サラ
少女はアクヴァール国という諸国でも非常に名を馳せた大国の第一王女として育った。
あれほど父も母も愛してくれて、自分も彼らを愛していたというのに。
国を挙げて姫君の成長を喜んだというのに。
彼女は今、父母と戦っている。
*
ルウはその光景を異様な目で見ていた。
彼からすればサラという王女はわがままで自分中心としか思えないのだが、彼女の周りにいる者たちは彼女に仕えられることを至上の喜びとしているようだ。
シュミルという銀髪の老人。
彼はそんな家臣の1人だ。
アクヴァールがまだこんな戦渦にない頃、彼は宰相をしていたようだ。
宰相なのだから頭は切れると思う。
それなのに、勝算の少ない王女側に敢えて入っている。
ルウとしてみればそれは信じられないことだ。
彼がいつまでもサラに対して丁寧な言葉遣いをしないことにも、家臣たちから見れば無礼極まりないという態度を取っているのも、いつも注意するのはシュミルだった。
それからグレイと呼ばれる剣士。
彼はおそらくルウと同年代だろう。
こちらは金髪で、長身。
すらっとした優雅な立ち居振る舞いは同性の目から見ても美しい。
そして、サラのどんなわがままにも見事なまでの微笑みで受け応えている。
それだけで尊敬に値するとルウは思った。
そんな中にあって、ルウはやはりサラのことが気に食わなかった。
初めて見たとき、彼女のことを12、3歳だと思った。
実際は14だという。
それでもルウと5歳も違う。
サラ陣営にいる全ての者の中で彼女が1番年下だということは目に見えて明らかだった。
それなのにあの態度。
「民のため」に立ち上がったというのは分かる。
分かるが、その姿や行動を見ても本当にそうなのか疑わしい。
まるで世界が自分中心に動いているかのようなのだ。
それなのに、掲げた大義名分は「民のため」。
まぁ父母とこんな風にしてまで戦おうというのだからその気持ちには偽りはないようだが。
サラの父母、バージル王とその后は、温厚でそれは有名だったそうだ。
娘を目に入れても痛くないほど可愛がっていたことも他国に聞こえるくらい有名な話だ。
べスとその両親がたびたびアクヴァールのことを話していたからそれくらいは知っていた。
だからルウはここに来るまで、よもやアクヴァールがこんな形で戦になっているとは思いもしなかった。
よりによって子煩悩の王と王妃がその娘と敵対しようとは。
ルウは信じられず、グレイに訊ねた。
なぜこの国はこんなことになっているのかを。
乱花にはさまざまな種類がある。
それのほとんどは伝説上の花で、実際はヒエルやカプンといった群生型の花が乱れ咲くのが普通だ。
しかし、ルウはアクヴァールに来てシムルの木を見た。
シムルは乱花の中でも1、2を争う強い花。
それが本当にあろうとは思いもしなかった。
グレイによれば、シムルだけではなくアクヴァールにはまだ乱花が数種類あるという。
その1つがティエルというヒエルと同属の花だ。
ティエルは伝説の中で、人の心を惑わせて壊す『悪魔の花』と呼ばれ恐れられている。
その外見は透明で少し青みがかり、バラのような良い香りをしている。
しかしその香りを嗅いではならない。
引き寄せられるように近づいたが最後、その花の魅惑に取り憑かれてしまうのだ。
ティエルは1時間ごとに水を遣らねば枯れる。
5輪ほどで固まって咲いているため、その水は雨枯では大変な量だ。
けれど取り憑かれた人々にはそれが見えなくなる。
その花を愛でるためなら、自分が水を失っても、他人から奪ってもいいとさえ思えてしまう。
そして散々水を吸い尽くしたその時に、その悪魔の花は実を付ける。
愛でていた人間もさすがに餓死しそうになる。
そんなときに見るティエルの実。
水滴が滴り落ちるように瑞々しいそれを、餓死寸前の人々がどうして口に含まずにいられるだろうか。
それがティエルが悪魔の花と呼ばれる所以。
それを食べたら最後、その人間は欲望のみに生きる鬼と成り果てるのだ。
バージル王がその花をティエルと知らずに栽培していたことを、当時側近たちは誰も知らなかった。
知っていたのはただ1人、王妃その人だった。
王妃もそれを悪魔の花だとは知らなかった。
だから側近たちも、そして王自身も王妃自身もこんな成れの果てに行き着くまで何も分からなかった。
ある日突然、ふらふらと自室から出てきた王の顔は紫に腫れ、見るも無残になっていたという。
そして叫んだ。
「この国にある水を全て売る!」と。
側近たちは慌てた。
何を言っているのだと。
けれどその目はもはや生気を宿してはおらず、逆らった者はその場で切り殺された。
サラと側近とが王の自室で見たものは―――乱れ咲くティエルとその実。
そのとき初めて彼らは王はティエルの実を食べたせいで金という欲望に盲目になってしまったのだと分かった。
バージル王とその后はもうすでに娘サラのことを認識できなかった。
12歳になったばかりの彼女が父に進言すると、父は家臣を切ったその刀を彼女に向けて振り落とした。
間一髪グレイがかばったそうだ。
そしてまだ正気を失っていない家臣を連れて、サラとグレイとシュミルは王宮を出た。
以来そこには戻れないでいる。
そしてバージル王は国中の水を、水に飢えた周辺諸国に売りさばき、大枚を稼いだ。
それでもアクヴァールに水が絶えないのはなぜか。
……サラだ。
ルウは目の前に現れた彼女に視線を遣り、彼女もそれに気が付いた。
「何?」
「その胸の石を渡してしまえばお前だってこんな風に戦わなくて済んだんだろう」
ルウの言葉にサラは彼の傍らにいたグレイを睨んだ。
グレイは首を竦めた。
グレイに聞いた、彼女の胸に光るもの。
それはアクア・ストーン。
この国の水の資源である。
グレイからそれを聞いたとき、ルウは眩暈がした。
なぜアクヴァールにはそんな宝石があるのだ。
なぜナディにはなかったのだ。
その石さえ各諸国にあれば、乱花節で誰も死んだりしないで済む。
こんな風に傷つけ合わずとも。
サラがルウを見た。
「……それは無理」
「なぜ」
「だって私にしかこのアクア・ストーンは使えないんだもの。……私は水の華女なのよ」
「水の華女……?」
「そうね……簡単に言えば水を生み出せる巫女ってところかしら。それに……」
「それに?」
「……ううん、何でもない」
サラの瞳が翳った。