12 シクス=クララ=アーラ
「わたしの事はクララって呼んでね」
そう言った少女の姿が、視界から消えた。
そしてユアンとアーウェルがいる間に、目で追えない速度で何かが通り抜け、
「本名は長いし可愛くないから嫌いなの」
同時に少女の声が、前方から後方へ移った。
「「──ッ!!」」
ギクリ、と背筋に悪寒が走る。
反射的に振り返った二人の視界には、赤味がかった光を放つ輪と、その側面から伸びた六枚の光の翼、少女の白い背中に刻まれた赤い陣が映り込んでいる。
「(な……)」
「(いつの間に……ッ!)」
速すぎて彼女の動きを目で捉えられなかった彼らは、無意識に一歩退く。一方、当の本人は両腕を目一杯横に広げながら、
「うー久しぶりの外だー。やっぱり外はいいなー、体を自由に動かせるっていいなー。空もいい感じに真っ暗だし、もうちょーわたし好みだよ」
しばらくの間、運動前の準備体操みたいに体を動かしていたクララは、クルリと体を回転させて振り返ると、そのまま張り詰めた表情になっているユアン達を見る。
「もーそんなに警戒しないでよ。ちょっと間を通っただけじゃん」
「お前は、何だ……?」
弛緩している少女の態度とは裏腹に、ユアンの声は警戒心丸出しだった。そんな彼にクララは面白くなさそうな顔をして、
「女の子に向かって『お前』は失礼じゃない? まあどうでもいいけどね。聞かれたら、ちゃんとわたしの事は教えてあげるつもりだったし」
「教えるつもりだった?」
うん、と無邪気に頷いたクララは、
「わたしね、人と会話をしてみたかったんだ。この前はお話する前にみんな死んじゃったし、わたしの性質上滅多に人と会話出来ないからね。それ以前に、わたしがこうして外に出たのってまだ二回目なの。だから人とお話をするのはこれが初めて。さっきの攻撃で貴方たちを殺さなかったのはそのためだよ」
「……」
楽しそうに語るクララは、それだけ見ていると、何処にでもいるちょっとお喋りな普通の少女だ。しかし、彼女の放つ気配が人間味を殺していた。
「そーゆー訳で、わたしの初めてのお話し相手になってくれた貴方たちには、特別にわたしの事を教えてあげる。ささやかなお礼と、……お別れの気持ちを込めて」
最後の言葉に、辺りの空気が冷え切った。彼女が放った殺気によって。そこにいるだけでも相当な威圧感を感じるのに、尚且つ敵意の塊である殺気を向けられた二人は、完全に硬直した。
クララはユアン達に背を向けると、真っ暗な空を仰ぎ見ながら語り出す。
「じゃあ最初に、『六枚の光の翼』について教えてあげる」
術式『六枚の光の翼』はユアン達の予想通り、キャロル=マーキュリーの両親が作った彼女専用の自己防衛術式だった。元の術式が『熾天使』と言う事や、ユアン達が立てたその他の予測も大体当たっていて、必死になって解析していた自分たちが馬鹿馬鹿しく思えてくる。
ところがその後の、術式に組み込まれているプログラムの説明を聞いたユアン達は、呼吸を忘れてしまうほど絶句してしまう。
「『自身を中心に、半径五キロ圏内にいる人間の殲滅』。さっきわたしが言った『性質上会話が出来ない』っていうのは、このプログラムのせいで会話をする前にわたしが全員殺しちゃうからなの」
「……っ」
(何だよそれ。キャロルの両親は、自分の娘さえ助かるのなら他の人間なんて死んでも構わないって、そう思っていたのか……?)
だとしたら、それはあまりに残酷で、勝手過ぎる。そう思ったユアンは拳を固く握り締めると、クララが続きを話す。
「今は、貴方たちを殺したいって言う衝動を何とか押さえられてるんだけど、結構苦しいの。だから、ちょっとお話するペース早めるね」
次はわたしが生まれた訳についてだよ、と付け足して彼女は語る。
出来上がった自己防衛術式の設計には何の問題もなかった。プログラムの関係上、実際に起動させる事は出来なかったが、計算結果は常に正常だった。
しかし、計算では計れない事実が、現実には存在した。
それは、
「術式と感情の融合……だと?」
言ったのはユアンではなく、アーウェルだった。彼はようやく絶句状態から抜け出せられたようだったが、それを聞いてまた絶句しかけている。
「この術式にはね、もともと設計段階から色々な不確定要素があったの。例えばキャロル=マーキュリーの異元力とか、天力系統最強の術式『熾天使』とか」
その性質が人によって異なる上に、はっきりと解明されていない要素が多い異元力。
習得した術師が記録上二人しかいない為、術式の内容があまり分かっていない最強の名を持つ『熾天使』。
キャロルの両親は、世界中からこれらに関する資料を集め、それを元に研究していたものの、その資料の中には『論理的な予想』も多々混ざっていたらしい。そしてもし研究の過程で、どうしてもその『予想』を『事実』にしなければならなかったとしたら、もうその時点で計算に狂いが生じてしまう。
簡単に言ってしまうと、確実に合っていなければならない数学の公式が、実は間違っていたら、その公式を使って解いた問題の解答も全て間違ってしまっている、と言う事だ。
「でもね、わたしは術式から生まれた訳じゃない。この術式は飽くまでわたしの一部分」
もちろんこの術式がなかったら彼女は生まれなかっただろう。しかし、それでも『六枚の光の翼』はシクス=クララ=アーラのほんの小さな部品の一つに過ぎなくて、
「わたしの大部分はね」
とクララは肩越しに振り向いて、
「キャロル=マーキュリーの憎悪なの」
風が吹き、少女の表情から笑顔が消えた。
人の感情は時に常識を大きく逸脱する。
目的を達成するための欲求や、一時の大きな思いが、時に奇跡を起こすように。
そして何かに対する強い憎しみが、悪夢を呼び寄せるように。
「キャロル=マーキュリーは目の前で両親を殺された」
クララの口調が変わった。先ほどまでの感情が篭っていた声が、空っぽになった。
「その時、死に対する恐怖が自己防衛術式を『誤作動』させて、親を殺された事に対する悲しみが憎しみを生んで……、その二つの『発動』がわたしを作った。わたしには強い悪意と非道な殺戮のプログラムがある。人に対する大きな憎しみと、人を殺さなきゃいけないっていう命令がある」
「……」
「そこで貴方にちょっと質問。貴方はキャロル=マーキュリーの両親が殺された後に何があったのか。覚えてる?」
その言葉に、ユアンはキャロル本人から聞いた彼女の『過去』を思い出す。
切り倒される母親を目にした後の記憶がない、とキャロルは言っていた。
気が付くと住んでいた町が破壊されていた、とキャロルは言っていた。
彼女の自己防衛術式は、発動すると意識を強制的に失わせる仕組みになっている。そして一度起動すると、半径五キロ圏内の人間を全て殲滅しない限り止まらない、とクララは言っていた。
これらを全て繋げると、記憶がないのは術式が発動したからで、町が破壊されていたのは、発動した術式がプログラム通りに動いたからで。
(……まさか)
「気付いたみたいだね」
ユアンの表情が変わった。それに乗じてそう言ったクララは、再び二人のいる方向へ体全体を向け直すと、笑いながらこう言った。
「つまり、わたしがキャロル=マーキュリーの町の住人を、一人残らず殺したんだよ」