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-柚希7才-値段のつかないボロボロは

──11月上旬。 僕は台所でコトコトと煮ていたおでんを見つめながら両手を火に近づけて温めている。朝から下ごしらえはしていたおかげか特に鼻を掠めるお出汁の香りに思わず唇を軽く舐めてしまった。


 いつもなら息子の柚希がリビングで電車のおもちゃを広げたり、テレビを見ていたり、うだうだ言いながら小学校の宿題をしながら騒がしくしているのだが、今日はそれもない。

 何故なら部屋にずっと引きこもっているらしいから、僕が仕事から帰ってきた時にはもう部屋の中にいたから通勤前にみた柚希の寝顔を見たのが最後。普段は僕が仕事から帰ると、まるで寂しかったと言わんばかりに玄関にパタパタと駆け寄ってギュッと抱きしめてくれるのにそれさえ無かった。

 部屋の扉越しから「おかえり!おとー!おへやはね!はいっちゃだめだよ!」と言われておしまい。


 それにしても柚希は一体何をしているのか、部屋の中の物音も随分と静かなのも気になる。だから部屋の中まで聞こえる程度に声を張って「柚希ー? 」と声をかけてみると「んー、まだー」と曖昧な返事。 それを聞いて僕はなんとなく唇をすぼめつつ1つため息をつくと、今度は程良く煮立った鍋の火を止めた、身に着けていたエプロンも雑に脱いでそのまま近くに置いてあったソファーに軽く放り投げる。


それからローテーブルに置いてあったタバコ1本とライターを無造作に取ってからベランダに向かう。家と外との温度差に思わず身震いをし、二の腕をさすりながらパイプ椅子に座った。


曇り空で星も月も見えない天気をなんとなしに数秒見上げてからもう一度だけ「はぁ」とため息をつく。 唇に1本のタバコを挟んでからそっと手で風を避けながらなんとかライターを着火させて移す。無駄に甘ったるい煙が次から次に口の中に溜まっていくのを楽しみつつ、そっと肺に煙を溜め込んで吐き出す。

 それから「ふぅ」とゆっくりと細長い煙を作る。黙々と僕の吐いた煙が空へ空へと流れては消えるそれを見て自嘲気味に笑う。 昔は喫煙とは程遠い世界にいたはずなのに、いつの間にか僕は喫煙者となっていた

 亡き妻、里奈が喫煙者だったのが一番の要因なのはわかりきっている、だって昔の僕はどちらかと言えば副流煙の危険性だとか身体に毒だとかを説く側の人間だったくらいだから。


 なのに気づけば時折一緒に狭い空間でタバコを吸う背徳感にいつの間にか酔いしれていた。もっとも相手が里奈である事が大前提ではあったけど。

実際に会社とかでもタバコを誘われる事は多いがが……本当に気が乗らない限り(仕事の軽い打ち合わせなど以外)は吸わない。

 それに、いま僕が吸っている銘柄だって妻が好んでいたものだ。 本当に僕は妻の存在に少しでも縋らないと生きていけないほど情けない男だから、こんな些細な嗜好品にでさえ妻の痕跡をなぞらないと僕の中の何かが壊れてしまうかもしれない、そんな一株の恐怖さえあった。


「美味しいな……」


──そんなことを呟いて、もう一度煙を吐き出していると”コンコンコン”と窓ガラスを軽やかに叩く音が聞こえてきて目を向ける。 思わず笑ってしまった。何故なら息子が窓ガラスに片頬をべったりとつけて僕の事を凝視してきいるから。 こんな事せずにベランダに入ってきた時期があるのを思うと随分と成長を感じられる。少しばかり口角を上げてからいたずらげに窓ガラス越しに煙を「ふぅ」と吐き出してみる。それをみた柚希はうげぇと言わんばかりの顔をしてから両頬をフグみたいに膨らませて不満そうな顔をしているが。


 そしてゆっくりとタバコを唇から抜き取って灰皿に押し当て、水をジュッとかけてから立ち上がる。服についた煙を払うようにパンパンと体を叩いてようやく部屋の中に 「もう何かやる事終わったのかー?柚希」と言いながら入ると柚希はそっと何かを背中に隠した。

 ん? と思ったがすぐには突っ込まないで、もう一度「柚希?」と言えば……今度は視線を左右にキョロキョロとさせて挙動不審な様子。


 もしかしたら何かを壊したのかもしれないな、と軽く覚悟を決めながら随分と重くなった息子を抱き上げる。小学校に入ってからは抱き上げる頻度も少なくなったこのコミュニケーション。もう少しだけ抱っこをする機会はほしいところだがそれももう、時間の問題なのは体感的にわかっている。寂しく思いながら軽く屈伸して抱きなおすと柚希はそっと僕の首の後ろに手を回してきた。

 その瞬間に目が無意識的に追いかけた紺色の長い何か、どうやら柔らかいもののようで僕の首筋をチクチクと刺激している。


「それ『あの!あのね……これ、おとーにね、あげ……たくて! がっこうの、お友達が教えてくれたから、牛乳パックで工作したやつでね編むやつなんだけどね、……小さいけどマフラーなんだよ』」


 それは?と聞くよりも前に息子が早口にそれを告げてきて、言い終わると同時に足をじたばたして床に降りてしまった。それから随分と耳を真っ赤にさせて僕の反応を待っているようだった。 こんなの反応は一つしかないに決まっている。そっと視線を合わせるようにしゃがんで小さな手の中に握られているそれを僕の両手で包んでからそっともらいながら微笑む。それから「これは僕の宝物だよ……ありがとう、柚希。 すごいなぁ」なんて言えば、柚希も僕と同じように顔を柔らかくして笑う。


「へへ……うん。僕、頑張ったんだよ」

「そうか、そうか」


 相槌をしながら早速、僕は細長い紺色のマフラーをぐるぐると巻いていく。細く幅も大してないからまるで蛇に絡まれているような形にはなってしまったけど心は温かくなり続けるばかり。だって何重にもできるほど息子が頑張って長く、長く編んでくれていたことを想うと今すぐにでも泣いてしまいそうだった……いや、どうやら既に泣いているらしい。だって僕の鎖骨が数秒おきにぽたぽたと濡れているから。


 すると不安げに瞳を揺らしていた柚希が僕の袖をくいくいとつかみながらやけにか細く、だんだんと消え入るような声で「あのね、おとーがこのまえだしてたマフラーぼろぼろだったから、作りたかったの」なんて言ってきたから呆れ交じりに頭を雑にぽふぽふと撫でるように叩く。


「まったく、君って子は」


 思わず僕は目を細めて安心させるように微笑む。 それにしてもそうか、僕が身に着けていたマフラーは息子からしてみると可哀そうなほどボロボロに見えていたらしい。丁度目の前にそのマフラーがあったからおもむろに取り出して、柚希のマフラーの上からそれを首にふわっとかける。


「おとー?なんで」

「これは柚希のママが作ってくれたマフラーで、おとーのもうひとつの宝物なんだ」


 そう教えるとはっとしたような顔をして騒がしそうに里奈の仏壇があるほうまで駆け込んで、僕の耳にも聞こえるほど大きな声で「ままああああ!ごめんなさい」と誤っているのが聞こえてきて笑わずにはいられなかった。肩を震わせていると颯爽と柚希は戻ってきた。誤って本人は満足したらしくすっきりとした顔を見せてくれている。


 しかし、里奈が作ってくれマフラーは最初から随分とボロボロだったかからこそ気付かなかったのだろう。 まぁ、でも。 何故か編み物に関しては随分と不器用だった妻が僕のために暑い時期から編んでくれていた世界で唯一無二の代物で値段を付ける事なんてまずありえないことだった。


「そっかぁ、ままの……でも、じゃあ僕のいらななかった?」

「何を言ってるんだい、柚くん。 僕は柚希から貰えてこーーーんなに幸せだよ」


 その言葉と同時に僕は両手を横にめいいっぱい広げて伝える。そこでようやく柚希は満面の笑みをみせてくれたから安心した。少しばかり調子にのって、まだまだ小さな体ををギュッと抱き寄せる。ふにゃりと笑う柚希が愛らしくて仕方ない。だからそっと頬を擦り寄せてみると、それはちょっと嫌だったようで必死の抵抗をされてしまった……おとーはちょっと寂しいよ。


「さぁ、柚希。 一緒に夜ご飯たべよっか……今日はおでんだぞー」

「でんでんおでん!わーい!ぼくねおでんすぺしゃる大好き」

「あるかなー?」

「ぜったいあるもん!おとーのおでん!」



 本当に僕の息子は優しく育っている途中のようで、僕はたまらなく嬉しい。

 おでんスペシャルも勿論ちゃんと作ってあるに決まっている、てね。





【宝物の息子にボロボロのマフラーと言われて今頃ムキッとなってる里奈へ……僕は今、最愛の2人に包まれてとても幸せです】

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