9 言伝え
この町には昔、『最強の術師』と呼ばれる男が住んでいた。
その男は人や動物を無償で助けるために術を使い、本人もそれを生き甲斐としていた。町の住人は男に感謝し、皆友人のように接していた。
だがある日、男が愛していた一人の女性が不治の病に罹ってしまった。医者には余命一週間と先刻され、女性本人はもちろん、女性の家族、そして『最強の術師』である男も嘆き悲しんだ。
男は女性の家族を励ますのと同時に、自分自身も励ますように『必ず彼女を助けてみせます』と約束した。女性の家族は男の言葉を信じた。男は今まで約束を破った事がなかったから。男には今まで助けられなかった者などいなかったから。
それからと言うもの男は時が経つのも忘れ、様々な医学書を読み、治癒の術式を学び、病を治すために死に物狂いで学んでいった。
そしてついに病を治す術式を完成させた男は、すぐさま走って女性の家に向かったそうだ。
走って走って走って走って……。
女性の家に着いた男は笑顔でその扉を開けた。
これで彼女を助けられる。これでみんな幸せだ。そう思いながら。
しかし、女性の家には誰もいなかった。女性本人も。その家族も。家具すらも無くなっていた。
あれから既に一ヶ月が経っていた。
対して女性の余命は一週間。
間に合わなかったのだ。
男はこのとき初めて約束を破ってしまった。
男はこのとき初めて誰かを助けられなかった。
その後、男は町に戻っていた。町の住人は男を見た途端、冷たい視線を向けてきた。
失望した、と。
町の住人はそう目で語りかけていた。
男は走った。走って走って走って走って走って……。
ただ只管に走った。全てを忘れようとするように。辛い現実から逃げ出そうとするように。
男の顔には絶望だけが濃く刻まれていた。
約束を破ってしまったことに対する絶望。町の住人に失望されたことに対する絶望。
そしてなにより、大切な人を失ったことに対する絶望。
男は生きる意味を無くし、気力を無くし、全てを無くした。
彼はもう、前には進めなかった。
気がついたら、男の手には一冊の本があった。
『アルス=ノトリア』
死者を復活させる事ができると言われる奇跡の書。
だが同時に『闇の書』と言われる禁書でもあった。中に目を通した者は例外なく闇の底に落ちていき、絶対的な悪に染まる。
しかし、男は迷わなかった。もう一度彼女に会えるならどんな事でもすると。どんな物にも頼ると。
どこまでも落ちていくと──。
そうして男は『魔ジン』になった。
世界を破滅させるため、世界を闇に沈めるため、無慈悲な神を殺すため、
当初の目的を忘れた男は暴走し、荒れ狂う。