投資家が異世界訪問をしちゃいました ~秀次事件 編~
数秒前まで、私はモニターに映る相場のチャートを睨んでいたはずだ。それがどういうわけか、視界を覆うのは揺らめく灯明と、時代がかった豪奢な襖絵。鼻をつくのは、重苦しい香の匂いだった。
「……ここは、どこだ? 悪い夢? 今夜は酒を飲んではいない筈、いや酒を飲んでもこんな幻を見る訳が……」
思わず口から漏れた声は、外界から隔絶された深い静寂の中に吸い込まれていく。
私はいつの間にか、冷え切った畳の上に座らされていた。香の煙がゆっくりただよう部屋の奥で、陰陽師のコスプレをした者たちが伏して震えている。
「幻ではない。ここは高野山、青巌寺の一室じゃ。禁中の秘術は成功し、そちは明日の明日のさらに明日ずっと明日の未来から呼び出されたのじゃっ」
薄暗がりから、重苦しい声が響いた。
「明日の未来から呼ばれた客人よ、歓迎しようぞ。だが、さて……そもそも、貴様は何者だ? 奇妙な身なりだが、どのような生業の者ぞ。関白たるこの豊臣秀次が直々に問うておるのだ」
(関白、高野山、青巌寺……い、異世界召喚か!いいや、誘拐だろこれ)
憔悴しきった顔で私を見下ろし、そう名乗ってきた男の名は、豊臣秀次!?…太閤・秀吉に実子の秀頼が生まれ、「謀反の疑い」という難癖をつけられて高野山で切腹した歴史上の人物…
「私は元々は獣医……動物を診る薬師のようなものをしておりました。しかし病に倒れてしまいましてね。今は『投資家』という生業に転身しております。学費は無駄にしてしまいましたが……、あっ、いや、戦国風に言えば……そうですね、商品を売らない商人みたいなものだと思っていただければ…」
この時代の背景はそこそこ知っているが、礼節に関してはほぼ無知だし、誘拐犯につくす礼も持ち合わせてはいない。
陰陽師の術などというオカルトは信じていないが、起きてしまった現象は事実として受け入れるしかない。手討ちにならない程度に丁寧な言葉遣いには気をつけよう。
「商品を売らぬ商人だと? ……ふん、まあよい」
秀次は焦燥に駆られた血走った眼で、縋るように私を睨みつけた。
「未来の薬師か。ならば、その先の世を知るお前、答えよ。わしが太閤殿下の『誤解』を解き、手柄を立ててこの高野山を下りるための秘策はあるか?」
彼はいまだに「誤解さえ解ければ元の地位に戻れる」という、狂気にも似た希望的観測にしがみついているのだろう。
「不可能です。遠からず、ここへ太閤殿下の使者が訪れ、あなたは切腹を命じられます。そして妻妾や幼い子どもたちに至るまで三条河原で皆殺しにされ、最終的に徳川家康の手によって豊臣家そのものが滅亡します」
私が淡々と告げると、空気が凍りついた。
「……貴様、関白たるわしを愚弄するか! わしは謀反など企てておらん、それを証明さえできれば太閤殿下は必ずわかってくださるのだ!」
秀次の怒号が響き、護身用の短刀に手をかける。
私を殺すことは秀次にとってマイナスでしかない。彼は私を殺したりしない、そう感じる。
そもそも、蟄居の身でありながら秘密裏に大掛かりな儀式まで執り行い、縋るような思いで未来を知る私を呼び出したのだ。用件も聞かずにここで斬るなどあり得ない。つまり、この交渉の価格決定権は完全にこちらの手の中にある。
現代のマーケットという修羅場において、海千山千の化け物たちを相手に幾度となくブラフをかましてやりあってきた。血こそ流れないが時には命を天秤に乗せるような者だって大勢見てきた。相手が天下人の甥だろうと関係ない。この程度で私を萎縮させるには力不足だ。
私はあえて不敵な笑みを作り、絶望と怒りに震える関白秀次を真っ直ぐに凝視した。
「事実がどうあれ、マーケット……もとい太閤殿下は、あなたを『損切り』すると決めたのです。真実などどうでもいい。秀頼様の将来のリスクとなるあなたを消し去りたいだけだ。謀略なのですよこれは。期待値が完全にマイナスに振れたこの盤面で、まだ『誤解が解ける』などと甘い希望にしがみつくなら、関白殿下に明日はないでしょう」
「……期待値、だと?」秀次が片眉を上げた。
「ええ。このままではあなたは死に、豊臣政権は滅びます。秀長さまが亡くなり、いままさに太閤殿下はあなたを粛清しようとしています。自ら政権を守る堤まで壊し、更に関東二百五十万石という『過剰なリスク資産(徳川)』を無傷のまま残す過ちを犯そうとしている」
秀次は短刀から手を離し、「……続けよ」と促した。
(よし、読み通りだ)
内心で快哉を叫びつつも、私はすぐには口を開かなかった。安いアドバイスだと思われては交渉の主導権が揺らぐ。わざとらしくも考えるふりをし、いかにも最善手を探りあぐねて迷っているかのように、たっぷりともったいをつける。
頭の中で幾つかの変数とシナリオを瞬時に組み合わせ、プランの原案を練り上げたところで、私は冷徹な声色で切り出した。
「策を授ける前に、一つだけ約定を交わしていただきましょう。あなたを救う完璧なシナリオを授けたならば、直ちに再び秘術をもって私を元の世界へ帰すこと。これが私の提示するコンサルティング料……この取引の絶対条件です」
私の要求に、秀次は血走った眼に決意の光を宿し、力強く頷いた。
「よかろう。お主が真にわしをこの窮地から救い出す策を授けるというのなら……関白・豊臣秀次、この命に懸けて約束は果たす。直ちにお主を元の世へ帰してやろうぞ」
声には死地に立たされ、追い込まれた者特有の重みがあった。言質は取った。戦国の世において、己の命を懸けた誓約は現代の契約書よりも余程強固な担保となるはずだ。
私はゆっくりと具体的なゲームのルール変更を口にし始めた。
「まず、誤解を解こうとするのはやめなさい。代わりに『関白を生かしておいた方が豊臣のためになる』という強烈なカードを切り、太閤殿下と権力者として和解するのです。多少の不利な条件は飲んででも、この粛清の嵐を生き延びてください。三年後、太閤殿下は寿命を迎えます。勝負はそこからです。あなたが再び全実権を握り、直ちに朝鮮から撤退して損切りを断行する。同時に『征夷大将軍は、公家の頂点たる豊臣家が朝廷に推挙する』という絶対のルールを明文化するのです。その上で、殿下の養子でもあった家康の次男・結城秀康を将軍に据えます」
「家康の倅を、武家の棟梁にするというのか?」
「ええ、極めて利回りの高い最高の一手です。将軍職を空席にはせず傀儡の将軍を置くのです。席が埋まっている以上家康が征夷大将軍になることはあり得ません」
私は不敵な笑みを深めた。
「この策は二重、三重に徳川を絡め、縛ります」
「第一に、三男の秀忠ではなく、次男の秀康こそが正当な武の継承者だと豊臣の権限で認定し、関東の支配権を秀康に与える。これにより、徳川家は『家康・秀忠派』と『秀康派』に真っ二つに割れます」
秀次が身を乗り出す気配がした。
私は言葉に熱を込めた。「秀康が将軍として豊臣家を守護する時に、家康はどう動けますか? 豊臣を滅ぼそうと天下を狙って挙兵すれば、それは直属の上司たる『将軍』への叛逆であり、何より実の息子を討つ『子殺しの大罪』となる。いかに家康といえど、この汚名と非難には耐えられません。それに、本多忠勝ら徳川の猛将たちにとっても、かつての主君の血を引く上に武将として人望の厚い秀康様に弓を引くことは、必ず強い躊躇いが生まれます。戦わずして、徳川の強大な軍事力を内側から機能不全に陥れる『猛毒』となるのです」
「……なるほど。徳川の力を外へでなく、身内へと向けるか!」
そう呟いた秀次の目が、再び細められた。
「だが待て。将軍という絶大なる武の権力を与えれば、今度は秀康が牙を剥き、わしや秀頼様の寝首を掻くのではないか?」
「その可能性は極めて低いです」私は即答した。
「秀康様はかつて太閤殿下の養子として育てられ、豊臣への恩義を深く感じている。逆に家康には疎んじられた過去があります。極めて律儀で義理堅く、武将としての誇りも高い。家督と将軍職を賜った恩を、仇で返すような真似は出来ない気性です。……とはいえ、人の心など絶対ではない。殿下が不安に思われるのも当然です。ですが、問題ありません。彼は若くして死ぬのですから」
「なに?」
「秀康様は三十四歳で病死します。太閤殿下の死後、最も不安定な数年ほど、彼を『徳川を内部から抑え込む最強の防波堤』として使い倒す。そして彼が病でこの世を去った時、江戸に残るのは求心力を失った幼い跡目と、細切れになった徳川の分家だけです。その頃にはあなたの権力も盤石となっている。都合よく役目を終えて退場してくれる彼は適任です。未来を知る私だから断言できる最高の人選です。これほど低リスク、高リターンな投資案件はありません」
「三十四で死ぬ、か……」秀次は何事かを噛み締めるように低く唸った。
「そうです。ですが、このシナリオを完璧に機能させるためにはまだ不十分。最も重要なのは、家康自身の『処遇』です」
私はここで、感情論を一切排した冷徹なロジックを展開した。
「太閤殿下の死後、家康に対して『殉死せよ』との太閤の遺言を捏造すると同時に、関白の力で天皇にも、死して国家安康の礎となれとの勅命を出させてください。家康に武力蜂起の選択肢を与えず、『朝敵となるか、死か』の二択に追い込む。その絶望の淵で、あなたが『家康殿の命を奪うは国の損失』と助命を乞うのです。独り芝居です。結果、家康は出家という形で政治的に抹殺されます」
「……憎き家康に、恩を売るというのか」
「相手に喜んで貰おうと思ってやるのではありません。豊臣が天下の主としての『義務』を、家康を窮鼠にさせぬ程度に冷徹に実行するだけです。家康の命と最低限の面子だけは保障してやる。そうすれば、関東の徳川軍も反乱の大義名分を完全に失います。期待値の低い流血を避け、謀をもって徳川の牙を抜くのです」
堂々と語る私を見て、秀次はしばらく沈黙した後、腹の底から湧き上がるような声で笑い出した。
「カッカッカ! お主、身なりは奇妙だが、中身は戦国の乱世を生き抜いたわしらと同じ、血も涙もない悪鬼羅刹のようじゃ。気に入った。その『きたいち』とやらが最も高い策、まずはわしがこの高野山を生き延び、太閤の死後にすべて演じてみせようぞ」
それから二日二晩。私は秀次に対し、このシナリオにおける変数の処理と、太閤殿下への具体的な恭順の作戦案、想定されるリスクヘッジの詳細を徹底的に叩き込んだ。特に徳川家の分割の必要性を繰り返し説いた。秀次もまた、若き関白としての冴えを取り戻し、私の策を完全に理解し、了承した。
陰陽師たちが帰還の儀式を準備している。
「世話になったな、くすし殿、いや“とうしかどの”であったな。秘術を用いて未来人を招くにあたり、わしの心境は鬼が出るか蛇が出るか、不安であった。そちのような人物で大変うれしく思っているぞ。その方のおかげで豊臣家は徳川に飲み込まれずに済み、わしもいま少し秀頼様を補佐できそうじゃ。そちは勘違いをしているようだが、いずれわしは天下を秀頼様にお返し致す」
迷いの無い澄んだ笑顔だ。これが豊臣秀次の本質なのか。
未来から来た投資家の目が一瞬だけ曇る。
「秀次さまは優しいお方なのですね。しかし、今は戦国の世、敵を警戒するのと同じくらいお側の人間にも気を配られますように。どうか御身を大切になさってくださいませ。これも心よりの献策でございます、関白殿下」
秀次の眼差しが戦国武将のそれを超え、暖かな色合いを滲ませている。
約束の時。
陰陽師が再び秘術の支度を整え、元の世界へ繋がる眩い光の道が渦を巻き始める。
「見事な献策であった。わしの命、そして豊臣の天下は盤石ぞ。さらばだ、奇妙な商人よ、『とうしか』殿」
死への恐怖と未練が消え、生き残りを賭けた冷徹な勝負師の顔となった秀次が、満足げに頷く。
「ええ。ですが最後にもう一つだけ、言い残したことがありました。どうかお耳を」
私はやわらかな笑みを浮かべ、油断しきった秀次へと静かに歩み寄った。
秀次が疑問に首を傾げた、その瞬間。
私は彼が懐に忍ばせていた護身用の短刀を素早く引き抜き、迷いなくその首筋——頸動脈を正確に貫いた。
悲しいかな、動物の解剖で培ったメス捌きは体が覚えている。毛皮も鱗もない人間の急所を突くことなど、私にとっては造作もない作業だった。
「……ゔっ……ぅ!? き、さま……なに を……!」
口から血の泡を吹き、信じられないものを見る目でこちらを見上げる。
部屋の隅では、事の顛末に腰を抜かした陰陽師たちが、声にならない悲鳴を上げて震えている。
私は冷徹に囁いた。
「素晴らしい策でしょう? ですが、あなたがこれを実行してしまえば歴史のチャートは書き換わり、私の知る未来の世は完全に崩壊してしまう。それでは、私が『私の未来』に帰ったことにはならないのです」
短刀をさらに深く押し込み、軽くひねる。私は投資家として無慈悲な声色で告げた。
「『この命に懸けて約束は果たす』……そう誓約しましたね、関白殿下。私の未来の資産を守るため、約束通り、あなたの命を懸けて私を元の世界へ返していただきます」
事切れて崩れ落ちる豊臣秀次を冷たく見下ろしながら、私はつぶやいた。
「血を流させるのも、骨肉を断つのも、武士だけの特権ではありませんよ。……無駄になったと思っていた大学の授業料…、まさかこんな形で回収してしまうとは…」
ふと、ある事実に思い至った。
後世において「秀次事件」は、明確な謀反の証拠もないまま急転直下で切腹が命じられ、一族郎党が不自然なほど徹底的に粛清された、日本史に残る謎多き事件として伝わっている。
――そうか。高野山の密室で、関白が身元の知れぬ者に暗殺された。そんな前代未聞の不祥事と混乱を隠蔽し、無理やりにでも辻褄を合わせるために、太閤は「切腹」という筋書きをでっち上げ、秘密を知る者たちを根絶やしにするしかなかったのか。
歴史のチャートに刻まれた巨大なノイズ(謎)が、まさか私自身の行った「損切り」によって生み出されたものだったとは。
やれるだけのリスクヘッジはした。この光の先にあるのが私の知る未来通りなのかは分からない。だが、投資とは常に不確実性をともなうもの。最も高い期待値に賭けた。投資家ならその後、相場に身を委ねるだけだ。
不安はある。だが納得感は億倍勝る。光の渦へと歩を進め審判を得る決意を固めた。
Xでちょこちょこ投稿してますが、本家へは初投稿になります。心臓バクバクこわー




