始まりが割れる音がした-1
台風は月に一度、必ずやって来る。
いや、台風なんてものじゃない。小さいながらも立派な怪獣だ。
それも気性が荒くて意志疎通など全く成り立たない厄介な怪獣に決まっている。
怪獣たちがこちらの言い分を聞いてくれた事などまったく無い。しかしその行動はいつだって予想を裏切らないから却って性質が悪い。
とにもかくにも、小さな怪獣を止めるべく、ドスドスドスと荒い足音を立ててロベルトは廊下を走る。廊下に窓は一つも取り付けられておらず、代わりに照明によって光がもたらされていた。
急がないと怪獣たちによる被害は広がる一方だ。しかし、ロベルトに怪獣の破壊行為を阻止する事は出来るのだろうか。
ロベルトは同年代の男性と比べれば少し細い。濃いグレーのズボンはやや丈が余っていた。まだ新しい綿のシャツの上にはズボンと同色のベスト。その左胸には銀糸で一輪草をモチーフとした徽章が刺繍されている。ネクタイの代わりに襟元にあるのは青いリボンタイ。
彼は外で活発に動き回るよりも、建物の中に籠る方が好きだった。お陰で猫背になるし、体力に自信などまるでない。
本当は走るのだってめんどくさい。だというのに、上司からは『即刻止めて来て下さいませんか』なんて柔和な笑顔で命令されたのだ。乗り気でないが、まだ十七歳の若僧である下っ端に逆らうことなど許されない。
ロベルトの走り抜けていく姿に、何人かが何事かと振り返る。その中から眼鏡をかけた女性が叱咤を飛ばしてきた。ロベルトと似通った服装。違う点があるとすれば彼女がスカートをはいているくらいだ。
「こら、ロベルト! 廊下を走るのは規律違反よ!」
「すんません、緊急事態なんで! カレンさん見逃して!」
「もう……、またなの!?」
また、と言い放つ同僚の声には呆れの色が混じっていた。これにはロベルトも同意したい。しかしロベルトの所為ではないのに、どうしてだかカレンの非難はロベルトに向かっていた気がする。
これ以上小言を聞いていたくない。赤茶の髪を翻してカレンからさっさと離れていく。マラカイトグリーンの目は目標に向けられた。
場所は此処、本館の三階。階段を一段飛ばして一気に駆け上っていく。全速力で走っているものだから、そろそろ息が切れてきたのか、唾を飲み込むだけで喉が痛い。
三階に着いた途端、これまでと空気が変わったのが分かった。人の流れは停滞し、戸惑う表情をあちらこちらで見かける。
「はーい、申し訳ありません、通して貰います」
強引に割って入っていくが非難の声は出ない。寧ろロベルトの格好を一見し、問題を解決する為の人物がやって来たことに安堵していた。
問題の部屋に、迷うことなくずんずんと足を踏み入れる。入るに入れず、入口付近で足を止めていた人々の視線がロベルトの背中に集中する。
「ふっふっふ……。来ると思っていたぞロベルト。思っていたよりも遅かったなぁ?」
居丈高に迎える声にはロベルトを揶揄する響きがあった。悪いかよどうせ俺は体力ねぇよ、と心中で毒づく。
床にはガラスの破片が散らばり、照明の光を仄かに反射させている。
部屋に飾られたのはガラスケースに囲われた品物ばかりだ。装飾品だったり、武具だったり。中には人の姿をした物もある。
騒動の原因の正面に立ち、視線を合わせる。それだけで相手の機嫌が良くなったのはすぐに分かった。手にした古い儀仗を高く掲げたからだ。
苛立ちとか不満とか疲れとかその他諸々の感情をこめて拳を握る。
「我こそは初代都市長、クロヴィス・アイゼンジェローなり!」
「うちの展示品に何してくれとんじゃクソ餓鬼ぃぃぃぃ!」
スタンガルフ都市博物館の本館中に響くような大声と共に、固められた拳が悪戯大好きな子供の脳天に振り下ろされた。
例え泣いたって許さない。正に渾身の一撃だった。