1 一時間後
町は暗闇に包まれていた。
地上からはほとんど光が放たれておらず、丸い月が空高くから照らしているだけ。人の声がほとんど聞こえず、虫の音が寂とした荒地から響いてきている。そんな町だが、あるホテルの一室だけ光が漏れていて、声が聞こえた。
「い──ッ」
右肩に激痛が走った。思わず体を跳ね上げると、
「こら! 動いちゃダメだって!」
かわいらしい声で怒られてしまった。
今、ユアンはキャロルに傷の手当をしてもらっている最中だった。
「血は止まってるけどあんまり動くとまた噴出しちゃうかもしれないでしょ?」
「大丈夫だって。俺傷の治りはかなり早いから」
「そんなの全然言い訳になってないよ」
「いや言い訳じゃなくてマジなんだけど……」
「だいたい銃で撃たれてからまだ一時間しか経ってないのに、そんなに早く治る訳がないじゃん。本当ならもっとしっかりした治療をしなきゃならないんだからね。これは飽くまで応急処置。明日になったら真っ先に病院行かなきゃだから!」
まったくなんでこの町の病院は夜やってないのー? と若干お母さんみたいになっているキャロルは、割りと元気だった。それを確認したユアンは視線を彼女から窓の外に向けて、ぼんやりと眺め出す。
あれから一時間が経った。
いや。喫茶店の一件からまだ一時間しか経っていなかった。
襲撃者が去った後、ユアン、キャロルそしてホテルのオーナであるおじいさんの三人は宿に戻る事にした。ユアンの肩の傷を手当する、と言う目的もあるのだが、一番の理由は敵の増援に見つからないよう隠れるためだった。このホテルには術的な結界が張ってあるらしく、その内容は『術者本人が招いた者以外にはここを認知できない』と言う事で、敵はここを見つける事が難しいだろう、との事だ。
(あのじじい、最初から俺らをここに泊めるつもりだったのか? でなきゃ俺らはここを見つけられなかったはずだし)
ホントつくづく得たいの知れないじじいだな、と思うユアン。
(まあ、あいつらが何なのか、どうして俺たちが狙われたのか、いろいろわかんねーけど、とりあえずは一安心ってところか)
二人が居るのはホテルの三階、夕方借りた部屋だった。目立つ家具などはなく、ベッドと本棚とクローゼット、それに両開きの窓だけの殺風景な一室だ。二人の荷物は部屋の隅っこに置いてあり、ベッドの上にはおじいさんから借りた包帯と薬品が入った箱、つまり救急箱が開いたまま置いてある。
「はい、これでオッケー」
キャロルは肩に巻いた包帯を軽く縛ると、一発ユアンの背中を叩く。もちろんそんな事をすれば、
「ぐぎ──ッ!」
傷口に響いてしまう訳で、ユアンは床の上をうめきながら転がりまわった。
「何すんだよ! クソ痛ーぞ今の!」
「ほーら、何が早く治る方だ。まだまだ全然治ってないじゃん」
「そんなに早く治る訳ねーだろ!」
「あれぇ? さっきと言っている事が違うんだけど」
ニヤリ、と意地の悪そうな笑みを浮かべるキャロル。
「お前まさか俺にそれを言わせるために叩いたのか!?」
「まあね♪」
気楽そうに笑顔で答えるキャロルに本気で殴ってやろうかと考えたユアンだが、先ほどの叩きが思った以上に響いていてうまく立ち上がれない。そんな彼をキャロルは無視して立ち上がると、
「わたしこれからお風呂に入って来るけど、貴方は動いちゃダメだからね。ちゃんとそこで転がってるんだよ」
「随分とけが人の扱いが雑だな」
「わたしは看護士さんじゃないからね」
そう言いうと彼女は自分の鞄から着替えを取り出し、部屋を出て行った。
おそらく彼女は自分がいなくなってもユアンが動かないようにするため、傷口を叩いたのかもしれない。だが、もしそうなのならもうちょっと違うやり方をしてほしかった、と思うユアンだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
それから五分後。
ユアンはようやく体を起こし、床に座ったままベッドに凭れかかる事ができた。
「くそ……。キャロルのヤロウ。何か仕返ししてやらねーと気が済まねーぞ」
そんな事を呟きながら立ち上がったユアンだったが、ふと、彼の体がふらりと揺れた。そしてそのまま後ろのベッドに腰をかける形で座り込む。
「……」
体に力が入らない。筋肉痛のような感覚が体全体を包んでいる。痛みはそれほどないのだが、とにかくだるかった。
「あーあ、やっぱり運動不足だったか」
本人はそう言っているが、実際『運動不足』なんて理由にもならない。
水分&栄養不足で倒れたのが昨日の昼頃。次に合計重量四〇キロ前後の荷物を背負って走ったのが、今日の朝から夕方ぐらいまでの出来事。そしてその後に起こった不意の戦闘。
はっきり言って、体が悲鳴を上げない訳がなかった。
ユアンは全てを投げ出すようにベッドに身を預け、両手を軽く広げて天井を眺める。
「……本当に、なさけねーな」
意識がどんどん遠くなる。視界が眩み、何も考えられなくなり、ユアンはそのまま動かなくなった。