3 堕ちてゆく
真っ暗な遺跡の中を歩いている人影が二つあった。
「あのゴーレム、体が風化してたから簡単に穴開いたね」
「あんたの術の威力がすごかっただけだと思うけど」
「えーそんな事ないよー」
ユアンは魔女のような格好をした女の子と、なぜか一緒に歩いていた。と言うか彼女が勝手に付いて来ているのだ。
「でも君、もうちょっと周り警戒した方がいいよ。誰かが色々見てるかもしれないし」
その言葉にユアンは、ドキッと肩を大きく震わせた。
「もしかして……、見てた? 俺の──」
豪快な滝を、とまでは流石に言えなかった。彼は口に溜まった唾を飲み込み、彼女の返答を待つ。しばらく考え込んでいた女の子は人差し指で自分の頬を触って、
「さあ?」
とか言いつつも顔はとても面白そうに笑っている。
彼女は確実に見ていた。態度から見てそう確信したユアンは、どうしようもなく死にたくなった。名前も知らない女の子に自分のアレを見られていたのだから、当然と言えばそうなのだが。
「それよりさ、君はどこに向かってるの?」
そんな彼の心境などお構いなしに、女の子は普通に話し掛けてくる。
この娘かなりの大物だな、と思いつつ、
「どこって、荷物が置いてある場所だけど」
目的地を簡潔かつ曖昧に言った。と言うかあまり言葉を交わしたくないのだ。恥ずかしいから。
「それってあの煙が上がってるところらへんなの?」
向かっている方向から察したのか、女の子は小さく細い指で遺跡の中から上がっている煙を差す。ユアンもそれを確認して、
「ん? まあそうだけど……、って煙?」
思わず足を止めてしまった。
「? どーしたの?」
突然立ち止まったユアンに女の子は首を傾げているが、彼は気にも止めていない。
どうして煙が上がっているのか。すぐには分からなかったが、今までの事を全て思い返してみて、心当たりを見つけた。
「確かあっちの方向って……」
ゴーレムの右腕が吹っ飛んでったような。
そう思った瞬間。
ユアンの頭の中に最悪な状況が思い浮かんできた。
それは。
自分の荷物が上から降って来たであろうゴーレムの残骸に、押し潰されているのではないか、と。
あれは煙ではなく、ゴーレムの右腕が落下した際に起こった粉塵なのではないか、と。
気付いたら彼は走り出していた。
女の子を一人置いて。全力で走っていた。
そして案の定、彼の視界には最悪な光景が映っていた。
「嘘だろ、俺の荷物が……」
そこには元々、小さな神殿が建っていた。小屋ぐらいの大きさだ。四本の柱が正方形の石段の角に立っていて、屋根も崩れていなかった。おそらく、この遺跡群の中で唯一崩れずに建っていた神殿だったのだろう。
だが、今はもう粉塵が立ち込める瓦礫の山に成り果てていた。
神殿に置いてあったユアンの旅の荷物を埋めて。
「そんな、俺はこれからどうすればいいんだ……」
バッグは二つあった。一つは旅の着替えなどが入っていて、もう一つは食料が入っていた。
しかし、それらはもうない。
旅に必要な物資は全て瓦礫の下だ。
試合に負けたプロボクサーみたく、地面に膝を付いたユアン。そんな心を砕かれた少年に、後ろから慌てて追って来た魔女のような格好をした女の子が、
「うわーこれはひどい。なーに? 君の荷物この下にあったの? ついてないねー。まあ死ななかっただけマシじゃない?」
と、他人事自分には関係ありません感丸出しな事を言ってきたので、ユアンは思わず、
「マシじゃねーよっ!!」
ツッコンでいた。
「このままじゃ確実に死ぬよ餓死するよ食料ないんだぞんな状態でこんな荒野の真ん中で生きていける訳ねーだろどーすんだよこのままじゃ誰にも見送られずに天に召されるよ天使が迎えに来ちゃうよ何でいつもいつも俺はこうなんだーーーーっ!!」
遺跡にユアンの悲痛な叫び声が響き渡ったが、隣にいる女の子は全く変わらぬお気楽態度で、
「天使いいじゃん。きっと幸せになれるよ。あの世で」
「そんな幸せまだいらないから! 幸せになるならこの世でなりたいからっ!」
「大丈夫。天国に行く時はあたしがちゃんと見送ってあげるから安心して♪」
「見送ってんじゃねーよ助けろよっ!」
「その後に立派なお墓立ててあげるからね♪」
「立てないで済む事してあげてぇええええええええええええええっ!?」
的確なツッコミの後に頭を抱えて絶叫するユアン。
始まって早々終わりそうな気がしてならない。
「まあまあそんな落ち込まないで、きっと何とかなるさ」
キラキラ笑顔で親指を立てている女の子は、相変わらず他人事丸出しなまま。その親指圧し折るぞクソアマとか心の奥底で思っていると、
「ほら、あそこに無事なバッグもあるっぽいし」
「……?」
そんな何気なく言った彼女の言葉に、ユアンは頭を上げていた。女の子が見ている先を追ってみると、そこには肩に背負うタイプの大きなバッグが転がっている。
「あれは……」
間違いなく自分のものだった。
これは飽くまで推測に過ぎないが、上空からゴーレムの右腕が降って来て神殿を押し潰した際に起こった衝撃波によって、運良くあのバッグだけ飛ばされたのだろう。
経緯は何にせよ、その事実にユアンは泣きそうになった。
絶望の中からの、ほんの僅かな天の救いに。
「これで何とかなるでしょ?」
「……ああ」
あれさえあれば旅は続けられる。たとえ食料が入っている方のバッグじゃなくても、きっと何とか──、
「ならねーよっ!!」
食料がなければ餓死エンドは変わらない。天からの救いは本当に僅かだった。
再び頭を抱えて唸っているユアンだったが、そこで不意に気配を感じた。
(……?)
誰かに見られているような感じがして、彼は頭を上げようとする。
だがその前に、
背中を裂くような殺気が襲った。
「──ッ!」
先程までの能天気な絶望気分が弾け飛ぶ。
ユアンは反射的に後ろを振り返っていた。
しかしそこにあるのは暗闇に沈む遺跡だけ。変わったところは何もない。
(何だ、今の……)
尋常な殺気ではなかった。もしかしたら今の一瞬で自分は死んでいたかもしれない。そんな風に思わせられるほどの悪寒を感じた。
(気のせい……、じゃねーよな)
あれほどの気配が思い違いだったとは考え難い。現に体中から気持ちの悪い汗がじっとりと纏わりついている。
当初、この遺跡には自分以外誰もいないと思っていた。こんな滅んだ都に住んでいる者などいる訳がないと思っていた。
だが自分以外に人はいた。
隣に立っている女の子が正にそれだ。
他にも人がいるかもしれない。ここに住んでいる人とかがいるかもしれない。もっと得たいの知れない何かがいるかもしれない。
(何にしても……)
ここは危険だ。
彼はそう直感した。
急いで遺跡から出ようと思い、バッグを取りに行こうと一歩前に出たユアンだったが、
「──ごめんね」
不意に後ろからそんな声が聞こえてきた。悲しそうな、辛そうな音色で。
それが魔女のような格好をした女の子のものだと判断したユアンは、彼女に視線を向けようとして、
背後から強烈な突風が吹きつけてきた。
髪が靡き、衣服に引かれて体が揺れる。
そして気が付くと、
ユアン=バロウズは大空を舞っていた。
「……は?」
三六〇度見渡す限りの星空の中、間抜けた声が口から漏れる。
空中で数秒、無重力状態が続いていた彼の体が地上からの重力に引かれ出すのと、
彼の表情がじわじわと青白くなっていくのは比例していた。
「なっななっ、なんじゃこりゃァああああああああああああああああああああああっ!?」
ついでに本日五度目の絶叫が迸り、
そうしてユアンは、上空一〇〇メートル地点から地上へ落下していった。