2 出会い
額に冷たい感覚が伝わってきた。
「……うっ」
鈍い痛みが頭の中を走り抜ける。そのせいで思わずうめいてしまった。
嫌な寝起きだ、と思いながらユアンは重く閉ざされた瞼をゆっくり開くと、視界に入ってきたのは『黒』だった。ただしその『黒』は完全なる『黒』ではなく、所々小さな光が輝いている『黒』だった。
そう、例えるなら星空。
「……」
素直に綺麗だと思った。光の数は少ないが、透き通った空に散りばめられているそれは、とても綺麗だと思った。そんな事を考えられるぐらいに思考が回復したユアンはそこでようやくある事に気付く。
「……何で俺、こんなところで寝てんだ? つーか何で俺生きてんだ?」
普通なら荒野の真ん中で干からびていたはずだ。別に死にたかった訳ではないが、そうなっていなければ不自然だった。
額には湿った白い布が置かれていて、明らかに誰かに看病されていた感丸出しだ。
すると、
「そんなの私が助けたからに決まってるんだよ」
突然、そんな風に女の子の声が聞こえた。音源を辿って首を右に振ると、そこには小さな少女が地面に女の子座りをしていた。
「おはよう。って言っても、もう夜なんだけどね」
ひまわりのように微笑む少女。
夜だと言うのにその笑顔は妙に輝いているように見えた。
髪の色はブラウンで長くもなく短くもないセミロングヘアー。白く柔らかそうな肌に、毛先が外側に若干ウェーブがかっているのが印象的な娘だった。
歳は十二・三歳ぐらいで背丈も歳相応かそれ以下。まだ幼さが残っている顔つきだが、将来はきっと美人になるだろうと思うほど整っている。
服装はひらひらした白いマキシワンピースの上に、前を開けたまま丈の長いベージュのナチュラルコートを着ている。彼女の隣には黒いツイード帽子と荷台の付いた大きなスーツケースが置いてあった。
服やブーツには所々汚れが目立っているが破れたり、穴が開いていたりはしていない。どうやらかなり上等な物のようだ。
「でもびっくりしたよ。こんなところに人が倒れてるなんて。最初見たときはもう死んじゃってると思っちゃって穴の中に埋めてあげようとしたんだけど、土かぶせてる途中で体が動いたときはかなり焦ったね。危うく生き埋めにしちゃうところだったし」
てへへっ、と笑いながらとんでもない事を言い出す少女にユアンはぎょっとした。
(だから俺の体はこんなにも砂だらけなのか)
ま、でもぎょっとしたり服が汚れるだけで済んで良かったなー、とポジティブな方に考え直すと、
「えーっと、君が俺を助けてくれたのか?」
「そうだよ」
「何で助けてくれたんだ?」
「何でって、人を助けるのに理由なんているの?」
「いや、確かに絶対にないといけないって訳じゃないけど……」
ユアンは曖昧な表情で言う。
今時、何の見返りもなしに人助けをする人間は珍しい。何かと物騒な世の中だから、どいつもこいつも自分の身を守るだけで精一杯なのだ。この少女は人を見捨てられない性格なのか、ただ単に何も考えていないだけなのか。
と、少女が言葉を付け足してきた。
「でもあえて理由を付けるなら、話し相手がほしかったんだよ。一人で旅するのって結構寂しいでしょ?」
まるでユアンもそう思っているのだろうと決め付けるような言い方だった。
(話し相手がほしかった、か)
その気持ちは分からない事もなかった。
実際ユアンは一週間前に魔女っ娘みたいな女の子に出会って以来、誰とも会話していなかった。途中で誰とも合わなかったからだ。そもそもこんなところで人に会うほうが珍しい。
となると、この会話は一週間ぶりと言う事になる。
会話が出来ないと言うものは結構精神にくるものだ。
普段おしゃべりな人に一週間誰とも喋らずに過ごしてみて、と言っても一〇〇パーセントそれは達成されないだろう。それはもうその人にとって拷問に近い行為なのだから。
例えあまり喋らない人でも、一言も喋らずに過ごすのは不可能と言っていいだろう。
ただ、誰かと喋りたいからと言ってやたらめったら他人に話し掛けるのも頂けない。
世界にはたくさんの人たちがいる。
一〇〇人いれば一〇〇通りの人格がある。
誰とも何ら隔たり無く会話が出来る人もいれば、その逆で人見知りな人もいる。もっと大げさに言うと、道行く人が皆悪人でないように、皆善人とも限らないのだ。
詰まるところ何が言いたいのかと言うと、こんな荒れた大地の真ん中でぶっ倒れている得体のしれない人間を助けるなんて馬鹿かお前? という事だ。もしかしたらそいつは何処かの刑務所から脱獄した死刑囚かもしれない。助けようと近づいた途端、ナイフで脅してきて身包みを全て剥がされるかもしれない。もしくは、最悪殺される事もあるだろう。
さすがにそんな事はないだろ、いくら何でもネガティブ思考すぎるだろ、と思う奴もいるかもしれないが、実際ユアンは以前これと似たような目を経験済みだ。
だから彼は経験上、彼女に言う。
「お前なぁ、そんな理由で無暗に他人を助けてると、そのうち大変な目に遭うかもしんねーぞ」
女の子だし見た目は悪くないし。
「別に無暗に助けている訳じゃないよ。ちゃんとその人の顔を見て、良い人か悪い人かを見分けてるしね」
「それを『無暗』って言うんだよ。外見だけで人間見てんじゃねーよ」
「大丈夫だよ。私の人を見る目は確かだし。貴方だって別に悪い人じゃないでしょ?」
小首を傾げて尋ねる少女にユアンは一瞬たじろぐが、すぐに気を取り直して、
「さぁ? どうだろうな」
彼は彼女の質問をわざとらしく曖昧な言い方で答えると、また辺りを見渡す。
二人がいるのはやはり荒れた大地の真ん中。しかしすぐ隣に枯れた小さな木が一本植わっている。
「そう言えばどうしてあんな所で倒れてたの? やっぱり食料が底を尽きたとか?」
「まあそんなところだ」
彼は少女を一切見ずに答える。
「食料の買い溜めしてなかったの?」
「してたさ、もちろん。でも一週間前、俺のちょっとした好奇心のせいで機動しちまったゴーレムに追い掛け回された挙句に、約二週間分の食料が入ったバックを潰されてちまったんだよ」
「ゴーレムに? こんな荒野の真ん中で?」
「ああ」
「……」
「なんだよその可哀想なものでも見ているような目は」
「貴方ってもしかして不幸なお人なの?」
「幸運なお人じゃあないだろうな」
「……」
少女は俯いて黙りこんでしまった。ユアンにはどうして少女が黙り込むのか分からなかったが、数秒経ってから彼女は突然顔を上げると、
「そう言えばまだ自己紹介してなかったね」
唐突に話を切り替えてきた。
いきなり何だよ、とユアンが思っている事などお構いなしに、彼女はそのまま話を続ける。
「私の名前はキャロル=マーキュリー。よろしくね」
勝手に自己紹介を始めたキャロルと名乗る少女は、『貴方の名前は?』と首を傾げて尋ねてくる。一応は命を救ってくれた恩人なので名乗らない訳にもいかず、ユアンはいかにも面倒臭そうな表情+素っ気ない態度で言った。
「ユアン=バロウズだ」
と言うか他人に自己紹介をするのが苦手なだけだったりする。
「ユアンね、よろしく」
いきなり呼び捨てかよ、と思ったが口には出さなかった。ユアンは差し出された小さな手を握って握手すると、すぐに手を放して彼女から目を逸らすように再び荒野を見渡す。
「……先はまだ遠いな」
「そうでもないよ」
「あ?」
「あと一日ぐらい歩けば町につけるはずだよ」
あと一日で町に付く? てっきりまだ三日は掛かると思ってたんだけど、と思ったが彼はこれも口には出さなかった。
「そんな事より貴方お腹空かせているんでしょ?」
「まあそうだけど」
「私の食べ物を分けてあげてもいいよ」
「ホントか!?」
思わず大声を出してしまったユアンに、キャロルは無邪気な顔で『いいよ』と言う。
「でもね、その代わりに一つ条件があるの」
「条件……?」
意味ありげな言葉にユアンは何か言い知れぬ予感(悪い方の)を抱くと、キャロルはニコリとかわいく笑って、
「しばらくの間、私の命令ならなんでも聞く、『家来』になってほしいんだ」