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水辺の華  作者: 山口ゆり
7/10

裏切りと愛情

どうしてあの矢は飛んできたのだろう。


ルウが先ほどから考えているのはただ1つ、そのことだった。

ここは茨の城。

連れてこられたときのことを思い出してみても、この城の内部に近付くのは容易ではないと思う。

だからこそサラやその仲間たちはここを選んでいるのだし。

それが、あのとき。

ルウは確かに廊下の窓に人影を見た。

角度や距離を考えても、あの人影がルウ、いやサラに矢を放ったことは間違いないだろう。

あんなに近く。

もしかしてこの城は包囲されている……?

いや、それなら気配くらいするはずだ。

しかし実際はどうだろう。

ルウは周りを見渡した。

……気配など、ない。

穏やかで、静かな夜。

あの日もそうだった。

ともすれば世界はここだけで、王軍と戦っているなんてこともおよそ思いつかないような、そんな。


そ れ な ら ば ナ ゼ ?


なぜ、あの矢はあれほどの至近距離から放たれたのか。

ふとある考えに思い至る。

けれどそれはどう考えても想像することが出来ない。

ルウは頭を振りながら、静かに息を吐いた。

そうしなければまだ、背中が痛い。


そんなことを考えながらぼうっとしていたら、サラが遠慮もせずに部屋の中に入ってくる。

いつもどおりのその姿に、ルウは苦笑した。

いや、安心した。

昨日の、あの涙や……匂い立つような白さは幻だったのだと思えるから。

これですべてがいつもどおりなのだと。


「具合はどう?」

「大分いい」

「……そ。良かったわ」

「お前ももう泣いてないな」

「う、うるさいわね……いつまでも泣いてるわけないじゃないの、バカ。それより、ねぇ、ちょっと相談があるんだけど」


サラの顔がかぁっと赤くなる。

ルウにはそれが可笑しかった。

まるで普通の娘みたいだ。

サラが昨日と同じ場所に腰掛けるのを見て、ルウは重い体をゆっくりと起こした。

そのときだった。

その部屋の中にどやどやと武装した兵士が入ってきたのだ。

そして扉の向こうに立っていたのは、他ならぬグレイだった。



「何?どうしたの?グレイ……っ?」


そういうことか、とルウは思った。

しかし驚きはさほどない。

それよりも、こう、すっきりしたような気分がした。

全てのピースが当てはまるような、そんな。

想像したくなかった現実。

けれど、これで全てのつじつまが合う。


「サラ様……やはりここにいらっしゃったのですね」

「グレイ……?何、どうしてこんな……嘘?!」

「嘘ではありませんよ。これが現実です」

「あれは、グレイ、だったの……?」


サラの瞳に写る、絶望と怯え。

それを見透かすかのように彼は唇の端をかすかに上げて微笑んだ。


「サラ様」

「どうして……?どうしてこんなこと……」

「どうして?またそんなことをおっしゃる。……やはりお気づきにもなられないのですね、あなたは」

「何、に……?」


穏やかに立ち尽くすその姿はいつもとまるで変わらない。

誰の目から見ても美しく、その闘う姿は優雅なこと極まりない。

それがグレイなのだ。

……なのに、なぜそんな風に微笑うのだろう。

グレイはその微笑をふ、と崩して目を閉じた。

そして再びその瞳にサラを映すと、思いもよらない速さでサラに詰め寄った。

ルウは動かなかった。

いや、正確に言えば動けなかった。

体はまだ、自由が利かない。

それに気付かぬ間にルウは寝台をグレイの兵に囲まれていた。

動けば命はないだろう。

サラに詰め寄りながらも振り向いた彼の瞳がそう語っていた。

一方サラは。

立ち上がったが最後、部屋の中心にどんと構える柱に背中を押し付けられ、顔の両脇にはグレイの腕。

閉じ込められながらもがこうとするも、彼女の衣装の裾がグレイの黒い靴に踏まれて動けない。

彼女の趣味で裾がとても長い衣装。

こんな形で災いするなんて、思ってもみなかった。

あの日のルウの言葉を素直に受け入れていれば、と一瞬脳裏を掠めるがそんなことを考えている余裕もない。

グレイは腰をかがめてサラの顔を至近距離で覗き込む。

サラは思わず顔を背けた。

だが、それすらも敵わず唇を塞がれた。

それと同時にわずかな痛みを感じた。


「……っ」


あまりにも気が動転していた。

つぅ、と口の端を赤いものが流れ落ちる。

それを確認してグレイは満足そうに目を細めた。


「あなたの近くにいていいのは私だけです。あなたを傷つけていいのは私だけなのです……!」


生暖かい指先が、血が流れたその道筋をやんわりと辿る。

思わずサラは震えた。

……こんなのグレイじゃない。

何度も瞬きをする。

けれどそれでも、悪夢のようなその微笑みは消えてはくれなかった。


「お可哀想に、唇が切れてしまってますよ……?」

「や……」

「こんなに震えてしまって……可愛いですね、サラ様。ご心配めさるな、私はグレイですよ」


グレイが突いていた手を離した。

けれどもサラは動けない。

太腿の辺りの布をぎゅっと握り締めた。


「……そう。私はいつだって私のまま。いつもいつでもあなたのためだけに生きてきました。……あなたが好きだから」


射るような視線で見つめられて、サラはますますその手できつく布を握り締めた。

目が逸らせない。


「それなのに、あなたはルウを隊長にした。私のほうがずっと長くあなたを見つめていたのに」

「……それ、は、」

「あなたはいつだって無邪気な顔して残酷なことをなさる。気付いていなかったのでしょう?私の想いに」

「……」

「こんなに愛してるのに……どうしてあなたは気付かない」

「グレイ……」

「何か間違えていますか?私ではいけませんか?」


再び詰め寄られる。

怖い……!

サラはぎゅっと目を閉じた。



「間違ってる」


それはルウの声だった。



「間違ってるよ、あんた」


そこにいた全ての目が彼を見た。

ルウはサラを見た。

その後、布団に起き上がったままゆっくりとグレイに対峙した。


「何をどう間違ってるっていうんだ」


グレイはルウを睨んだ。

ルウはそれを淡々と受け止めている。


「愛情の形だよ。サラを好きなら、どうして命を狙う。好かれたいなら振り向かせろよ」

「お前に何が分かるっ」

「分からないな。でも、実際あんたの気持ちにサラは気付いてないんだから、そんな風に気付かされたって戸惑うだけだろ」

「うるさいっ」

「認めたくないだけなんだ、自分の思い通りにならない現実に」

「黙れっ」


あんたも俺も大概バカだよな、とルウの唇が動いた。

その顔は苦痛に満ちていて、まるで自分がグレイであるような表情をしている。

サラはルウを見つめていた。

ああそうか。サラは分かってしまった。

ルウは自分を責めているんだ。

一度だけ話の中に出てきたナディ国のお姫さま。

亡くなったって言ってた。

ルウは彼女を守りたかったんだ。

ルウは彼女が好きだったんだ。

べスを語ったときのルウの哀しそうな、そして愛しそうな瞳。

伝えられなかったその、行き場のない想い。

だからグレイの気持ちが分かるんだ。

でもどうしてだろう。

ルウがそうやって心を痛めつづけているのを見るのが嫌だと思う。

グレイの兵が、起き上がれないルウの喉元に剣を突き付ける。


「ルウ……っ!」

「大丈夫だ……大丈夫」


ああ、どうしてそんなことが言えるのだろう。

どうしてそんな風に笑うことができるのだろう。

初めて逢ったときから感じていた。

あの瞳。淋しそうなのに、真っ直ぐな瞳。

その瞳に見つめられると、自分は1人じゃないと思えた。

自分たちが勝てると思えた。

いつの間にか、ルウは自分の同志だと思い始めていた。

怖かった。

虚勢を張っていないと、この戦いにあっけなく負けてしまいそうな気がした。

だから素直になれなくて、いつもいつも、減らず口を叩くことしか出来なかった。

そんな自分をルウはきっと、手に負えない厄介な子供だと思っていたに違いない。

ごめんね。

ごめんね、ルウ。

サラは心の中で謝った。

ルウにはこの戦いは関係なかったのに、自分の勝手な都合で彼を巻き込んだ。

サラの目から、ほろりと涙が零れる。


グレイはそれを見るなり苦笑した。


「ほう……そうですか。サラ様……あなたはあの男のためになら泣けるというのですね……」

「グレイ……止めて……」

「所詮はただの娘、というわけですか」


グレイはサラの顔の真横にある柱の側面を拳で思いっきり殴った。

サラは動けない。

怖くて、震えが止まらない。

そしてグレイはその顔をルウへと向けた。


「知っているか、ルウ。このお姫様は本物じゃない」

「え……?」

「サラ様は選ばれし姫君なのだ。だから今ここでこの方を手にかけ、永遠に私のものにしてしまってもアクヴァールが絶えることはない」

「何を、言ってる……」


グレイはふふふ、と面白そうに笑った。


「サラ・メリル・ド・アクヴァーレス・アクヴァは水の華女だから、この国の王女に選ばれたのだ」


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