表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
イスキエルダ異聞録  作者: 因幡セン
剣を抱く女
4/39

始まりが割れる音がした-2

 スタンガルフ都市博物館は、大陸東部に設立された都市国家アイゼンジェロー唯一の博物館である。

 都市国家創設時より存在し、数百年もの長きに渡って芸術品や文化財を保管し、管理し続けている伝統ある博物館である。

 広大な敷地を有し、アイゼンジェローの都市の歴史を保存した本館と、大陸史や他の都市国家についての文化財が陳列されている二つの西館、膨大な書物を集めた東館で構成されている。東館の手前には訪れる客の為にレストハウスが建てられていた。

 さて、スタンガルフ都市博物館が置かれている都市国家アイゼンジェロー。その歴史はとても古い。

 パルマ大陸東部の都市国家群の中でも相当の古株だ。最初は小さな農村だったのだが、初代都市長がこの場所に都市国家を建設すると宣言し、既に五百年は経過していると書物は語る。

 周囲は城壁で囲われ、出入りは南にある南大門か、西側に建てられた大陸都市国家間連結鉄道の駅を使うのが主流だ。

 初代都市長がしっかり都市計画を整えてくれていたお陰で、商業地や居住地といった区域分けがきっちり仕切られている。無論、農業区画もあるため、アイゼンジェローは相当広大な領土を持っている。

 一日でアイゼンジェローを回れるはずが無し。訪れた詩人がそう言い残している。

 大きな通りが居住地区や商業地区の中をいくつも横切っており、初めて訪れた者がお目当ての場所へと向かおうとしても大抵の確率で迷うことになる。このような複雑な設計は都市創設当時のなごりらしい。

 五百年前と言えば暗黒時代と呼ばれるほどに争いが大陸各地で繰り広げられた大戦時代だった。それ故、かつての城壁は高く頑丈に出来ており、敵の侵入を阻むために通りは入り組み、水路で区域を隔てていた。

 しかし時代は変わった。ここ百年の間は大きな動乱に巻き込まれることもなく、内陸部に存在するため、災害に見舞われることも少ない。安定した生活がおくれるので人口は年々微弱ながら増加傾向だ。

 その為過去一度、古い城壁を壊して都市の敷地を拡大していた。拡大前の古い外壁は全て打ち壊されたが、一部を移築させ残存している場所がある。

 それがここ、スタンガルフ都市博物館の前庭だった。正門を潜ってすぐ、前庭の左右両側に博物館の塀と並ぶように城壁が設置されている。歩道中央に設置している噴水を背後にして、古い時代の名残を親が子供に教えている姿は何度も繰り返されてきた光景だ。

 これ程の規模の博物館だ。商業地区の目抜き通りに面して建てられ、市の観光案内にもしっかり載っている。

 西棟には大陸史関連の展示物もあるが、あくまでもスタンガルフ都市博物館のコンセプトはアイゼンジェロー市の歴史だ。

 初代都市長クロヴィス・E=B・アイゼンジェローが遺した物品から、現在に至るまでの出来事の一切を保存及び管理してある、由緒正しい施設である。

 前庭には十字状の遊歩道があり、古い城壁だけでなく草木の鑑賞も一緒に楽しめる。遊歩道は本館や西館、レストハウスに伸びている。本館や西館、全ての建物は白亜の壁で造られている。日当たりの悪い個所ではツタが這っているが陰気さは感じられない。

 博物館入場口へと続く道はいつもきれいに掃除されており、今日もまた、多くの人の波が入口へと吸い込まれていく。

 同じアイゼンジェロー市民もいれば、別の都市国家から訪れた客もいるだろう。

 だというのにこのお餓鬼様と来たら。他人の迷惑などちっとも顧みない。

「ロベルトこの野郎! い、今本気で殴ったな!? もし杖落っことして壊れたらどうする気だよ!」

「ちゃーんと展示されてたはずの儀仗振り回してるお前に言われる筋合いはないよ。まったく、いつもいつも遠慮なくガラスケースぶち壊しといてよくそんなセリフ言えるな。それに安心しろティート、儀仗が壊れたらお前が一生かけて弁償するだけだから」

「子どもにきょーせーろうどうさせるつもりなんだな!? 大人げないぞ!」

「はーいはいはい。もう英雄ごっこは終わりにして、いい加減儀仗返してクラブに戻れ。大体、この展示室は今日のクラブのコースじゃないっての」

「へっ、大陸鉄道の始めの頃なんてつまんねーよ。やっぱさ、スタンガルフの一番の目玉といったらここだろ! アイゼンジェローを創設した初代都市長の遺産展示室! なぁロベルト、どれかが<王具>って噂だけど、どれなんだ!? やっぱこの杖か!?」

 全く懲りていない様子に、もう一度拳骨を落とす。

 この少年は名をティートといい、都市博物館少年クラブのメンバーだ。下は七歳から上は十六歳まで。小さな時分から都市の歴史や博物館に興味を持ってもらおうと数年前から館長が企画したものである。

 ロベルトもかつてはクラブに所属していた。その縁を頼り、館長への恩もある為、こうして博物館職員として働く毎日を送っている。

 今日は月に一度のクラブ活動の日である。今頃他のメンバーはパルマ大陸史を展示してある西館第一棟で、館長による丁寧な説明を聞いていることだろう。

 メンバーの大半は館長の言う事をよく聞く、礼儀正しい良い子達なのだが、中にはティートのような腕白な子どもも勿論在籍している。

 最初は大人しくしているが、館長の話に興味が無くなった途端、あっという間に姿を消す。館長の目を盗んで抜け出した後はもう自分の天下。博物館内をうろちょろと我が物顔で暴走し始めるのだ。

 ロベルトも館長の助手として、昔とは逆の博物館側となりクラブに参加している。だが主な内容はこういったお子様たちの相手である。なにせ全職員中でロベルトが最年少。老齢の館長に小さな怪獣の相手は酷だろう。

「さあ戻るぞ。お前には今日の大陸史の感想文プラス、展示室壊してごめんなさいの反省文が待っている」

「ぎゃー! じどうぎゃくたい! 我々はきょうせーろうどーに断固コウギする!」

「また要らん知恵ばかりつけやがって。意味解ってない言葉を連呼するな。余計頭悪く見える」

 ジタバタと暴れるティートの首根っこを掴み、笑顔で展示室の外で固まっていた客に爽やかな笑みを向ける。

「お客様、大変申し訳ございませんが只今より、初代都市長遺産展示室は暫く立ち入り禁止とさせて頂きます。ご了承くださいませ」

 ティートが壊したガラス片が絨毯張りの床の上で散乱し、あちこちで照明の光を反射している。展示ケースも見られる状態ではない。

 展示室の入り口にチェーンポールを立てると、内ポケットから白い手袋を取り出す。きっちり両手に嵌めてからティートから儀仗を取り上げ、元々飾られていた台座に戻す。

 バタバタとこちらに近づいてくる複数の足音が聞こえてくる。恐らく、展示室の修理にやってきた別の職員だろう。彼らにこの場を引き継いでから、都市博物館少年クラブに戻ろうとした、その時。

 展示室の出入り口。入るには入れなかった客たちの中からヒィ、と壊れた笛のような音が聞こえた。それが息を飲んだ音だと気付く前に、驚愕の声が連鎖的に発生していく。

 何事だろうか。不審者でも現れたかと左右を見まわすが、常と変らない光景だ。異なる点があるとすれば、客の視線が皆揃ってロベルトへと向けられていることだった。

 己の身に何か不快にさせるような物でもあったのか。そう思って左腕から胸元、そして右腕へと視線を巡らす。確認してみたが普段通りの格好だ。

 首を傾げたその時、奇妙な物音が耳に届いた。ぴしり。何かが軋むような音。

 微かな音だ。最初は空耳だと思った。それくらい小さな音だった。

 ここでようやく、客が見ているのが自分ではないことに思い当たった。

 大きく見開いた眼と呆気にとられて開かれっぱなしの大きな口。あれ、と部屋の外から子供が指差す先に従うように、ティートは視線を移す。

「うわ……っ」

 客の一人が、眼をこれ以上ないくらいに広げて慄きながら後ずさる。それでもロベルトの背後から視線は離さない。

 ぴしり。

 まただ。またあの音がした。どうやらロベルトの聞き間違いではないと、周囲の反応が教えてくれる。

 何事かと振り返ると、そこにあったのは目の前に広がる黒い影。

 展示用の巨大なガラスケースの中から影を落とす物がある。

 ガラスケースには既に罅が入っており、中の影はバン、バン、完全に破砕させようと何度も叩きだした。

 最初は弱かったが徐々に強くなっていった。土台の上でガタガタとガラスケースが暴れだす。

 中からの力にとうとうガラスが耐え切れずに四散する。

 それは舞い散る硝子の破片と一緒に落ちてきた。

 錆びる事のない剣が真横を通り過ぎ、床の上で小さく跳ねる。

 長い黒髪がケースの外の空気に触れてふわりと広がる。

 視界を埋め尽くす影。

 ロベルトの上に覆いかぶさるような格好で倒れてくるのは、人間の形をしていて。

 見たことがある。見覚えなんて、あるに決まっている。

 毎日見ている展示物のうちのひとつであり、スタンガルフ都市博物館の代表格でもある初代都市長の遺産のひとつ。謎の多い代物。

 五百年の長き時を経ても腐ることのない身体。錆びない剣を両手で抱える女性の死体。

 ガラスケースの土台に付けられた額縁には<剣を抱く女>と刻まれている。

 開かないはずの目蓋が、しっかりと開いているのが見えた。そこから覗くのは青藍の色をした瞳。

 唇がぎこちなく動いて小さな呟きを零す。


「――ス」


 開かれるはずのない唇から、紡がれた言葉を耳が拾う。


 小さな小さな、亀裂の音。

 乱舞する硝子の破片。

 幽かな罅割れの音から全てが始まったんだと、終わった後で気付いた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ