華咲くとき
2人が再びお互いのそばに行くことが出来たのは、それから1週間後のことだった。
その間、2人は1枚の壁を隔てたまま放置されていた。
引き離されたあの日以来、サラには、ルウの返事の数が日に日に減っていったのが手に取るように分かった。
ここ2日に至っては呻く声すら聞こえずに、もしものことが起こっていたらどうしようと眠れぬ夜を過ごしてきた。
だから兵士に連れてこられたルウを見て、サラは思わず「生きてた……」と呟いた。
しかしその肩を見て再び顔が固まる。
やはり確かに失われた片腕。
切り口は塞がったのだろうか。
もう痛くはないのだろうか。
胸が締め付けられるように苦しい。
ぎゅっと目をつぶった。
恐る恐るその目を開けて見つめると、彼は何事もなかったかのように苦笑してみせた。
バカ……っ。
サラは心の中でそう叫んでいた。
それは言葉にはならなかった。
ルウはグレイに連れてこられたサラを見て安堵の息を吐いた。
目を上げたサラを真っ直ぐに視線がぶつかる。
彼女の瞳は泣きそうに揺れていた。
その目が自分をそんな風に見つめるから。
そしてこの肩を見つけるから。
だからルウは苦笑いするしかなかった。
ルウとサラはそうしてしばらく見つめ合っていた。
グレイに裏切られ、2人にはもうお互いしか残っていなかった。
国を、そして民を守るために敢えて立ち上がった姫。
無理矢理付き合わされたとはいえ、最終的には自分でその道を選んだ騎士。
この世界に2人だけの味方だった。
「ルウ」
そんな2人に気付いたのか、グレイがルウに声をかけた。
その物腰はまるでいつもと変わらなくて、本当にこの状況は現実のものなのかを疑いたくなるくらいだ。
優雅にその銀白のマントの背中を滑る黄金色の髪。
そして柔らかい笑み。
ルウにもサラにも、あの笑みはこの間まで数少ない気を許せる場所だったはずなのに。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
泣きたいくらいに残酷な現実。
ルウは視線をグレイに向けた。
「まだ肩は痛むか」
「……ああ」
「そうか」
その会話さえも数日前と変わらない。
祖国の話をしたときも、こうやって。
グレイがサラのそばから離れて窓の淵に手をかけた。
光を浴びると、その美しさは言葉では言い表せない。
遠くを見やって、そして振り返った。
「アクヴァール国は周辺諸国を制圧した」
薄い唇がそう告げるのを、2人は聞いた。
振り返ったグレイは、その瞳だけが怖いくらいに鋭かった。
そして思い知る。
やはりこれは、現実なのだと。
どうすれば。
どうすればこの国を失わずに皆が幸せになれるのだろう。
どうすれば愛する人たちが幸せに暮らせる世の中になるのだろう。
何を間違ってしまったんだろう。
絶望の淵は、深かった。
*
その姿はもはや、王とは呼べないほどの弱々しさだった。
まるで本当に水分を抜き取られてしまったかのようなその生気のない瞳。
重い鉄の扉の向こうから入ってきたのは、サラの愛する父親その人だった。
バージル・ネイサス・ド・アクヴァーレス・アクヴァ。
よろよろと近づいてくる。
思わず息を呑んだ。
今にも倒れそうなくらい具合が悪そうなのにも関わらず、その瞳はグレイと同じ色をしていたから。
「サラ……!」
その形相は恐ろしいくらいに歪んで。
サラに向かって空を切るように両の手を彷徨わせる。
「水を……水をよこせ……!アクア・ストーンを我が手に……っ!!」
サラは後ずさりした。
石を奪われることが怖かったのではなかった。
あれが父親なのだと、あの大好きだった父王なのだと再認識してしまった。
この国はどうなってしまうのだろう。
こんな王では、国は滅びてしまう……!
サラは咄嗟に胸元の石を両手で握り締めた。
それを見て、バージル王の顔色が変わった。
歩いてくる中で腰の剣を抜く。
その剣はアクヴァール国の宝だった。
それを娘に振りかざそうとする父親。
しかもまっしぐらに。
自分の欲望のために。
サラの後ずさった背中が壁に付いてしまった。
右側には兵士、左側にはグレイ。
逃げようもない。
「……っ!!!」
目をつぶった彼女は死を覚悟した。
もうこれ以上ルウを傷つけるわけにはいかない。
……それなのに。
一瞬の後に訪れるはずだった痛みも苦しみも、何も起こりはしなかった。
サラが目を開けると、そこには片腕で剣を操る漆黒の騎士がいた。
ルウが横にいた兵士の腰から片手で素早く剣を抜くと、彼女と王の間に滑り込んだのだった。
「ルウっ!」
「……サラ」
その背中が自分の名を呼ぶ。
それだけで、涙が溢れそうになる。
どうしてこの人は、こうまでして自分を助けてくれるのだろう。
その優しさが嬉しかった。
それだけで、生まれてきて良かったと思えた。
ルウに出逢えて良かった。
サラはその手の中の石をもう一度握り締めてアクヴァール水神に祈った。
----------この国にご加護のあらんことを----------
すると、みるみるうちにどこからか水が湧いてきた。
王はそれを見て、狂喜した。
ルウに向けていた剣を落とし、水のカーペットに子供のようにはしゃぎながら寝そべった。
安心したのもつかの間、今度は兵士が次々とルウに襲い掛かる。
ルウは懸命に応戦した。
けれど絶対数が足りなかった。
片腕なのも大きく作用したためルウは取り押さえられ、床に這いつくばらせられた。
「ルウっ!」
サラが祈りを止める。
この間のように駆け寄ろうとした瞬間、大きな白い影が立ちはだかる。
―――グレイだった。
「行かせませんよ、サラ様」
「ルウっ、ルウっ!グレイっ、放してよっ……!!」
あっという間にその細い体は力強い腕に拘束されてしまった。
目の前に苦しんでいるルウがいるというのに、届かない。
どうしていつも。
「サラ……っ」
ルウの綺麗な黒い瞳がサラを見た。
彼女の目からはぽろぽろと真珠のような涙が零れていた。
「約束してくれ、生きると……っ」
「ルウっ?!」
「お前にはこの国の民のために生きる必要があるんだ。だから……ぐ、……ごほっ……!」
兵士がその鞘でルウの背中を撃った。
「ルウ!ちょっとあんたたちっ、止めてよっ!」
いくらもがいても、泣き叫んでみても、彼女を縛る力は緩められなかった。
グレイは微笑んでいた。
父ははしゃぎ回っていた。
兵士たちは皆、敵だった。
こんな狂った世界。
兵士たちはルウの体を窓際に引っ張ってゆく。
ぐったりとした体がふちにかけられた。
その重みに抵抗できる力は残されていなかった。
ずるずると窓の外に落ちてゆく。
「ルウっ!あんたも生きてよ、ねぇっ!!」
その叫びは届かなかった。
「……短い間だったが、ありがとな」
苦笑いだけ残して、彼は深い湖の底に消えていった。
こんなときにお礼なんて言わないでよ……!
お礼なんていらないから、ずっとそばにいてよ……!!
悲痛な心の叫び。
サラはルウさえも失った。