5 戦局の一転〔後編〕
(なーんて、ただの脅しだけど)
左腕に例えようのない激痛が走っている中、ユアンは相手の戦意を失わせようと必死に言葉を並べていた。折れた腕は木の枝と服の裾を使って固定しているものの、ぶっちゃけ応急処置にすらなっていない。
(これ以上闘えるわけねーだろ。絶賛左腕複雑骨折中だぞ。そんなんで動き回ったら痛みで気絶するっての)
それにユアンは別に術式の構造を見抜くプロなどではない。偶々相手の使っていた術式が『神の十二聖書』系のモノで、偶々その術式の事を人並み以上に知っていただけ。もし相手がエレメントやゴーレム系列の術式を扱っていたのなら、彼は術式の構造を見抜けなかっただろう。
(つーかさ。これ言っちゃ本末転倒なんだけど……、術式の構造を見抜いて、何なの? って感じなんだよね)
確かに術者同士の戦闘において、自身が使っている術式の構造を見抜かれる事は致命傷に等しい。だがそれは同じ実力を持つ術者同士の場合であり、そもそもユアンの場合は『術者』と言う前提から危うかった。
なぜなら彼は内包する元力の量が少な過ぎるため術を使えないから。
そんな彼を果たして『術者』と呼んでいいものなのか。
(俺には相手の術式を見抜く事はできても、見抜いた術式に対処するための力がない。いや、対処は出来るかもしれない。でも俺の場合、対処する方法がかなり制限されるんだよな)
ユアンには術を使わずに風、大気を操る力がある。だが、それしかない。風しか操れない。
(こんな時、元力がない自分が歯痒くてたまらない。だから──)
彼は望む。
心の底から。懸命に。
(お願いだからここはもう引いてくれーっ!!)
しかし、現実はそんなに甘くはなかった。自分の思った通りに全ての事が進むほど、優しくはなかった。
倒れていたイッザ=ラージーが立ち上がったのだ。
左手で鼻を覆い、右手にメイスを携えて。
「……てめぇは、何勝手に決め付けてんだ」
鼻声にはなっているものの、彼の声には気迫があった。今まで以上の威圧感が。
それに圧されてユアンは思わずたじろいでいた。
(さっきまでとは、違う)
何かが変わった。ラージーの何かが。はっきりとは分からない。でも、はっきりと分かる。
(こいつは、引く気なんて微塵もない。それどころか──)
戦意が、増している。
そう思った瞬間、遠くから何かが弾ける音がした。
とても不快な、気持ちの悪い音。肉が爆ぜたような、生々しい響き。
(な、んだ……?)
ユアンは思わず音のした方向に視線を向けていた。目の前に敵がいる中で、その敵から注意を反らす事がどれほど無謀な事なのかを、正しく理解した上で。
彼はそちらに目を向けた。
向けざるを得なかった。
そして、一人の少女が視界に映った。ブラウンの髪の色。セミロングヘアーで毛先が外側へ若干ウェーブ掛かっているのが印象的な女の子。ユアンの助けるべき人。
ところが、今までと同じ倒れたまま。と言う訳ではなかった。
彼女は血を流していた。決して少なくはない量の血を。
「────────」
瞬間、頭の中が真っ白になった。
どうして彼女が血を流しているのか。一体誰が彼女を傷つけたのか。彼はそれらの原因を一切思考していない。
何も考えず、ユアンは足を前に出し、少女の下へ歩み寄ろうとする。
だが、それを遮る者が自分のすぐ側にいる事を、彼は完全に忘れていた。
イッザ=ラージー。
呆然と歩いていくユアンを粉砕するべく、ラージーは飛び跳ねメイスを振り上げる。
対するユアンは自身に迫っている危機に気付いていない。彼はただ、少女の下へ足を進めるだけ。
結果、戦局は再び一転した。