
「まさかこの人が犯人なのか」
神津が戸惑うのも無理がないだろう。それは意外な人物が犯人であるという証拠だったのだから。
合田たちが意外な犯人に戸惑う中、北条は報告を続ける。
「石塚俊の遺体に付着した口紅は広瀬佳奈が所持していた口紅と一致しました。それと広瀬佳奈が自殺に使用した拳銃のライフルマークと石塚俊を殺害した拳銃のライフルマークは一致しませんでした。これからも分かるように、あの人はニューナンプM60を使用して石塚俊を殺害したのは事実だが、広瀬佳奈の拳銃は使っていないということです。因みに石塚俊の拳銃は警察庁の拳銃保管庫に保管されていました」
「まさか真犯人自らが所持する拳銃で殺害したというのですか」
「他人の警察官の拳銃を奪うより、自分の拳銃を使用すれば、事実を隠蔽しやすいでしょう。銃弾についても事実を隠蔽すればいいだけの話です。例えばテロリストを発見したから威嚇射撃したという嘘の記録をすれば、銃弾が少なくなっていたとしても、誰も疑わないでしょう。これで自分の拳銃で石塚俊を殺害したという事実を隠蔽すればいい。事実をすり替える。あの人ならやりかねません」
合田は北条の話を聞いて肩を落とす。現在は状況証拠しか見つかっていない。これでは証拠不十分で釈放されてしまうだろう。
「まだ諦めるのは早いですよ。唯一の物的証拠があるではありませんか」
北条は合田たちを励まそうとする。だが合田はそれを聞こうとしない。
「どうせネクタイやベルトのことだろう。だがそれは犯人が処分したに違いない」
「違いますよ。物的証拠はそれではありません。広瀬佳奈の置き土産といえばいいかもしれませんね」
北条は石塚俊の携帯電話を見せた。
「これに興味深い音声が記録されています。幸いにも窃盗事件が発生したため、犯人にこれを削除する術がない。これは物的証拠にもなるし、犯人の自白ともとれる。これに喜田参事官が見つけた目撃者の証言を付け加えれば逮捕状を請求することができるはずです。最後に石塚俊の自宅から発見されたフィギィアからも犯人の指紋が検出されました」
合田たちは一気に真相に近づくことができた。だが彼らは残された謎を解明していない。広瀬佳奈はなぜ自殺したのか。なぜ石塚俊は広瀬佳奈と密会をしたのか。
二つの残された謎に殺人事件の犯行動機が隠されているのではないか。合田たちは疑う。
逮捕状を請求するための物的証拠は揃っている。しかし合田たちには犯行動機が理解できない。
そんな合田たちの前に清原ナギが現れた。
「合田警部。広瀬佳奈の遺書が見つかりました。彼女は自殺する直前、ある人物に遺書をメールしたそうです。これがメールの文面です」
北条はメールを合田たちに見せる。そのメールを読み木原が合田に申し出る。
「合田警部。少し調べてもいいですか。もしかしたら彼女が品川署で自殺した理由は……」
「分かった」
木原がパソコンを立ち上げると北条は報告を続けた。
「サイバー犯罪対策課の話だと、そのメールを受信したのは……」
清原ナギの報告を聞き、合田たちは一斉に真相を見抜いた。
それと同じタイミングで木原は品川署と今回の事件を繋ぐ手がかりを見つけた。木原がそのページを合田たちに見せると、彼らは全員納得する。
九年前品川埠頭で殺殉職した警察官。なぜ石塚俊は品川埠頭で殺されたのか。密会の理由。自殺の真相。全ての謎が一つに繋がる。