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水辺の華  作者: 山口ゆり
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月明かりの夜

ルウはまた、広間の北側の隅でたたずんでいた。

窓から見えるのは、広く青い湖と空だけ。

夕暮れの空はだんだんと闇が近づいてきている。

もう祖国はないと分かっているのに、なぜか気付くとこうしてしまう自分がいる。

何度も幻が見えるような気がした。

いつかこの手で再興してみせる。

自分と……べスが愛したあの国を。

この間、そう決めたんだ。

ルウは拳を握り締めた。

そのとき、ばーんと大きな扉が開いた。

こんな風に乱暴に開けるのは1人しかいない。

ルウは入ってきた彼女にちらと目を遣り、そしてため息をついた。


「そんなかっこでうろついてると今に刺されるぞ」

「ルウのスケベ」

「……はぁ?」


彼女はまたいつものぺらぺらの白い布を着ていた。

剣も、鎧も何も身に付けていない。

本当に彼女は自分がトップの人間であることを自覚しているのだろうかと思ってしまう。

彼女の周りにいる人間は彼女の安否を常に過剰なくらい心配しているし、彼女もそのことを知っているはずだ。

それに彼女は王に反旗を翻す前からきっと命くらい狙われていたに違いない。

それは今こうして逆らってしまったのだからより一層増えたに違いない。

彼女だってそこまで鈍くはないだろう。

けれど。

その丸腰の姿。

ほとほと呆れてモノが言えない。

いや、言っているのか。

せっかく助言してやったというのにそれをスケベと言われた日には、怒るよりも脱力するほうが上回るというものだ。


「はいはい、俺が悪かったよ。あっちに行ってくれ」

「何よ、その物言い。ホントにいつまで経ってもあんたって人は主従関係を理解しようと思わないんだから」

「うるさい」

「……で?あんたは何をしてたのよ。黄昏の伊達男さん」

「……」

「ま、今度は無視なの?まったく、やることがワンパターンよね」


脱力と言ったが、それは嘘だ。

めらめらとムカつく気持ちが湧いてくる。


「何してたって俺の勝手だろっ!」

「ほら、そうやってすぐに怒る。大体ね、あんた自分がどういう身の上だかいい加減分かりなさいよ。あんたは私の家来なの。いい?そこはちゃんと理解しておいて」


言葉に詰まる。

何で俺が、という思いに駆られるが、ナディの再興のためだ。耐えろ。

そんなルウを見て、サラは極上の笑みを浮かべた。


「お前こそ自分の身の上わきまえろ。何だよその格好。私死にたいです、殺してくださいって言ってるようなもんじゃないか」

「だからバカは嫌ね。何のためにこんなに人がいるのよ。何のためにルウ、あんたがいると思ってるの?騎士団隊長だったら私を守ってみせなさい」

「あのなあ!」

「さ、ぐだぐだ言ってないで行くわよ、黄昏の騎士殿」

「……どこにだよっ」

「作戦会議よ。忘れたの?」


ルウははぁ、とため息をついた。

こうするしか苦虫を潰す術を知らない。

違う意味でもこの戦を出来る限り早く終わらせたい。



茨の城の廊下は、それほど広くはない。

片側、今で言えばルウやサラの右側には等間隔に長窓が付けられていて、左側は壁だった。

色は暗い灰色で、手触りもごつごつしている。

これは何で出来ているのだろうと、ルウは初日に思ったりした。

長窓は大きいが、今は護衛のために格子枠が嵌め込まれている。

それでも格子と格子の間はダイヤ型に大きめに開いているので、ルウやその他の家臣たちは気を張った。

呑気に見えるのはサラくらいなものだ。

サラはルウの斜め1歩前を歩いていた。


ひゅん。


その音が聞こえたのとルウが飛び出したのとではどちらが速かっただろうか。

気付いたら駆け出していた。

目の前の白い塊を抱きかかえるようにして倒れた。

しかしさすがは元ナディ国騎士団最年少騎士一等。

ルウは倒れざまに弓が飛んできた方向に向かって剣を投げた。

投げた先で低く呻く声が聞こえたのと意識を手放すのは同時であった。



「ん……」


とろとろと目を開ける。

ぼんやりしてよく分からないが、自分は横になっているようだとルウは認識した。

どうやら高い天窓のある部屋にいるようだ。

黒い空に白い月が浮かんでいるのが分かった。

起き上がろうとして背中に激痛が走る。


「うっ……」

「ちょ、ルウ、大丈夫っ?」


痛みに呻いて再び体の力を抜いた。

声がしたのは右側。

ルウは背中に響かないように頭を向けた。


「……サラ……?何でお前……」


月明かりに照らされて浮かび上がる純白の姫君。

顔の左半分に影が落ちている。

光の当たっている片側のほうの大きな瞳は心なしか潤んでいるようにも見えた。

ぼんやりとした頭で、ルウはその美しさを見つめていた。


「何でって……かばってくれたんだから当たり前でしょ」


声も少し震えていた。

ルウは細く長く息を吐く。

ゆるゆると瞬きを繰り返しても消えない光。

彼女は光だった。


あのとき。

咄嗟とはいえ体が動いた。

そうか。

あの白い塊はサラだったのか。

別にあそこでサラが弓に撃たれて死んだとしても構わなかったはずなのに。

自分には何も関係ない、ただしばらくの居場所として渋々ここに留まっていたはずなのに。

それでもルウは事実彼女を助けた。

彼女をかばって、そして自分が犠牲になった。

自分はナディを再興するのではなかったか。

いくら彼女が光だったとしても、それはアクヴァールにとってで少しも自分のためにはならないのに。

どうしてこんなバカなこと。



「バカ姫……姫様なんだから俺のことなんか誰かに任せておけば良かったんだ……」


息をつくのも苦しい。

無理やり動かした頭も、もう動かせない。

背中が痛んでたまらないから。


「う、るさいっ……」


ぽろっと彼女のその大きな瞳から涙が零れ落ちた。

いつもなら驚いて余りあるが、今のルウにはそれを見て、ただ受け止めるしか出来なかった。


「守れって言ったのは……その口だったと思うがな」

「うるさいって言ってるでしょ……っ」


サラがますます顔を崩す。

とうとう嗚咽まで零すようになり、いたたまれなくなったのか彼女は後ろを向いた。


「バカ、泣くな」


息が苦しい。


「お前だろ?泣いたってどうにもならないっていうありがたいお言葉をくれたのは」

「そんなことっ……言われなくたって分かってるわ」

「……いいや、分かってないね」


苦しいのに息をする。

そしてまた苦しくなる。


「だって……だって私のためにルウが死ぬなんてやだったの」

「え?」


ルウは思わず目を見開いた。

そんな小さなことですら、体が痛む。


「だってルウは……私の騎馬隊の隊長だし……」

「……」

「ナディを再興するんでしょ……?」

「……ああ、そうだな」


闇が静けさを増す。

2人きりの夜。


「だったら……」

「……え?」

「そんな格好で二度と城内をうろつくなよ」

「……生きててくれて良かった」


彼女の肩がひくひくと動くのをルウは黙って見ていた。

そして思った。

サラはいつも気丈で、少しどころではなくわがままで自分中心だが、やはりまだ少女なのだと。

この間、初めて目の当たりにした王女らしい彼女はまるで別人だった。

ぼうっと、祖国に残したまま2度とは逢えなかった想い人が脳裏を掠める。

彼女は泣かなかった。

いつも神々しいばかりに輝いて。

あの微笑みを見るたびに胸が高鳴った。

もしかしたら今目の前にいる傾国の姫は、普段はああだが彼女よりもずっと弱いのかもしれない。

弱いけれど、戦わなければならないさだめ。

だから強気でなければいられない。


「大体、誰か他のやつはいないのか」

「ルウ、憶えてないの?」

「何を」

「あんた倒れるときに剣を投げたのよ。それが当たって弓を引いた者を仕留めたの。だからみんなはそれのほうにかかりっきりよ」

「そうか……」


あれは当たったのか。

ルウは目を閉じた。

閉じたまま、訊ねる。


「じゃあお前がずっと1人で俺の面倒見てたのか」

「えっ?あ、ああ、そうね、そう……そうよ、ありがたいと思いなさい。こんなこと、滅多になくてよ」


ふ、と笑いたくなった。

いつものわがまま姫だ。

これじゃないと調子が狂う。


「ねぇルウ」

「何だ」

「何か喋って」

「……あのなあ」

「だって私、今喋れそうな気分じゃないんですもの」

「どう考えても俺のほうが喋れんだろうが」


サラは振り向いた。

その瞳にはもう、涙はなかった。

そして、ルウの呼吸も。

痛みが和らいだような気がした。


「俺は怪我人だぞ」

「あら、それだけ喋れれば大丈夫よ」

「どこまでも自己中心的だな」

「お褒めの言葉ありがと。ね、ナディのこと聞かせてよ」

「は?」

「私もルウと同じで生まれてこのかたアクヴァールの外に出たことないんだもの。ナディはどういう国だったかその国民に聞ける機会なんて滅多にないでしょ。だから」


ルウは静かに息をついた。

長い夜になりそうだ。


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