1 襲撃者
「……暑い」
両手に買い物袋を持ったユアンは、建物と建物の隙間にある陽の光があまり届かない小道の入り口付近で、立ったまま壁に凭れかかっていた。
「つーか、何だったんだ? さっきの騒ぎは」
先ほど、市場で騒ぎが起きた。彼は騒ぎの起こった現場の近くにはいたが、現場そのものに居合わせた訳ではないので、一体どんな騒ぎだったのかは知らない。気になったので近づこうとしたのだが、大勢の人の流れに遮られ現場には行く事ができなかった。
何より、無理をして現場にいく必要もなかったので、彼は人込みを避けるため一先ず人気のないこの小道に入り込んだのだ。
「人込みは苦手だ。人の熱で暑苦しいんだよ」
右手の買い物袋を地面に置いて、服の首元に人差し指を引っ掛けてパタパタ扇ぐユアン。
しばらくの間、そこでぼーっとしていたユアンだったが、買い物を再開するため地面に置いた袋を手に取り、小道を出ようとした。
「あと旅に必要なものは、っと」
そう言ったユアンだが、しかし彼がこの薄暗い小道から出る事はなかった。
妨害が入ったからだ。
風を切るような音と共に、後ろからユアンの足元に何かが刺さった。当然彼は足元に視線を向ける訳で、
(……ナイフ?)
それはレストランなどでいつもフォークやスプーンの隣に置いてあるあのナイフ、ではなく、正真証明人を殺す為だけに作られた鋭い短剣だった。石畳の地面にしっかりと突き刺さっている辺り、切れ味は相当なものだろう。
(何でこんな物が後ろから……)
考えて、彼は警戒した。すぐに後ろを振り返ろうとしたが、その前にそれは起こった。
突如、足元の地面に刺さったナイフが起爆した。
「──ッ!?」
何かを叫ぶ暇もなかった。
慌てて両手を顔の前で組んだユアンだったが、そんな程度ではそれを防ぐ事はできない。
爆炎は上がらなかった。
ところが、その代わりと言うように耳を割るような甲高い爆音と、普通の爆弾の数倍はある異常な爆風がユアンを襲った。
その場から五メートル以上吹き飛ばされた彼は、地面に背中を打った衝撃で肺から酸素を根こそぎ吐き出す。さらに至近距離からまともに爆音を聞いたせいで、尾を引くような耳鳴りが鼓膜を支配している。
「……ッ」
そして、それ以上に体の至るところから鋭い痛みが走っていた。両腕を顔の前で組んだお陰で視界だけは潰れていなかったから、彼はすぐに自分の体に視線を向けたのだが、
「……くそッ」
思わず毒づいていた。しかし一時的に爆音で聴覚を潰されているユアンには、自分の放った言葉がしっかり発音されているのかどうかもわからない。
彼は体中に無数の切り傷や刺し傷を負っていた。理由はおそらく、ナイフが爆発した際に、刃の破片が飛び散りユアンに襲いかかってきたのだろう。一つ一つの傷の規模は小さいものの、未だに刃の破片が所々刺さっていて、鋭い痛みが体中を巡っている。
「ぐっ……」
なんとか体を起き上がらせたユアンは、汚い地面に座ったまま近くの壁に凭れかかる。周りを軽く見渡すと爆発で袋が破けたのか、さっきユアンが買ってきた旅の食糧や道具などが地面に散らばっている。
「……あーあ、最悪だ」
それを見てうつろな声を出すユアン。
視線を自分の体に戻すと一本ずつ体に刺さった刃の破片を抜いていく。そして彼は作業を続けながら考える。
(こいつは、もしかして『薔薇十字団』の仕業か? だとすると、キャロルが危ねえ)
痛っ、と破片を抜くたびに痛みが走る。
(でも、よくよく考えれば今あいつは教会の中にいるんだよな。じゃあ俺なんかと一緒にいるより遥かに安全じゃね? それでも相手はあの『薔薇十字団』。教会だろうがなんだろうが構わず突っ込んでくるかもしれねーし……)
迎えに行くべきか、行くべきではないか、と悩んでいる内にユアンは体中の破片をある程度抜き終えた。
(ま、考えるのは後にして今はここから離れよう)
そう思ったユアンだったか、そこで違和感に気付いた。
なぜ、敵は襲ってこないのか。
今までユアンが倒れている間にいくらでも攻撃を仕掛けるチャンスはあったはずだ。なのにどうして何もしてこないのか。
だが、それを深く考える暇はなかった。
「敵前でゆっくり体の破片取りとは、随分と余裕だな」
今まで耳鳴りに支配されていた聴覚が機能を取り戻しつつあるのか、突然聞こえてきた少年の声に、ユアンは対応できなかった。
そして同時に、
ドスッ! と鈍い音と共に鼻を中心とする形で顔全体に衝撃が走った。
それが顔面を蹴られた事だと認識したのはその一瞬後の事で。
前からの衝撃で後頭部を壁に叩きつけ、ユアンの意識が一瞬飛びかける。
「がぁ──ッ」
悲鳴がうまく上がらない。喉のところでつっかえたみたいになっている。頭を打った衝撃で脳を揺さぶられ、視界の焦点が合わず、思考がうまく働かない。
「どーだった? 俺の特性ノイズボマーナイフ(今命名)は。かなり効いただろ」
顔面と後頭部に鈍い痛みを感じる中、ユアンはグラつく思考でなんとか襲撃者の声を聞き取り、襲撃者本人に視線を向ける。
歪む視界に映ったのは、頭にフードを被り黒いローブを羽織っている少年(?)だった。フードのせいで顔つきまではわからないが、声のトーンから自分と歳の近い男だとユアンは判断する。ただその少年は、片手で頭を押さえながら何だか苦しそうにしていた。
「っ痛ー、でもあんま使い物にはなんねーな。離れてたこっちにまで音来たぞ。まだ耳鳴りがおさまらねーし」
どうやら、襲撃者の少年もさっきの爆弾ナイフのダメージを受けているようだった。
(こいつ、俺が破片取ってる間に襲ってこなかったのは、襲わなかったんじゃなくて、襲いにいけなかったのか? 自分の攻撃を自分にも喰らっちまったせいで)
ドジっ子かよ、とツッコミを入れられる程、まだ彼の思考は回復していない。
「やっぱりお遊びで創った術式を実戦で使うもんじゃねーな。何が起こるかわかったもんじゃねー。相手が雑魚じゃなかったら結構まずい状況になってたかもな」
ユアンは襲撃者の言葉に歯軋りする。
(クソッ、不意打ち掛けといて何が雑魚だ。真正面からやってたらてめーなんぞ一発KOだくそったれっ)
そんな負け惜しみを思ったところで状況は全く変わらない。
「さて、ここでてめーを殺してもいいんだが、それじゃあ『本命』がどこにいるかわからねー。拷問して無理やり聞き出すって手もあるんだが、俺の場合すぐ殺っちまうからダメだ。だからてめーは餌として使わせてもらうぜ」
ニヤリ、と邪悪な笑みを浮かべる黒いローブを羽織った襲撃者の少年。
(……餌、だと?)
襲撃者の言葉に不安を抱かずにはいられないユアン。
だが、彼の体は既に相当なダメージを負っている。歩くのが精一杯と言うこの状態で、とてもこの襲撃者から逃げられるとは思えない。でもここで捕まる訳にもいかない。もし捕まったら襲撃者の言うとおり、キャロルを誘き寄せる『餌』になってしまうから。彼女を守るはずの自分が、彼女を危険な場所に引き寄せる足掛かりとなってしまうから。
だから、ここでダウンしている訳にはいかない。
(捕まる訳には……、いかない!)
拳を硬く握り締めたユアンは重たい体を無理やり動かし、襲撃者に襲い掛かろうとした。対する襲撃者の少年は、『耳鳴りうぜー』と呟きながらユアンから視線を外している。
(チャンスだ! 今だったらやれる!)
だが、硬く握り締められた彼の拳が襲撃者に当たる事はなかった。
「ナメてんじゃねーぞ、雑魚が」
ドッ! と、無感情な言葉と共に襲撃者が放った一発の膝蹴りが、ユアンの鳩尾に直撃した。
「ご、ぶっ!」
肺から酸素が搾り出される感覚がした。襲撃者の膝が鳩の深くに抉りこむ感覚がした。
「そんなにがっつくなよ。楽しく行こーぜ? 楽しくよ」
襲撃者のあざ笑うような声は、しかしユアンには届かない。前からの衝撃で今度は壁に背中をぶつけたユアンは、ズルズルと背中の服を壁に擦り付けながらゆっくり地面にしゃがみこむ。
(ちく、しょう……)
視界が眩み、その言葉を思い浮かべたのが最後だった。
そして今度こそ、確実にユアンの意識は飛んだ。
第三章いきなりの急展開です!