8 一筋の光(レイオブライト)
「そろそろ、頃合かの」
星空の下、ガルトの声が響く。
彼の前には瓦礫の上に転がっている『薔薇十字団』の団員、キファーフ=スィナンがいた。
(……くそっ)
内で吐き捨てたのはキファーフ。
これまでの戦闘は、ガルトの圧倒的な押しによるキファーフの防戦一方だった。反撃の隙すら与えぬ老人の剣戟に、彼は攻める事が許されなかったのだ。
キファーフは思う。
(何も変わってない)
戦闘を開始した当初と状況は全く変化していない。それどころか、ダメージ的に相手との距離は増すばかりで、悪化していると言っても過言ではないだろう。
自分からあれだけ威勢の良い啖呵を切っておきながら、キファーフは老人の本気を受け止めきれずにいた。
(いいや。あのじいさんはまだ本気を出していない)
これから、出すつもりだ。
雰囲気で分かる。
ゆっくりと天に向けて突き出された大剣の切っ先から、じわじわと滲み出てくる膨大な元力。空から降る紫外線のような、防ぎようのない威圧感が皮膚に突き刺さってくる。
何らかの術を発動させようとしているのは明白だった。
キファーフは瓦礫の上から切り傷だらけの体を起こし、鉾を握って立ち上がる。そして直ぐにガルトの声が聞こえてきた。
「本当はお前さんから挑戦を受けた時に発動させたかったんじゃが、何せわしの術式には使える環境と言うものがあってな。明るいと意味を無さんのじゃよ」
丸い月。満天の星空。廃墟に取り付けられた無数の『光浸樹』。
太陽が完全に沈んでも、辺りは仄かに照らされている。
「じゃが、この程度の光ならばわしの力だけで、どうにでも出来る。と言う事で見せてやろうじゃないか。お前さんの要望どおり、わしの本気をな」
ガルトは口元で小さく笑みを浮かべると、自ら視界を封じた。並行するように天上へと掲げていた白い大剣からもパッと圧迫感が消え。
そして静かな声で告げる。
「── 一筋の光、発動」
瞬間、大剣から何かが炸裂した。
ほぼ同時、廃墟中に取り付けられていた二〇〇もの『光浸樹』が甲高い音と共にガラスの如く全て弾け飛び、黄金に輝く月と夜空を埋め尽くしていた星の光が、── 一瞬にして全て消えた。
「……っ!」
それは完全なる闇が訪れた事を意味していて、キファーフが更に不利になった事を告げている。
(真っ暗で何も見えねえ……っ。それ以前にあのじいさん、星や月の光まで消すってどういうでたらめだ! 天空でも掌握したってのか!?)
術の常識を軽く逸脱しているガルトの術に、キファーフはただ吃驚するだけ。
それもそのはず。自然環境そのものに影響を及ぼす術はかなり強力で、何より極めて珍しい。理由はその殆どが強力過ぎる故、禁術に指定されているからだ。
「言っておくがわしは禁術など使っておらんぞ。術師なら考えればすぐ分かる。簡単なトリックじゃよ」
暗闇から響いてくるガルトの言葉にキファーフは瞬時に身構えし、即座に相手の位置を掴み取ろうとしたが、
「おいおい、そんなんでよいのか? しっかり構えんとお前さん……、死ぬぞ」
背筋に寒気が走り、体が一瞬固まった。
そのため、突如目の前に現れた一線の光に、キファーフは反応できない。
己の首と胴体を切り離すべく迫る白光した刃に、無様に鉾を構える事しかできない。
しかし実際に自身の首が落とされる事はなかった。
キファーフの背後から、膨大な閃光が注がれてきたからだ。
廃墟を塗り潰していた闇が一気に拭われる。
それはつまりガルトの姿が視認出来る事を意味していて、
突然照らされ現れた己の敵に、彼は先ほどとは違って戸惑う事無く瞬時に斬り掛かっていた。
鉾を再び構え直し、いきなりの閃光に怯み動きが止まった老人を刺殺するため、全力で突き進み渾身の一振りを放つ。
そして本来なら腹部を両断していたその一撃は、しかしガルトの右腹部を浅く切断し、矛先を赤く染めただけ。
(あの体勢でもかわされた……!)
そのまま左側に流れる老体だったが、倒れる事は決してなかった。両足で踏ん張り、傾く体を平行に修正すると、身を捻り更に輝きが増した大剣を横薙ぎに振るう。
それは今度こそキファーフを斬首するコースだった。
「──ッ!」
彼に迷っている暇はなかった。高速で迫り来る相手の一撃が、今までとは格の違う破壊的なものだと感じ取ったキファーフは、瞬間的に自身の持つ最強の術式を発動させ、共に鉾を振るう。
そして、
大剣と鉾が衝突し、膨大な衝撃波が空間を裂いた。
視界を覆う光と、鼓膜を貫く轟音、皮膚を焼く熱量が連続して巻き起こり、
白い波動となって二つの間に爆裂した。
(一瞬、遅かったッ!)
凄まじい振動が鉾や空気を伝って全体に響いてきていた。
メキメキ、と鈍い音が聞こえる。
キファーフとガルトはお互いの間に生じたエネルギーに弾かれて、後方へ一〇メートルほど押されて引く。両足に力を込めて押される体を停止した両者の視界は、大量の粉塵に遮られていた。
(……やられた)
キファーフは右手に握っている物を一瞥する。そこには以前の鉾はなかった。鉾の切っ先から中央部分までを吹き飛ばされており、掌の中に残ったのはただの棒切れ。
(これじゃもう戦えねーな。それにしても、さっきの一撃。完全に決める気だったなあのじいさん)
視線を上げ、今度は眼前の惨状に意識を向ける。
目障りに舞っていた粉塵が、風に流されて多少薄らいで行っているためどうにか見る事が出来る。
二人が激突した大地に、巨大なクレーターが見事に掘られていた。周囲にあった廃墟の建物は完全に瓦礫と化し、空間が先ほどよりも広く感じる。
(それと、何だったんだ? さっきの光は……)
事実上、自分の命を救ってくれた光は今も尚、瓦礫の奥で輝いている。ただ、その光は妙な圧迫感を与えてくる。
(あの光、じいさんの殺気に似てるけど、少し違う。あそこから感じるのは膨大で歪な力の塊。こんな圧倒的な気配は、初めてだ)
状況が大きく変わりつつある。
恐らく、悪い方向に。
「これはもう引き時だな。これ以上の戦闘は得策じゃない……。お互いに、そうだろ?」
キファーフが問いを投げ掛けたのは粉塵の向こうにいる老人。そして意外な事に、問い掛けの返答は返ってきた。
「何を言っておるんじゃお前さんは。武器を無くしたから引きたいってのが本音じゃろう」
「そいつを分かってんなら話は早い。俺達はもう引かせてもらう。標的の抹殺はまた今度、と言う事にして、あんたとの決着もいつか必ず付ける」
「お決まりな台詞でいい感じに締め括ろうとしおって。己から大胆な啖呵切っておきながら、己から尻尾撒いて逃げ出す、なんてのお。お前さんは自分が情けないと思わぬのか?」
「思わねー訳ねーだろ。だが、今はプライドより命ってな。俺はまだ死ねないんだよ」
「ほぉう、安っぽいプライドより命を取るか。何か信念でも持っているようじゃな。最近の若者にしてはよく出来た決断じゃと思う。でものお、わしはお前さんを逃がすつもりはないんじゃよ」
「そりゃそうだ。そっちには俺を逃がして得する事なんてねーからな。……でも、俺は引かせてもらうぜ?」
「わしから逃げ切れると?」
「ああ」
「その自信。何か考えがあるようだな」
「生憎と」
自身有り気に言い切ったキファーフの視線は、粉塵ではなく、瓦礫の山の奥へ向いていた。
瓦礫に潜む二つの影に。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
二人の会話が途切れた瞬間。
ガルトは粉塵の中に勢い良く突っ込んで行った。
(逃がす訳にはいかん! ここで奴を倒さんと状況は一切変わらん!)
キャロルの命を狙っている張本人を処理しなければ、何の解決にもならない。それどころかこちら側の戦力を知られてしまっているため、その対策を取られたら状況は更に悪くなってしまう。
(あの男は、今殺らなければならん!)
ピリピリと肌に痺れが伝わってくる。衝突した際に生じた膨大な元力が消費し切れずに空気中に停滞しているのだろう。
大剣を振るい粉塵を掻き飛ばしたガルト。同時に術式を発動させたが、
しかし、抜けた先には誰もいなかった。
既に逃げられてしまったのだ。
「遅かったか」
舌打ちをしたガルトはキファーフの痕跡を探るため、周囲を一瞥する。
(あれだけの術者じゃからな。足跡など残しているとは思わぬが)
案の定、キファーフの気配は全く感じ取れなかった。あれだけの短時間でどうやってそれだけの距離を取ったのか、不思議なぐらいに。
(これは、痛い失態じゃな)
あの男を逃がした事で、今後あの少女に一体どれだけの危険が迫るのか。そう思ってしまうと遣り切れない気持ちになってしまう。
(……それにしても。結界で星空を覆っているにも拘わらず、どうしてこんなにも明るいんじゃろうな)
ガルトの術式『一筋の光』は、発動させると同時に半径五〇二メートルの空を結界で覆い、空からの光を完全に遮断して、『光浸樹』などの光源を破壊する。簡単に言うと辺りを真っ暗闇にする術式だ。
そして、ここまでが術式発動の第一段階で。
次に、辺りから光を消した後、大剣を白光させて相手の意識を強制的に一本の光に集中させる。そうする事で相手は暗闇の中、強調された光に視界を奪われ、結果本体であるガルトに意識を向け辛くなってしまう。そして、光の太さ等を相手との距離事に調節し、気付かれる事なく接近して標的の首を取る。
言ってしまうと『一筋の光』は暗殺系の術式なのだ。
そして現在、ガルトはその術式を発動している。本来なら辺りは暗闇に覆われているはずなのだが、瓦礫の奥から漏れてきている膨大な光に、闇は完全に拭われていた。
(あそこは確か、少年がいるところじゃなかったかの。一体誰の仕業なのかしらんが、どうにも奇妙な光じゃな)
あの光からは殺気、と言うより抗いようのない圧力を感じる。長い人生の中、全く感じた事のない元力を感じる。
(いや、この感じは天力に似ておるな。じゃが天力はこんなにも歪で荒々しいものじゃのうて。天力でも人力でも魔力でもない。もしかしてこれが噂に聞く異元力と言うモノなのかの)
何にしても、まずは光の源へ向かう必要がある。今の状況を知るために。
──現在の戦況──
午後六時三〇分時点までの『薔薇十字団』団員は総勢四七名。
ところが午後七時十二分現在の『薔薇十字団』団員数は一名。イッザ=ラージーのみ。
それに対しユアン=バロウズを中心としたキャロル=マーキュリー救出部隊は、戦闘開始当初と変わらず総勢三名のまま。
戦闘の結果など、問うまでもなく明らかだった。