10 前進
光浸樹と言う木がある。
その木はとても変わっていて、年中葉や果実などが生らない不思議な木だった。果実が生らないのに、どうやって子孫を残しているのかはまた今度話すとして、木は人々の生活に深く根付いていた。
なぜなら、その木は光を放つから。
昼間、光浸樹は太陽の光を吸い込む。そのため木の周囲は歪んで見えるが、夜になると木の枝が白い光を放ちだす。どうして光を放つのか、その理由も分かっていない。だが人々はその木を加工し、街灯や部屋の明かりなどに使っている。
だから電気や電球がなくても、この世界では夜でも光が灯っている。
そして、そんな加工された木の光に囲まれている町の広場を、一人の少年が走っていた。
ユアン=バロウズ。
彼は教会の前で立ち止まり、扉を乱暴に開け放った。
そのせいで周りから注目を浴びたが、彼は全く気にしていない。
(どこだ? キャロルはどこだ!?)
教会の中を、首を振り、眼球を動かして必死に見渡す。端から見たらちょっとした不審者に見えてしまっている。
一通り教会内を見渡したユアンだが、彼の探し人は見つからなかった。
(くそっ! ここにもいねぇ。外の広場にも見当たらなかったし、後はどこ探せばいいんだよ!)
ユアンは考える。キャロルがいそうな所を。
(あいつは頭が悪いわけじゃない。絶対に人気のないところには行かねーはずだ)
だが既に陽が沈みかけているせいで、外を歩いている住民はほとんどいない。昼間の活気が嘘のように消えていた。そんな町の外を歩けばどこでも人気のない危険な場所になる。
(じゃあ、もう考えられるのは──)
最悪な状況だけだった。
そしてなぜか今の彼にはそれが最も現実的な事実だと思ってしまう。
(何なんだよ、この胸騒ぎは。なんで俺の頭はこんな最悪な考えを否定できないんだよ……)
彼女は既に捕まっているのかもしれない。
そんな、想像もしたくない、悪夢のような事態が頭の中から離れない。
(でも、もしそうだったとしたら……)
彼女は廃墟にいるだろう。
「行くしか、ねえか」
敵地のド真ん中に。一人で。
無謀でも、足を止める訳にはいかない。
ユアンは拳を握り締め、振り返って教会を出て行こうとした。すると、
「そんな傷だらけな格好で、何しとるんじゃ?」
背後から年寄りじみた男の声が聞こえた。それは聞き覚えのある、勘に触る声だった。
「……あんたか」
振り返って、やっぱりと言う表情を作ったユアン。
そこにいるのは六〇歳過ぎの老人だった。彼はユアンとキャロルが泊まっているホテルのオーナーで、得体の知れない年寄りだと、ユアンはあまり好いていない。
「別に、あんたには関係ない」
「おいおいそんなつれない事を言わんでくれ。一度助けてやった仲だろ?」
「でも友達になった訳じゃない。それとも助けた借りを返せってんならまた後にしてくれ。俺は今急いでるんだ」
素っ気ない態度で言うと、ユアンは再び教会の入り口に進路を取り直そうとした。
と、そこでユアンの耳に、今度は聞き覚えのない男の声が響いてきた。
「おいガキ、お前は何をそんなに焦ってんだ? そんなんじゃ何にも出来やしねーぞ」
声のした方向に視線を向けると、そこには案の定見知らぬ男が立っていた。
背が高く、黒髪で赤い瞳、頬に大きな傷を持ち、服装は薄汚れた青いT=シャツにグレーのジーンズ。教会の人間ではない事は一目で分かった。
「誰だあんた?」
「そこのじいさんの知り合いだよ」
見下すような視線を向けている男に、ユアンの目つきが少し鋭くなる。
「何だかよくわかんねぇけど、ガルトさんはお前の力になってやるって言ってんだ。この人の実力を知ってんなら断る事はねぇだろ」
確かに、この老人が手助けをしてくれるって事は、ユアンにとって相当心強くなるだろう。四〇人の術者を一人で全員潰したとも言っていたし、『薔薇十字団』相手でも引きを取らないかもしれない。
でも、ユアンにはこの人を巻き込む事ができなかった。
もし巻き込んでしまったら、彼女の意思を、他人を巻き込みたくないと言う優しい思いを、全て踏みにじってしまう気がしたから。
「……悪い。俺に構わないでくれ」
「は? 何でだよ。困ってんなら助けを求めりゃいいだろ」
納得がいかないような表情になっている男に対し、ユアンは僅かに視線を逸らした。するとガルトと言う老人が声を上げた。
「これアーウェル、手助けの押し付けは己の傲慢さを自嘲しているようなものじゃぞ」
「でもよぉ……」
「相手が助けを求めてきたら、何も言わずに助ける。それが一人前の騎士ってもんじゃろうが」
ガルトの言葉に男は黙り込む。だが彼の表情はやはり変わっていない。『あんただって強引に泊めたって言ってただろ』とぶつぶつ言いながら、拗ねた子どもみたいになっている。
「……アーウェル?」
そんな中、疑問形で言ったのはユアンだった。彼は以前にもその名前を聞いた事がある。それほど昔の事ではない。聞いたのはついさっき、四時間ほど前だ。
(キャロルの言っていた知り合いの名前も、確か『アーウェル』だったような……)
「どうした? 突然阿呆の名前なんぞ呼んで」
「あ、いえその……」
突然話し掛けられて言い淀んでいるユアンを側に、名前を呼ばれは本人はと言うと、
「ちょっ、ガルトさんっ! 阿呆って何ですか阿呆って!」
そんな風に一生懸命抗議していた。だがガルトはそれを完全無視。ユアンの返答を待っている。
ここで何も言わなかったらあまりにも男が哀れに思えてしまうので、ユアンはガルトに自分が抱いた疑問を話す事にした。
「……なるほど。お前さんと一緒にいたあの嬢ちゃんの知り合いも、『アーウェル』と言うのか」
復唱するように言ったガルトに、ユアンは一回だけ頷くと続けて、
「確か、姓が『ローマー』だったような……」
「ほう、それは凄い偶然じゃのう。実はこの阿呆の姓も『ローマー』なんじゃよ」
「え? それって──」
どこかわざとらしく言ったガルトと、その言葉に驚いているユアンは、同時に話題の原点になってしまった男に視線を向けた。
「……え、俺?」
いまいち状況を飲み込めていないような態度を見せている男に、ユアンは一つ質問する。
「あんたが本当に『アーウェル=ローマー』なら、『キャロル』って少女を知っているはずだ」
内心ちょっとだけ緊張しながら言ったユアンだったが、男の返答は呆気なかった。
「キャロル? 知ってるけど」
当たり前のように肯定した。同時にユアンの鼓動が一瞬だけ大きく脈打った。
「つーか俺の探し人ってキャロルなんだよな。手紙受け取ってからもう一週間以上経ってんのに全く来る気配がなかったから、わざわざここまで探しに来たって訳なんだが……。なんだ、お前知ってんのか。じゃあその当の本人はどこにいるんだ?」
「そう言えば、お前さん一緒じゃないようじゃの。逸れたのか?」
男とガルトの問いかけは当然の事だった。男はともかく、ガルトの方はユアンとキャロルが一緒に旅をしている事を知っている。一緒にいなければ不自然だと思うのも無理はないだろう。
彼らの言葉には疑問しかなかった。彼らはただ純粋にそれを口にしただけだ。
しかし、今のユアンには、彼らの質問が尋問だと感じてしまうのは何故だろうか。
それはとても簡単な事だ。
とても単純な事だ。
「……」
なのに、ユアンは理由を言えなかった。とても簡単で単純なはずなのに。
(言える訳がないだろッ!)
砕ける勢いで奥歯を噛み締め、彼は心の中で吐き捨てた。
ユアンの瞳は男を見ていない。どこも映していない。
キャロルは言っていた。今、目の前にいる男は昔よく遊んでくれた人だと。それを話している時の彼女の声が、少しだけ楽しそうだったのを彼は覚えている。
それはおそらく信頼の証だろう。そして彼女がそんな風に思っているのなら、おそらく思われている相手も、それと同じ気持ちを抱いているはずだ。
曖昧な予想でも、勝手な決めつけでもない。
確信だった。
そんな相手に『キャロルは攫われました』など、言える訳がない。
……ちくしょうッ。
心の中で放った言葉は、しかし心の中以外にも響いていた。
「それは、何のための苦悶だ?」
言ったのはアーウェルと言う男だった。
声に出すつもりはなかった。だが、いつの間にか、自分の予期せぬ内に、その言葉は音になって自分の口から漏れていたのだ。
「お前とあの子がどういう関係なのかは知らねぇ。でも、もしあの子に何か遭ったのなら、隠すんじゃねぇ。俺はあの子を助けるために、ここに来たんだからな」
この男は、まるでキャロルの抱えている事情を全てを知っているような言い方だった。
真っ直ぐなその言葉にユアンは視線を上げていて、
そして男と視線が重なり合ったと同時に、ユアンは男の言葉の『答え』を知った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
その後、ユアンは二人に全ての事情を話していた。
キャロルと別行動を取ったこと。
自分が『薔薇十字団』に捕まって、すぐに逃げ出したこと。
今までキャロルを探していたこと。
そして彼女はもう捕まっているだろうと予測を立てたこと。
「それで、お前は一人で『薔薇十字団』に挑もうとしてたってか」
言ったのはやはりアーウェルと言う男。ユアンは男から視線を逸らさない。
「……」
そもそも何故ユアンは全てを喋ったのか。
その理由は、彼らにはそれを知る権利があると思ったから。
(いや、違うな)
教えるだけならまだ良いと思ったから。
(そうじゃない)
彼はただ……、
(俺は、ただ……)
誰かを強く思っている男の目に、気圧されただけ。
自分の力だけではどうにもならないと、直感しただけ。
だから、彼は言う。
「あいつを、キャロルを……、一緒に助けてください」
安っぽいプライドを捨てた少年は、一歩大きく前に出た。