-柚希2才-今はまだ、独り占め
──この子の成長を見守ることが僕にとっての最大の"趣味"だ。
親ばかとして発言するとしたら、こんなところだろう。なんて誰に聞かせる分けでもなく僕は目的の場所に止まった電車から降りる。僕の背中に全体重を預けて気持ちよさそうによだれを垂らしている息子を起こさないようにゆっくりと。
ほんの数駅前までは「わぁ…!!!」だとか「お、ぉ~おぉ~」だとか言いながら僕の膝の上に乗ったり外の景色を見て興奮していたというのに、降りる間際になって目をとろんとさせるものだから困った。
両肘に食い込んだ数多の日用品に加えて、背中に加わる息子の体重。二歳とは言え、この状況ではさすがに重いと弱音を吐かずにはいられない。おまけに緩みきった口元から定期的に垂れてくるよだれときたもんで。歩いては、背中を流れる何かの感覚に思わず口元をへの字にしてしまった僕は悪くないと思う。
この前、保育園でほかの幼児の鼻水を吸っていた年上のお子さんを持つ保護者さん本当に尊敬している。いつか僕もきっと、嫌な顔をせずに接することができるのかと自問してみても、どうやったて肯定できる自分が見つけられない。
「柚希……柚、ゆずく~ん。おとー……さん。おとー……さんの背中によだれ垂れてますよ~」
それに柚希をこの手に抱いてからもう二年も経つと言うのに、僕はいまだに柚希に向かって"お父さん"と呼べずにいる未熟者だ。なんというか、自分で自分に"さん"を付ける事に妙な抵抗感があるから。だからと言ってパパと自称するのもまた照れくさい。
なので未だに僕は柚希が僕の事をどう思って、どんな認識でいるのか分からない。保育園の先生に相談しても「そこは頑張ってください、お父さん」と言われて終わりだった。
「さて……階段でも上りますか」
エスカレータでも使って楽をしようとしたのが間違いだったようで、あと少し目的の場所に行けると思っていた僕はその先の20人はいるであろう行列を見て迷うことなく踵を返す。
そしてさっき横目でみてきたばかりの、階段を必死に上り始めると後頭部をぺちぺちと叩かれた。もちろん柚希だ。
「お、おぉ~おぉ~」とご機嫌な様子で僕の頭をたたき始めたかと思えば、小さな手のひらでむぎゅっと僕の髪の毛を容赦なく握って引っ張り始めて、割と大きな声で「イタッ」と小さく叫んでしまった僕は悪くない。両手もふさがっているから声でしか静止ができないのもまた困ったものだ。
「なんですか、柚希くん。おと……さん髪の毛ぬけちゃうよ~」
「お、ぉ~おぉ~」
僕の痛みなんて興味ありません、と楽しそうに声をあげて笑う柚希に僕はもう溜息を吐くしかなかった。その間にもぺちぺちにぎにぎと止まらない手に、教育上このままでも良いのか別の方面でも不安になる。
「おぉ~!んぱっ」
「いた、痛いよ柚希」
途端に全力で頭をたたいてきたものだから、少し強く言ってしまった。するとピタリと手の平が止まったと同時に、耳元に爆発音が響く。いわゆるギャン泣きだ。
「ごめ、ごめんね柚希~ほらぁ階段だから暴れるな、柚、柚くん」
必死にバランスを崩さないように耐えながら、先ほどよりも急いで両足を動かして階段の上までたどり着く。同時にゆっくりとしゃがんで柚希を降ろそうと試みるも小さな怪獣の力は侮れない。必死に服を掴んできたから、合わせて僕の首が絞められて「うぐっ」と呻いてしまった。
「あらあら、せっかくお父さんにがんばれがんばれしてたのにおこられちゃったのお?」
……この状況をどうやって打破しようか悩んでいると斜め上から優しい声が聞こえてきた。上を見上げるとそこには七十代くらいの和装が似合いそうなお婆さんがニコニコと立っている。どうやら随分と前から僕らの様子を観察されていたようだ。
「ほら、坊や……これはなにがなぁ?」
「うぁ……?」
お婆さんが柚希の気を逸らした隙をついてゆっくりと僕も姿勢を取り戻した。そしてようやく見た柚希の顔は鼻水でぐしょぐしょだったが、お婆さんの握られた手に興味深々らしい。じっとそこを不思議そうに見ている。
「ほらぁ……ごれなぁ、綺麗でしょお?お花よ、お花」
「やっ!」
「あらあら、ふられちゃったわね」
お婆さんの手の平から現れた淡い黄色のお花。感心したのは僕だけのようで柚希はぷいっと顔を背けてまたずんずんと僕のほうによちよちと向かってくる。
「お、ぉ~おぉ~!」
「お父さんの事がすきなのね~」
「そうですかね、?」
お婆さんの言葉が嬉しかったと同時に、行動が見合っていない気がする息子だったから思わず反射で疑問符を投げてしまう。するとニコニコと笑いながら「少なくとも私には、おとーさん。がんばれ、がんばれって、頭をぽんぽんしてるように見えたわ」と言われた。
その言葉にハッとして柚希を見る。僕の胸に手を伸ばして這わせてる柚希を見て僕は思わず口角をあげているとお婆さんは「お茶の約束におくれちゃうわぁ」と笑いなが颯爽と去ってしまった。急いでぺこりとお辞儀をしたが、それが届いたかどうかは分からない。
「疲れたから帰ろうか、」
「お、ぉ~おぉ」
「わかったよ、もう」
また泣きそうな顔をして恐らく抱っこをせがんできたから、片腕に全ての荷物をひっかけてから、もう片方の腕で柚希を抱き上げた。どちらかと言えば体力はないけれど、このくらいなら、まだ力は出せたようでホッと息を吐く。
「おぉ~うぅへ」
「いたいってば、もう」
また髪の毛を掴んできた柚希に、また文句は言いつつも先ほどのお婆さんの声が脳裏を過ぎって柔らかい声になる。もしこれが本当に僕に「がんばれがんばれ」と言ってるのが同義だとしたら、笑うしかなかったから。
「君がお母さんが見えでもしてるんですかねぇ~柚希くん」
きゃっきゃとしている柚希を横目にそう呟いて僕は口をすぼめた。二年前に亡くなった妻は僕が何かと落ち込むたびに「どんまいどんまい」と言ってきたのを思い出したから。
この子が話せるようになったら一体どんな子になるのか、なんとなく分かってきた気がする……のは時期尚早だろうか?なんて内心で妄想しながらピッと改札を通り抜けた。
【柚希からの応援は、僕だけが独り占めしたっていいよね?きっとこれからも。だって僕は柚希のお父さんだから】




