-柚希9才-はっぴーはろういん
息子の柚希と家でゆっくりと過ごしていた休日。柚希がなぜかずっと何かを訴えかけるように僕の事を見ては目を反らしていたことが随分と気になってはいたが、夜になるまで僕はその違和感に気付けなかった。ようやく気付いたのは、夜になってから。
晩御飯のカレーをコトコトと煮ている時に突如と鳴ったインターホン。柚希も今はお風呂に入っていたから、火を弱火にして玄関に向かう。
この時間だから近所の人が回覧板でも持ってきたのかと思って何も警戒せずに扉を開けた、その瞬間──「とりっくおあとりーと!!!おかしをくれなきゃいたずらしちゃうぞお!」僕は突然の襲来に玄関の縁に勢いよく尻もちをついた。
「いてて……って佐藤さんの」
ふと上を見上げると、いらなくなったであろうバスタオルに目と口の穴をあけて、上からかぶっている佐藤高志君がいた。柚希の二つ年上で、よく何かとお世話になっている。高志君の部屋は二階下なのにわざわざ毎朝、柚希のお迎えに来てくれる頼もしいお兄さんでもある。父親に似ているのか本当に気も良い子だ。
僕がここまで勢いよくこけると思っていなかったのか、高志君はあたふたと「柚希のお父さんすいませんん!」と謝ってきたから、ゆっくりと立ち上がってお化けのあたまをぽんぽんとしてやる。それから「ちょっと待ってて、お菓子もってくるから」と急いで台所に向かった。
……それにしてもそうか、今日はハロウィンだったのか。まったく行事に気付けていなかったらしい。僕の頭の中は既にクリスマスの計画が進んでいたから。
だから柚希の様子が少しおかしかったのか。しかし分かっていたなら教えてくれても良かったのに。なんて不思議に思いながらお菓子の入っている引き出しをがさごそと漁り始める。すると後ろから大きな声が聞こえてきて思わず肩をビクンと跳ねてしまった。
「おと~なにしてるの!それ!僕のお菓子いれだよ!おと~てばあ」
「いててて、わかった。わかりました、ごめんごめん、柚希」
お風呂上りで髪の毛からぽたぽたと水を垂らしている柚希が勢いよく僕めがけて走ってきて腰にしがみついてきた。あまりにも必死にひきはがそうとするから、僕もお手上げ状態。九歳の力を侮ってはいけないらしい。首筋をポリポリと掻きながら斜め下を見ると、片頬をふくらませて不機嫌さんな柚希。
「柚希のおとーさん!!あれだったらお菓子だいじょうぶです!ごめんなさい!父さんにも怒られちゃう!」
玄関の方から聞こえてきた高志君の声。お菓子を渡さないのは僕のプライドが許さなかったから、リビングで高志君には柚希と一緒に遊んでもらって、その間にすぐそこのスーパーにでも……と思っていると、柚希が固まっている。目を見開いたまま。
「おと……たかくんきてるの?」
ぼそっと呟いたかと思えば恥ずかしそうな、泣きそうな顔で「はやくいってよおおお」と僕のおなかに頭突きしてきた。この年頃の男の子は何かと攻撃してくるのが好きなようで。
「これと、これと、これもあげる」
「こんなに?」
「だって、たか君にはいつも遊んでもらってるから」
お気に入りの飴や、いつも大事に食べているぽりぽりくんなどいろいろと選んでいく柚希。両手いっぱいにお菓子を取り出した所でさすがにストップをかけた。さすがにこの量は高志君も困っちゃうよと諭してようやく納得した。それから柚希がダッダッダと駆け足で玄関に向かったから、あわてて僕も追いかける。
玄関の縁で楽しそうに二人で腰かけて話している。仲がよさそうでなにより。
「ははっ。お菓子ありがとうだけど、柚希。ふつうは柚希のお父さんがわたすんだぞ今日は」
「そーなの!?」
……ハロウィンを心待ちにしてたらしいはずの息子はやはり、あまり分かっていない様子。しかしいくら同じマンション内でも夜は遅いから佐藤さんも心配をしているだろうからと帰るように催促しようとした所で、タイミングよく扉が叩かれる。それから少しくぐもった声で「すみません」と佐藤さんの声が響いてきた。
タイミングが良い……二人が縁に座っていて少しつんのめる形になりながらも扉をあける。すると佐藤さんは「やっぱり清水さんの家でしたか」とほっとした様子で笑っていた。どうやら高志くんは何も言わずに家にきていたようで気まずそうに限界まで首を横に傾けていた。
「高志……!そんなにお菓子もらって」
「え~だってくれたんだもん」
「いや、だからと言ってそれは……清水さん良いんですか?こんなに」
困ったような顔で高志くんを諭していた佐藤さんは僕の方を向いて申し訳なさそうに頭を下げてきた。だから僕も「いつも恩を返しきれないほどお世話になってるんで」と返す。事実だし。それからふと佐藤さんのズボンを見るとポケットが妙に膨らんでるのに気づいて口角を上げる。
そっと床に膝をついてから、柚希に耳打ちをしようと近づいた。それを聞こうと必死な様子で高志くんも、僕が口を寄せている柚希の耳元の反対側に自分の耳をくっつけていて可愛らしかった。それからぼそぼそと「トリックオアトリートしてごらん」と言えば目をキラキラさせる柚希。勢いよく頭を上げてくるのは予想していたから颯爽と避けた。あれを顔にくらうと涙が出るほど痛いから。
「たかくんのおとーさん、とりくおあとりーとめんと!お菓子をくれなきゃいたずらしちゃうよ!」
自信満々に言った柚希だったが、僕は柚希が”トリートメント”と言いのけた段階でもう無理だった。既に床についていた膝だけど過呼吸みたいに上半身をまげて床にゴッと頭をぶつける「ははっは……はははは」笑い涙が頬を伝っていても構わずに笑い転げた。
「清水さんもそんな風に笑うんですね」
「ははは……すみません柚希があまりにかわいくて」
人前なのもあったから醜態もほどほどに、ゆっくりと立ち上がって佐藤さん頭を下げた。驚いた顔が戻らない佐藤さんに少しだけ目をそらしてしまったが「いつも気を張り詰めているように見えてたので、安心しました」と言われて今度は僕が目を見開くことになった。
妻の里奈が亡くなったばかりの頃は、それこそ心中をしてしまうのではと思われてたほどに荒んでいたが、柚希のおかげでそれもめっきりない。しかし周囲にはまだそう見られている節があったことに驚いたのだ。
「ねえってば、なんでおとーわらったの?」
「俺がおしえよー!ゆずき、とりーとめんとってなににつかう?」
いたずらな顔の高志君が、状況をつかめていなかった柚希に言えば、何かに気付いたのか、ゆでだこのように顔を真っ赤に染める。そして言葉にならない言葉を紡ぎ、あたふたとしているその姿はどこか僕を見ているようだった。
「ほら、柚希くん。おじさんからのお菓子だよ」
佐藤さんがニコニコと笑いながら、柚希の両手を包み込むように小さなお菓子の山を落としていく。思わず「そんないっぱいは」と言えば「お互い様ですよ、お互い様」と返されてしまってそれ以上は何も言えない。柚希も僕が促す間もなく「ありがとうございます!」と言えていたから花丸だろう。
「それじゃあまた」
「えぇ、おやすみなさい。高志くんも月曜日からまた柚希をたのんだよ」
「あたりまえぴらっみどおお」
「ぴらみっどおお」
子ども特有の分けの分からない高志くんの返事に苦笑いをしながら二人を見送って扉をしめた。両手いっぱいにお菓子を抱える柚希はすごく幸せそうだ。
「あれ……おと~なんかカレーの匂いが」
……しまった!!! 柚希の言葉に意識を台所に向ける。慌てて台所まで走ると鍋からカレーが吹きこぼれて酷い有様になっていた。どうやらお菓子を上げなかった僕へのいたずらはこれらしい、なんて可笑しな事を考えつつ片手で顔を覆う。明日がやすみでよかったと……柚希が寝た後にでも、掃除をするとしよう。
つい先ほどまでの高揚とした気持ちが嘘のように肩を落とした僕は、ためいきを吐く事しかできなかった。
「どんまいどんまい!おと~」
「はいはい」
【今年のハロウィンは大慌てだったけど、何とか平和に終わりそうだ。それにしても日々、柚希が生意気になっているのを見ると、君の血を感じずにはいられないよ……はっぴーはろうぃん、里奈】




