12 襲撃
「……」
ユアンはドアノブに手を掛けて、感じた。直感した。
この扉を開けてはならないと。一刻も早くこの扉から距離を取らなければならないと。
理由は分からない。ただ自分の生存本能がそう告げている。
彼は横目で隣にあるカーテンの閉まった窓に視線を向ける。見た目はなんの変哲もないただの窓だ。しかし今重要なのはそこではない。そのわずかな隙間から妙な影が見えていた。
夜の闇に蠢く影。
そして、
「──ッ!」
何かを確認する前に、ユアンはキャロルに飛びかかっていた。
えっ? と気の抜けた声が聞こえたが彼は無視して、倒れる彼女の体の下に自分の左腕を回してクッション変わりにする。疼痛な痛みが腕に伝わったがそんなものに気を取られている暇はなかった。なぜなら、
轟ッ!! と爆音と共に、喫茶店の扉が周りの壁ごと横に薙ぎ払われたからだ。
強い風が店の中に吹き付けた。レンガ造りの壁の細かな残骸が、キャロルに覆いかぶさっているユアンの背中を叩く。幸い大きな塊は降ってこなかったが、だからと言って全く痛くない訳ではない。
客は粉塵が舞っている店の入り口を呆然と眺めていて、筋肉質な従業員は今にも泡を吹いて昏倒しそうな表情だった。おそらく皆、目の前で何が起こったのか理解が追いついていないのだろう。
かく言うユアンも同じだった。何かが起こると予感はできても、起こる何かまでは予想できない。つまり彼も一体何が起こったのか、なぜ店の入り口が破壊されたのか、分からなかった。
(いったい、何が……)
困惑するユアンだったが、ふと入り口付近に舞っている粉塵の中に大きな人影が現れた。高さ二メートル程もある巨大な影が。
「……標的見えるか、デリック」
「ああ、しっかり見えている。あとはこいつで頭を撃ちぬくだけだ」
ゆっくりとした口調の野太い声と、しっかりした滑舌のハスキーボイス。二人の男の声が倒れているユアンの耳に届いた瞬間、
カチャッと言う金属と金属がぶつかるような音が聞こえた。
(……? あの音、金属か? それに撃ちぬくって……)
大きな人影の後ろから新たな人影が現れる。先ほど男の声は二つ聞こえてきた。おそらくその内のもう片方なのだろう。その影はほっそりとしていて、身長もユアンと対して変わらない。ただ、その影は腕を挙げてこちらに何かを向けていた。
(金属で撃ちぬくって言ったらつまり……、あれしかねーじゃねーかッ!)
ギリッ!! と奥歯を噛み締めたユアンはすぐさま起き上がり、床を削るような勢いでキャロルの小さな体を抱えて左のボックス席に駆け込んだ。
三回の銃声が鳴った。最前まで二人が倒れていた床に直径一センチ程の風穴が複数開く。銃声はそれだけでは止まない。ユアンの背中を追いかけながら段々と近づいてくる。
(くそっ! 何で俺が狙われてんだっ!)
舌打ちして彼はテーブルを縦に蹴り上げると、その影に身を隠す。そんなに長い距離を走った訳ではないのに、息が長距離走をした時のように荒い。拳銃で背中を狙われると言うあまりにも巨大なプレッシャーで、精神的に息切れ状態なのだ。
(何なんだよあいつらは! いきなり現れて、いきなり物騒なもんぶっ放してきてっ!)
ユアンは考えながら息を整えていると、弾丸が盾にしているテーブルを貫通し頭を掠めていく。彼はそれに冷や汗をかきながら、
「このテーブルも長くはもたねーな。キャロル、お前は体勢を低くしてここで隠れてろ! その間にあのクソ野郎どもを黙らせやる!」
「黙らせやるって、どうやって!」
キャロルはユアンの膝の上で叫ぶ。ユアンは彼女を床に降ろすと左手で縦に立てられているテーブルの上を掴んで、
「は? んなもん決まってんだろ。『力』で、だよ」
そう言うとユアンは空いている右の掌を力強く握って、開く。
(……この『力』を使うのはかなり久しぶりだな。でも、やっと『アレ』を試せる機会ができたんだし、ここはポジティブに考えるべきだな)
思ってユアンは開いた右の掌を地面に向ける。
そしてその現象は起こった。
突如、彼の掌にドーナツ状で掌に余る程の大きさの、厚さ〇・一ミリほどの高速で回転している透明な空気の塊が形成された。周りにある空気がユアンの『力』によって渦を巻き、圧縮され、形を成して、武器になっていく。
「……」
一方、キャロルはそれを見て黙り込んだ。
彼女には分からなかったのだ。ユアンの掌で起こっている現象が。それは『術』ではなかった。全く『元力』を感じられないそれは、逆に得たいの知れないものに対する気持ち悪ささえも感じさせられる。
「準備完了っと」
そんな彼女の怯えた視線に全く気付かずに、ユアンは曲げていた膝を一気に伸ばし、ばねのように飛び上がると左手を軸にして、縦に立てられているテーブルを乗り越える。途中、数発の弾丸が彼の体を掠めたが無視して、後ろに引いていた高速で回転しているドーナツの薄い空気の塊を、腕を振るって粉塵に映っている人影に向かって放つ。
風を切り裂きながら手裏剣のように飛んで行く、高速で回転する薄い空気の固まりは、粉塵を吹き飛ばしながら二つの影、特にほっそりとした体の影に向かっていく。
(まずはあの銃を使う奴からだッ!)
だが、ユアンが放った空気の手裏剣は突然軌道を変えて、その隣にいた大きな人影に突っこんでいった。
粉塵の向こうで、何かが舞った。
「……ぐっ!」
同時に痛みを堪えるような男の悲鳴も聞こえた。
テーブルを乗り越えたユアンは着地の衝撃を吸収するために膝を曲げてしゃがみこむ。彼は目の前で鬱陶しく舞っていた粉塵の一部が払われたのを確認して、目の前を凝視する。
(あれ? なんか軌道逸れちまったなー。コントロールミスったか? まあ一ヶ月も『力』使ってなかったら嫌でもそうなるか)
空気の手裏剣が軌道を変えたせいで、粉塵が払われた位置も狙いより大きく外れた。
濃く舞っていた粉塵の中から見えてきたのは身長一九〇センチもある、フード付きの黒いローブを着た力士みたいな大男だった。大男の右肩には二メートルを越える黒い巨大なハンマーが担がれていたが、反対側の左腕の側面からは赤い血液が衣服の裂け目から染み出ていた。そのせいか大男は片膝を地面につき、じっとこちらを睨んでいる。
(あいつは近接戦闘型か。なら近づかなければいいだけだ。問題はもう一人の男……)
考えながらユアンは両の掌に、再びドーナツ状の高速回転する空気の手裏剣を生み出す。
その間、約五秒強。
決して短いとはいえない時間。いや戦闘においては長すぎると言ってもいいだろう。だが、大男の方はともかく銃を持っているであろう影も、立ったまま何も仕掛けてこなかった。
(なめられなもんだな。不意をつく必要がないってか。ふざけやがってッ!)
腰を落とした状態でユアンは両足に力を込める。そして一瞬の沈黙の後、敵は動き出す。
四回銃声が聞こえた。カーテンのように舞っている粉塵を貫いて、四発の弾丸が標的の体をぶち抜くために突き進む。
だが弾丸は標的には当たらない。ユアンが曲げていた膝をばねのように使い勢い良く前へ踏み出した事によって、何もなくなった空間に弾丸が通り抜けていく。
(粉塵のおかげで弾丸の軌道がよくわかる。俺の動体視力を合わせればこのぐらい簡単に避けられるんだよ!)
そして前に出た勢いを利用するように、左の掌で高速回転する透明な空気の手裏剣を、弾丸を放った影に向かって放つ。
(今度は逸れねえ絶対にッ!)
斬ッ!! と空気を裂く音が透明な手裏剣の尾を引いて影に迫っていく。だが、その影は少し身を屈めただけでそれを軽々とかわし、同時にまた銃弾を放ってくる。
(なっ、あの野郎、俺と同じことをッ)
ユアンの手裏剣は飛ばすとき、周りの空気を押しのける性質がある。そのため肉眼では捉え難い透明な攻撃でも、粉塵の中を突き進めば弾丸が迫って来るよりも簡単に軌道を読めてしまうのだ。
(俺の攻撃は弾丸よりもデカイし遅い。そーいうのがいろいろ重なっちまったんだなくそったれがッ)
「チッ!」
思わず舌打ちしたユアンに複数の弾丸が襲い掛かる。今はそれら全てをギリギリのタイミングで全てかわしているが、そんな奇跡に近い芸当が長く続くわけがなく。
(このままじゃ蜂の巣にされちまう! 早く何とかしねーと)
ユアンの体に所々弾丸が掠めていく。
喫茶店の中は狭い。少し走っただけで破壊された店の入り口から外に出られてしまう。
(ここはいったん外へ脱出だ!)
入り口の粉塵を裂いて転がるように外へ出たユアンは、すぐさま体勢を立て直し片膝を付いた状態で顔を上げる。だが、彼の前には巨大なハンマーを持った大男が立ち塞がっていた。
ズンッ、と言う振動が足に伝わった。目の前にいる身長一九〇センチの大男が一歩前に出たのだ。
「……邪魔をするならここでお前を殺す。死にたくなかったら早めに立ち去ることを進めるが」
「はッ、それはこっちの台詞だ。人がせっかくいい気分で飯食い終わったって言うのによぉ、それを台無しにしやがって。何しに来たかは知らねーが、怪我したくなかったらこの喫茶店からさっさと失せやがれ!」
つってももう怪我しちまってるか、そう付け足したユアンと大男が睨み合う。両者の眼差しには殺気しか篭っていない。
「……ふん。どうやら死にたいらしいな」
「お決まりの台詞を堂々といいやがって。聞いてるこっちが恥ずかしいっつーの」
「……減らず口を言いやがる。まあそんな風に言えるのも今のうちだけだろうけどな」
なに? とユアンは眉をひそめて、動きが止まった。
「な──」
彼は見たのだ。大男の後ろにいるもう一人の眼鏡をかけた男(粉塵の外に出たから人影の姿が分かるようになった)。そいつが片手に銃身の長い銀色の回転式拳銃を握りながら、キャロルの隠れている縦に立てられたテーブルに向かっている事に。
(……ちょっと待て、あの男。一体何に向かってやがるんだ? そもそもこいつらは一体何が狙いなんだ?)
嫌な予感がする。ユアンはそう感じた。大男はそんな彼の表情を見ると口元を歪ませて、
「……お前は何も知らないようだな。僕達の事も、あの子どもの事も」
「な、に……?」
ユアンの頬に冷たい汗が流れる。眼鏡をかけている男はテーブルの前で足を止めた。そしてゆっくりと、回転式拳銃の銃口をテーブルに向ける。
(──)
大体は想像がつく。が、だからこそ認めたくない。
認められる訳がない。
焦りの色が表情にまで出てきているユアンを見て、大男はニヤリと笑う。そしてゆっくりとした口調で、言葉を放つ。
「……僕達は、お前と一緒にいたあの子どもを殺しにきたんだよ」
聞いた時には既に弾丸は放たれていた。
二発、三発、弾丸がテーブルの真ん中に突き刺さり、そのまま貫いていく。
悲鳴は、ない。
いや、聞く前にユアンの体は動いていた。
「うッうおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
店の中だけではなく、外にまで響き渡る声量で絶叫し、
ドンッ! と地面を蹴り上げて、爆発的なスピードで眼鏡を掛けた男の下へ駆けていく。だがそれを遮るように黒い巨大なハンマーを両手で振り上げた大男が立ち塞がる。血が溢れ出ているのにも関わらず左腕をも使って。しっかりと両足で自分の体を支えて。その姿はまるで餅でもつくかのようだった。そう、人間と言う肉を叩き潰すかのように。
そして大男は告げる。
「……さあかかって来い。叩き潰してやるよ」
バトルです!
表現とかいろいろ下手ですけど楽しんでいってくれたら幸いです。