5 誓い
ぼんやりと、人の話し声が聞こえる。
「う……」
頭と体に疼くような痛みが走る。
目が覚めたら見覚えがない建物の中で転がっていた。建物と言っても屋根が半分ほどしかなく、レンガで造られた壁と柱だけの古びた廃墟だ。広さは学校の体育館ほどで、入り口が左右に複数ある。だがどれも扉などはなく、ただの囲いと化していた。
(ここは……?)
一種の記憶障害なのか、自分がどうしてこんなところで眠っていたのか、彼は覚えていない。その事について考えようとしたユアンだが、そこで気付いた。
自分の手足が、動けないよう縛られている事に。
そして同時に思い出した。自分の身に起きた全ての事を。
(……くそ)
『拉致』と言う言葉が頭の中に思い浮かぶ。
(今は、何時だ?)
彼は首を動かして周りを見渡す。
汚らしい廃墟には物などはなく、半分しかない天井からは夕日のような紅い光が差し込んでくる。
(ってもしかして、もう夕方なのか!?)
ユアンが襲撃され捕まったのはおそらく午後二時過ぎの事だろう。そして今の時期、陽が翳り出す時間帯は午後五時から六時ぐらい。
(三時間も気を失ってたって訳か)
キャロルとは大雑把だが夕方ぐらいに、ホテルの前で合流する事になっている。早く行かなければ彼女に余計な心配をさせてしまう。
ユアンは腰の後ろで縛られている両手首を動かしてロープから抜け出そうとするが、全く意味を成していない。相当強く縛られているのか手首に痛みすら感じる。足首の方も手首と同じだった。
と、何とかここから抜け出そうとしているユアンの耳に、左側の一番近い入り口から再び人の話し声が聞こえた。声のトーンから男だろう。
「ったく、ラージーさんにも困ったもんだ。餌だかなんだかしらねーが、俺たちにあんなガキの見張りを言いつけるなんて」
「全くだ。あんなガキ、さっさと殺しちまえばいいのによぉ。『二人同時に殺ったほうが面白い』とかなんとか言ってさぁ」
「あの人のドSっぷりにはホント鳥肌もんだよな。絶対すぐには殺さねーぞ」
「なんか素直に同情するよ」
「おいおい、変な気は起こすなよ」
「起こすかバカ」
そんなような声を聞いたユアンは、
(敵は二人か。こっちに向かってきているな)
状況を分析し、行動に出る。
彼は両手両足をロープで縛られている。そのロープは普通のロープではなく、何かしらの術が掛かっているようだった。
(どうせ元力の循環を阻害するタイプのもんだろ。無理に術を発動させれば力が塞き止められて体が破裂するってお決まりのな。でも、俺にそれは通用しないんだな、これが)
汚い地面に横たわっているユアンは両の掌を拳に変えて、目を閉じる。そして彼が息を吸い、吐き出し、また息を吸った瞬間、
両手両足を縛っていたロープが弾け飛んだ。
もしそれを他の人間が見ていたならば、必ず驚いているだろう。理解できないだろう。
なぜなら彼は『術』を使っていないから。
(うまくいったな)
手足が解放されたユアンがその場にしゃがみこむのと、数ある廃墟の入り口の一つから黒いローブを羽織った青い髪の男と黒い髪の男が、話しながら入ってくるのはほぼ同時だった。
(奴らはまだ気付いていない。やるなら今!)
決意を固め、戦闘の準備を開始する。
大気が不自然に蠢いた。するとユアンを中心とするように、回りに溜まっていた砂や埃などが突然発生した風に巻き上げられ、渦の形に変わっていく。その渦は最初、半径二メートルほどもあったが次第に小さくなっていき、ユアンの両足に巻きついた。
それは例えるなら風のプーツ。
一緒に渦を巻いていた砂や埃などは一切取り除かれていて、透明な、しかし視界で捉えられるほどに圧縮された風の渦。
そして会話をしていた男達だったが、青い髪の男が、ユアンがロープから解放されている事に気付き、
「おい! あれヤバイんじゃねーか!?」
その言葉に残るもう一方の男もユアンに視線を向けて、
「なっなんであいつロープから抜け出してんだよ!」
かなり驚いていたがもう遅い。
ダンッ! と地面を蹴り飛ばして前に飛んだユアンは、そのまま真っ直ぐに男達の元に向かう。
そのスピードは尋常ではなかった。男達との距離は二〇メートル以上もあるのにも関わらず、一切地面に足を着かずに、弾丸のような速さで向かって行く。
そんな高速的な状態の中、ユアンは両手を広げて、青い髪の男は顔面を覆うように両腕をクロスさせ、黒髪の男は突っ立ったまま。
そしてユアンは、そのまま二人の男の間に入り、首元に腕の内側部分を打ち当てた。
プロレス技のラリアットだ。
鈍い音が聞こえた。
「が──ッ!」
「ご、ぶ──ッ!」
合計四本の足が地面から離れると同時に、二人の男は真後ろ(ユアンから見たら前)に吹っ飛んでいく。構えが取れなかった黒い髪の男は地面の上を、砂ぼこりを立てながら転がっていき、構えを取った青い髪の男は黒い髪の男ほど派手には転がっていかなかった。
黒い髪の男は完全に気を失い、青い髪の男は体を起き上がらせようとする。だが、その前にユアンが胸を踏みつけて、背中を地面に叩きつける。
「ぐっあ、てってめぇ……!」
男はユアンを睨み付けているが、彼は全く取り合わない。ユアンは男に問う。
「俺をここに連れてきた男はどこだ?」
「……言うと、思うか?」
「言わなきゃ殺す。と言ったら?」
「じゃあ殺せよ。俺達はいつでも死ぬ覚悟はできてる」
「ご立派な誠心だな」
「覚悟してなきゃやっていけない世界なんでね」
「……そうかい」
苦い声で言ったユアンは、胸を押さえつけている足でそのまま男の顎を蹴り飛ばした。大きく上を向いた男が動かなくなったのを確認すると、自分の周囲を見渡す。
周りにはユアンが倒れていた廃墟の他に、同じような古びた建物がたくさん並んでいた。どうやらここは町だったようだ。地平線に沈みかけている夕日に照らされて、どこか神秘的な雰囲気を醸し出している。
だがそれに見惚れていられるほど、今のユアンに余裕はない。
「くそっ、ここどこだ? 町には近いんだろうな」
先ほど周囲を見渡したが他に人の気配などはなく、彼を攫った男も今はいないようだった。
「ここが『薔薇十字団』の拠点ってことなら、ここで待ち伏せていればあいつは来る」
だが、その前にキャロルと合流しなければならない。
「きっとまだあいつは捕まってねーはずだ」
そう思う根拠は『薔薇十字団』の一時的な拠点であろう、この廃墟の人の少なさを見れば分かる。もし捕まっていればここは奴らで埋め尽くされているだろうから。それ以前にそうなっていれば、自分はもう天使に連れられて天国に行っている。
「あのクソ野郎、何が『二人同時に殺ったほうが面白い』だ。つまらねー事考えやがって」
ユアンにはあの襲撃者が何を考えているのか想像がつく。
(どうせ俺かキャロルのどっちかを先に殺して、残った一方が泣き叫んでいるところを見て悦に浸ろうって言う、胸クソ悪ぃことでも考えてんだろうなぁ。あの野郎は)
そういう事を考える人間かどうかは、相手の目を見れば分かる。と言うかあの襲撃者はどう見てもそんな人間だ。
「絶対に、殺らせねえ」
ユアンは荒野の向こうに小さく見える、一つの町を睨み付ける。ここから町へは三キロ以上あるだろう。だが、そんなものは関係ない。そんな事ではユアンの足は止まらない。
彼は誓う。
「必ず、守ってみせる」
自分の心に。守るべきモノに。