8 力ある者
審問室と書かれた部屋の中で待つこと約四時間。
頬に大きな切り傷を持ち、黒髪で青いT=シャツの男は、ようやくそこから解放された。
「がー、長かった」
彼は教会の二階から一階に降りてきた階段の前で背伸びをすると、辺りを見渡す。
教会の営業時間は基本午後五時まで。しかしもう午後六時過ぎだと言うのに、教会の中は騒がしかった。やはり例の事件が関係しているのだろう。
「俺には、あの子には関係ないと祈るしかねーな」
男は小さなバッグを肩に担いで教会の外に出ようとした。すると、受付に見知った顔のおじいさんが立っていた。
「あれ? もしかしてガルト隊長じゃね?」
男と受付にいるおじいさんとの距離は一〇メートル。男は一人事のように口元でボソっと呟いただけ。だが対するおじいさんは男の方に振り返り、
「その声は……、アーウェルか?」
いとも容易く聞き取り返事をした。
「うおぉ、相変わらずとんでもない聴覚ですね」
「おお、やはりアーウェルじゃったか」
「でも口調は変わりましたね。年寄り臭くなってますよ」
「うるせえ。年取ると皆こうなるんじゃよ」
彼らの距離は未だ一〇メートル。端から見たら一人事を喋っているように見えるかもしれない。
男はガルトと言うおじいさんの元まで歩いていく。
「久しぶりですね。まさかまだこの町にいるなんて」
「いいじゃろ別に。わしはこの町が気にいっとるんじゃ。昼は賑やか夜は静か、いい町じゃないか。ところでお前さんはどうしてこの町におるんじゃ?」
「人探しですよ」
人探し? とガルトが聞き返し、男は首を縦に振った。そして続きを話そうとして、
ドンッ! と叩くような音と共に教会の扉が勢いよく開け放たれた。
ガルトとアーウェルは二人同時に扉の方に視線を向ける。
そしてそこにいたのは一人の少年だった。
「なんだあの汚らしいガキは。全身血だらけじゃねーか」
「それを言うならお前さんも似たようなもんじゃろ」
ガルトはアーウェルの服装を見て呆れたように言う。
「東洋人か、珍しいな」
その少年は黒い髪に黒い瞳と言う東洋人特有の顔立ちで、年は十五歳か十六歳ぐらい。背の高さは年相応と言ったところか。
かなり焦っているようで、自分が周りの注目を集めている事に全く気付いていない。
「すっげぇ挙動不審になってんな、あのガキ」
怪訝な視線を向けているアーウェル。すると隣に立っていたガルトが不意にこんな事を言ってきた。
「ああ、あれはわしの知り合いじゃよ」
「マジっすか!?」
「昨日わしのホテルに泊まりに来たんじゃ。まあわしが強引に泊めただけじゃがな」
「何でそんな事したんすか」
「何でってお前さん、わしが無理やり誰かを泊める理由なんて決まっておろうが」
その言葉に『ああそうか』とアーウェルは相槌を打った。
「あんたはまた匿ったんですね。どこの誰だか知らない人間を」
呆れたように言ったアーウェルは知っている。
ガルトはアーウェルがとある組織に所属していた頃の上官で、仕事が終わるとよく二人で飲みにいったりもした。だから知っている。ガルトはいつも、自分から首を突っ込まなければ、絶対に巻き込まれないであろう面倒事に自ら足を踏み入れる事を。
「力のない人間を力のある人間から守るため、ですか。その誓いは今も変わっていないようですね」
「今でもわしが驕っていると思うか?」
「まさか。あんたは驕ってもいいほどの実力を持っている。だからそんな誓いを立てても驕っているなんて思えませんよ。今も昔も」
アーウェルは顔の前で片手を振って、
「と言う事は、あのガキも何かしらの事情を抱えている、と」
「そう言う事だ」
「それであんたはまた助けると」
「そう言う事だ」
全く躊躇わずにそう言い切ったガルトは少年の元へ歩いていく。そしてその後を追うようにアーウェルも足を踏み出す。
「全く変わってませんね、あんたって人は」
「それがわしと言う生き物なんじゃから、仕方なかろう」
「あ、でも口調だけは変わってました」
「うるせえ」
言いながら二人は歩いていく。
一人は力なき者を力持つ者から守るために。そしてもう一人はその後ろ姿を追うように。
「それよりもいいのか? わしなんかに付いて来て。お前さん人を探しているんじゃろ?」
「あ、そーだった」