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-柚希9才-小さかった手のぬくもり

 なんら変わり映えのなかった今日も無事に終わりがお月様と共に見えてくるそんな時間。柚希も眠ったし、最後の片づけを一通り終えてから僕は深く息を吐きながらソファーに体を沈める。


 それから目の前のローテーブルに散らかされた筆記用具やら資料やらを遠目に目を細めた。勉強机だって部屋にある。なのにここで勉強していたであろう痕跡を見るに、小学校から帰ってきた柚希が床にペタンと座りながら宿題をしていたであろう事は明白だった。恐らく息抜きに好きなテレビや戦隊ものの動画でも見ていたのだろう、この前一緒にレトロなDVD屋さんに行って選んだディスクも床に積み重なっていたから分かりやすい。


 それにしたって柚希は僕に悲しい感情を驚くほど言わない。だから余計にどうしたらいいのか分からなくなってしまう。もう少し僕が豪快で頼りがいのある父親だったら何か違ったのか、もっと簡単に弱音を吐いてもらえたのだろうかと考えてしまうから。何年たっても僕の子育ては日々、自問自答の連続でしかない。恐らくきっとこの先も。


 そもそも下校が早い小学生にとって、僕が帰宅するまでの数時間はきっと僕が想像する何倍も長いはずで。思わず唇をキュッと閉じながら細く鼻で息を吸って目を閉じた。しかし息を止めるのも長くは続かず、すぐに「ふぅ」と吐き出す。これは、恐らく随分と久しぶりなセンチメンタルな気分になっているらしい。


 なんて、どこか客観的に自分を分析してもう一度溜息を吐く。衣食住で柚希に辛い思いなんてさせまいと鼓舞しながら頑張ってはいるけど上手く結果に結びつかないし、空回りしてしまうことだって多い。優しいあの子は決して言わない。だけど本当はもっと色々な所にだって行きたいだろう。もちろん僕だって体験させてやりたい。そう考えて何年も経ってしまっているがそれが難しかったから今がある。それでも今年は特にその考えに拍車はかかっていると思う。


 なぜなら柚希が今年の五月ごろからやけにテレビで旅行番組が流れるたびにキラキラとした笑顔で僕に意識を向けさせては、同じクラスの子もね去年の夏休みにね──と色々聞いたであろう話を楽しそうにする事も多くなってきた。それでも決まって最後には「でも、僕は興味ないけどね!おとーとのんびりしてる方が大好き」なんて言ってのける。もちろん柚希が僕と話すことをポジティブに捉えてくれていること自体は嬉しいが、その裏にある羨望くらいは分かる。僕だって伊達に父親をしている訳じゃないのだから。


 だからこそ気づいた上で、どこにも連れて行ってやれない現実に僕は自分の情けなさを改めて痛感している。そして屈むようにローテーブルに膝をついて、手の甲に頭を乗せた。そして「あ~、もぅ」なんて年相応の少し掠れてきた声がリビングに小さく響く。


 流れるようにローテーブルの下に置いてあったワインボトルを取り出してからコトリコトリとグラス一杯に紫色のアルコールを注いでいく。夜中は僕の時間だ。それからカラコロと氷の小気味良い音を堪能してから一気に体に流し込んだ。体が熱くなり始めるのにそう時間もかからない。


「せめて、もうすこし、おもいでになる所くらい……」


 週末に少し遠出するにも平日の疲れからか近所の公園やスーパー、遠くて数駅先のデパートくらいにしか行けないのが現状。そんな自分がたまらなく嫌にもなる。


 ソファーのひじ掛けに頬を預けるように鼻をすんすんと鳴らすと共に、涙で周囲を湿らせていた時、僕の頭が誰かにポンポンと叩かれた。夜更けな事も相まって、僕の目の前に里奈がいるんじゃないかと非現実的な事を考える。そういえば昔、熱を出して寝込んでしまったとき里奈がカーペットにちょこんと座りながら僕を手招きして、優しく頭をポンポンと撫でてくれたな。


 そんな大切な記憶に想いを寄せつつ、ゆっくりと重たい瞼を開けると、テディベアの足元──いや、これはシャツだ。頭がスーッと冷えていく感覚と共に思わず起き上がろうとするが、酔った体はそれを許してくれないらしく数センチも起こせずにずるずると元の場所に戻ってしまった。すると今度はやけに強めに頭をポンポンと撫で……叩いてきた。うん、柚希だ。


「ふっ……はは、ゆず、柚希くん、痛い、いたいよぉ。ねむれないのかあ?」

「おと~飲みすぎです!もう!」


 やけにぷんぷんとした声で、息子に怒られてしまった僕はへらへらと笑いながら「ごめんごめん」と謝るが、どうやらゆるしてくれないらしい。どこから出してきたのか折り紙の赤色(恐らくレッドカードだと思う)を出してきて頬を膨らませていた。ふわふわとした視界の中で柚希めがけて掴まえようと両腕を伸ばす。いつもならこのまま僕の胸に抱き寄せて──なんて考えていると予想に反して僕の両腕はまだまだ小さな両手に掴まれた。それから「よい……しょ」と力をかけてきたから、思わず僕も流されるように腰を起こしてしまう。柚希の顔が僕の目と鼻のさきに。


 それからまた僕めがけて手を伸ばして、何度も何度も僕の頭をなでてくる。おとなしく頭を上下に揺らしながら、目を閉じてされるがまま撫でられていると「おと~お部屋いくよ~もう」なんてもう一度怒られてしまった。仕方なくあくびをかみ殺してからゆっくりと立ち上がる。千鳥足になりつつも、柚希と一緒に部屋の前まで向かい、一緒にベッドまで向かい横になる、今度こそ、柚希を胸元に抱き込むように。


「おと~の寝るばしょちがう……もぅぅおと~たらあ」

「柚希~ほらあ、はやくねよう……旅行はまたこんどぉ」

「えぇ!おと~いったいなんのはなしをしてるの!りょこうってなに、おとーってば、んぐっぬぅ!」


 ほとんど柚希が何を言ってるかわからなかったが、まだ僕の胸元に抱え込めている柚希の元気な声がとても心地よい。そしてその背中に腕をかぶせるようにぎゅっとしてから僕はそのまま深い眠りに落ちる。


──しかし案の定といったところか。頭がかち割れそうなほど痛む朝を僕は迎えた。頭を手で押さえつつフラフラと台所に向かって、コップにシンクの水を流しいれて飲み干した。夜のことは朧気にしか覚えていなかったが、柚希がやけにむくれていたので、おそらくきっとそこそこ悪酔いしてしまったのだろうと、土下座でもすることから今日は始まりそうだ。




『僕の髪の毛を小さすぎる手で掴んでいた柚希は、いつの間にか随分と大きくなっていた。きっといつかその手は僕ではない誰かを守る手になる。僕の手が里奈と柚希を守ろうとするものになったのと同じように……だから、里奈。そろそろ僕は君の生まれ育った場所に立派になったこの子を連れて行……』


──否──


【柚希の小さかった手はいつの間にか情けない僕を叱れるほど、大きくなっているよ】

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