10 助かる者を助けるために〔後編〕
「……分かった。あいつの術式が」
「何?」
唐突に放ったユアンのその言葉に、アーウェルは眉を顰めた。
「俺、前に見た事があったんだよ。あいつの自己防衛術式の陣を」
「どう言う事だ?」
アーウェルの質問に、ユアンはキャロルの陣を目にした経緯を話す。この町で迎えた最初の朝の出来事を。
「……つまり、あの子の背中には、自動制御や強制停止の術式が組み込まれた巨大な陣が刻まれていて、お前はそれをあの子の自己防衛術式だと、そう考えたのか」
「と言うか、そうとしか考えられないんだよな」
「確かに、自動制御が組み込まれている辺り、十中八九間違いないだろうな。まあお前は後で俺が殺すとして、他に何が組み込まれていたか覚えているか?」
「ああ覚えてる……って、ええ!? ちょ、今なんて? 殺す? なんで!?」
「小さな少女の裸を覗いたんだ。しかもあの子のな。殺されて当然だろ」
それを言われた時、ユアンは初めて自分がとんでもない墓穴を掘ってしまった事に気付いた。『しまったーっ! 余計な事も言っちまったっ!』と心の中で思いながら、
「いやまあ否定はできないけどちょっと待って! 殺すのは止めとこ? 一応事故だったんだしここは平和的に説教とかさ──」
「問答無用だ。早いうちに覚悟を決めておくんだな」
声がマジだった。マジな殺気がアーウェルの放つ言葉一つ一つに乗っていて、それらは全てユアンの危機感知機能を刺激していて。
(まずい! 俺の命、どう転んでも今日で尽きるかも)
恐怖に震えているユアンをアーウェルは無視して、
「話を戻すが、自動制御と強制停止の他に何が組み込まれていた? と言うか一体どんな術式だったのか、分かるだけ教えろ」
「あ……うん」
若干引き腰になりながらユアンは言った。
「他にもリミッターや強化術式とかも組み込まれていて、術式全体の基盤になってるのは……『熾天使』だった」
「何? 『熾天使』ってまさか……黄道三書のか!?」
「ああ」
「……」
ユアンの言葉にアーウェルは絶句した。
『熾天使』とは、『黄道三書』と言う『神の十二聖書』に並ぶ術導書に記載された、天力系統最強の術式。術式を発動すると背中に六枚の翼が現れるのが特徴的で、それを習得した者は天空を支配する事が出来ると言われている。
「あの時見た術式の構成を考えると、あれは多分、元の術式より遥かに強力だと思う」
「『熾天使』より強力っつーと……。そりゃもう人間の手に負えねぇぞ」
天空を制する事が出来ると言われる最強の術式。
それを更に強化したと思われるキャロルの自己防衛術式に、彼女が元々持っている異常な元力。
「道理で驚異的な訳だ。……だが、それが分かったお陰で活路は見えてきた」
「何か思いついたのか?」
ああ、とアーウェルはユアンの疑問に頷いて、
「あの子の術式を止める方法は思いついた。だが、これは絶対にやらなきゃならねぇことじゃない。あの子は俺達の存在にはまだ気付いていないだろうし、このまま逃げる事だってできる。術式に関しても、放っておいたっていずれは元力が尽きて勝手に止まるだろ」
「……」
以前にも説明したように、意識を失っている今のキャロルは、この二人もまた『薔薇十字団』と同じ『危害を加える者』と認識するため、もしこのまま近づいていったら彼女はユアン達にまで攻撃を加えてくる。しかもその攻撃は必殺だ。見つかったら一瞬で消されてしまうだろう。
つまりアーウェルは、時が経てば勝手に停止する術式を、何も命を賭けてまで止めに行かなくてもいいだろ、と言っているのだ。
確かに彼の言っている事は理屈には適っている。だが、
「……ダメだ」
ユアンはそれを受け入れられなかった。
「俺は逃げられない。逃げちゃいけない。ここで逃げたら、何か大事なものを失うかもしれねーから」
拳を握り締めながら言ったユアンの言葉に、アーウェルは眉を顰めて、
「意味分からねぇな。いや、今すぐ助けたいって気持ちは分かる。だが、今のあの子に突っ込んでいったって、それこそ大事なものを失うと思うぞ? ……てめぇの命っつー最も大事なもんをな」
最強の術式『熾天使』を更に強化した、キャロル=マーキュリーの自己防衛術式。あの光の翼に掠っただけでも重傷を負わされるだろう、と思えてしまうほど強大で、莫大な力を術式が有しているのは目に見えている。
言われた通り、このまま突っ込んでいったって殺されるだけかもしれない。
それでも、ダメだった。
「……理屈じゃ、ねーんだよ」
いくら効率的で合理的な考えでも、それが『逃げる』ことである限り、ユアンにはその考えを認められなかった。
「俺はあいつを助けるって決めた。最後まで付き合うって自分自身に誓った。でも、結果的には助けられなくて、ここで逃げたらその誓いまで破っちまう」
なぜ自分がそこまでしているのか、ユアンには分からなかった。キャロルと出会ってからまだ三日しか経っていない。彼女の事だって多くは知らない。そんな少女のために命を賭けなければならない理由など、彼にはないはずだ。
それを分かっていながら、しかし彼はキャロルから逃げ出す事が出来なかった。
自分の手で助けたいと、心の底で本気に思ってしまう。
だが。
「……助けられなかった、だと?」
違う、とアーウェルはユアンの言葉を否定した。
「あの子は結果的に助かったんだ。今のあの子は放っておいたって助かる。薔薇十字の驚異はもう去ったんだから、後はあの術式さえ止まれば万事解決だ。それなのにお前はあの子を助けようとする。助かっているのに、助けようとしている。俺からして見れば、お前のそれはただ自己満足だ」
この事件はもう終結に向かっている。何もしなくてもハッピーエンドは訪れるだろう。それなのにユアンは自ら危険を冒そうとしている。一歩間違えばバットエンドになりかねない所業をしようとしている。
そんな彼のやろうとしている事は、か弱い少女を助けて優越感に浸りたいだけ、と思われても仕方がないだろう。
ユアン自身、それは傲慢な考えだと分かっている。助かると分かっている少女を助けに行くなど、どう見ても矛盾しているから。
しかし、
「だとしても!」
ユアンはそれでも考えを変えなかった。声を荒げて、必死に言葉を叩き付けている。
「俺はあいつを助けたい! 自己満足だろうが優越感に浸りたいだけだろうが関係ない! 俺はこの手で、あいつを助けてやりてーんだ!」
理屈なんてものはない。非効率的だろうと、非合理的だろうと関係ない。
ただキャロルを助けたい。
ただただ一人の少女を不幸の底から救ってやりたい。
自分の、この手で。
「……」
ユアンの視線は真っ直ぐにアーウェルの瞳を射抜いていた。決して折れない芯の通った少年の瞳。助けたい、と信念の篭った言葉。
アーウェルはしばらく黙ったままだったが、不意に溜め息を付くと、
「お前も、相当頑固なバカ野郎だな。……でも、嫌いじゃねぇぜそう言う野郎は。お前のそのおかしな考えは未だに理解できねぇが、まあいいだろう。俺も根はお前と同じだ」
術式を調整する。ちょっと待ってろ、と言いアーウェルは地面に掌を添えて瞳を閉じる。そんな彼の言葉・行動にユアンは呆気に取られたような表情をしていたが、すぐに慌てて、
「何だよそれ、別に付き合わなくてもいいって! こいつは俺の我が儘だしあんたを巻き込む訳には──」
「おい勘違いすんじゃねぇぞ。別にお前の付き合いで行くんじゃねぇ、俺が行きてぇから行くんだ。それに正直俺もこんな終わり方はスッキリしねぇんだよ。やっぱ男なら、助けるって決めた女ぐらい、自分の手で助けてぇよな?」
「……」
ユアンはその言葉に、言葉を失った。
結局はこの男も自分と同じ部類の人間だったのだ。理屈や効率云々よりも、自分の中にある決意に準じる、バカな野郎だったのだ。
「は、ははっ」
その事にユアンは思わず笑ってしまった。
嬉しかったから。理由は自分でもよく分からない。
でも、その事が、無性に嬉しかった。
「確かに、男なら、女の一人ぐらい自分の手で助けられなきゃな」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「あの子の術式を俺達の手で止められる方法は、一つ」
アーウェルは指を一本立てて、
「強制停止術式を発動させる事だけだ。術式に組み込まれているそれを発動させれば、術式全体を止める事ができる」
強制停止術式とは、その名の通り術式を強制的に停止させる安全装置的な術式だ。基本的に自動制御術式と対になっていて、一般的には呪文を唱えたりすると起動して術式を停止させる。キャロルの場合は、術式の陣に直接触れると術式を停止させる事が出来るらしい。
「でもよ、それだと俺達はあいつの後ろに回らなきゃならねーじゃねーか。あいつ、俺達を見つけたら殺す気で迎撃してくるぞ。そんな奴の背後にどうやって回るんだよ」
「んなもん決まってる。俺の術式を使うんだよ」
術式『諸範囲移動』。陣の範囲内なら何処にでも一瞬で移動できるアーウェルの術式。
「俺の術式を使えばあの子の背後に一瞬で回る事ができる。安全且つ確実にな。そして俺かお前のどっちかが背中の陣に触れられればそれで終わりだ」
術式の陣は既に展開済みらしく、もういつでも行けるとアーウェルは言った。
「……そっか」
それにユアンは頷くとその場に立ち上がって、
「にしても、俺達が今からやろうとしている行動って、端から見たら意味分かんねーだろうな」
「天才の考えてる事が凡人に理解されねぇのと一緒で、バカの考えも凡人には理解できねぇんだよ」
「あんま嬉しくねーなそれ」
苦笑いしながら言ったユアンの瞳には、少女の姿が映っている。
彼女のいる範囲は今、どんな戦場よりも危険な絶対の境地に変貌している。一瞬の判断ミスが死を招く、極限の地に。まともな思考回路を持ち合わせている者なら、近づこうなど決して考えないだろう。
そんな所へこの二人は向かおうとしている。
「一応今言っておくけど、あいつを止めるのは俺だからな」
「そいつは早い者勝ちだ」
ユアンの体は既にボロボロで、立っているだけでも精一杯な状態。
それでも彼は止まらない。
拳を握って、もう決して折れる事のない信念を再び胸に刻み付け、彼は見据えている。
敵ではない。守るべき者を。
そんな彼を目尻に見て、満足したような表情を浮かべるアーウェルは、
「じゃあ俺の肩をしっかり掴んでろよ」
自分の肩を親指で指し、ユアンはその大きな肩をしっかりと握る。
「──行くぞ!」
そして、真っ暗な空の下、最後の火蓋は切って落とされた。




