-柚希6才-いずれ、また
今回は前回のお話を読んでから進むことを推奨します。
この場をお借りしますが、読んでくださっているみなさんに感謝しています。ありがとうございます。10万文字を目安に完結させたいと思っていますので、これからもお付き合いいただけますとすごくうれしいです。
───大きな畳の部屋の後ろの方で僕は息子と一緒に正座をしている。 何処かで見た覚えのある親戚や、清水家と縁のある人々や企業も多く集まっていた。大きいはずの部屋がまるで窮屈に感じるほど、祖父は人望があったらしい。
基本的に隠居した祖父しか知らなかったし、そもそも会いに行くだいたいの動機に少しでも人の居ない静かな所に避難したいっていうのもあったから社交界での姿なんて終ぞ見たことがなかった。
都会なのに自然を感じられる穏やかな場所、くらいの認識でしかなかったから本当に祖父を慕ってたのかと聞かれたら強く頷ける自信もない。
周りに聞こえない程度に「ふぅ」と息を吐く。今日、この場に来てから随分と経つと言うのにチラチラとこちらを盗み見る視線は一向に減る気配がなかった。その中の何人かとは話を定期的に交わしていた記憶がある。
小さい頃から誰もが僕のことを将来の跡継ぎだと信じて疑ってこなかった清水家の長男、そんな僕が女性一人の為に家を裏切る形で縁を切ったのだから少なくとも良い印象を持たれているわけがない。その状況に加えて今更長男がしれっと祖父の葬式に参加しているこの状況は、大多数の人からしてみてもだいぶ不興だろうし、いったいどの面を下げてこの葬式に参加してるんだと睨まれても仕方ない……そんな無言の圧に胃がまた重くなってきた。
なんとなく、そっと小さな息子の背中に手を回して軽く僕のほうに抱き寄せる。子どもは関係ない、睨むなら僕だけを睨んでくれと本当にそう思う。僕の手の平が震えているのが怒りだとか恐怖だとかもう分からない。不思議そうにこちらの顔を見上げてきた柚希の後頭部を軽くなでてもう一度前を向く。
最前列で母は男泣きをしている父の背中を撫でていた。彼でもあんなに泣くことあるんだと、どこか遠巻きに見る。しかし父と祖父は顔を合わせれば何かと些細な事で口喧嘩をするほど決してはたから見ても仲はよく見えたことなどない。
だけどきっと第三者には分からない、愛の形はしっかりと二人の間にあったのだろう。そうじゃなきゃ、プライドの塊である父がこんな大多数の人に見られている中で涙を流すわけがない……たぶん。
正直なところ、柚希と父の初対面の際に猫なで声で溺愛している様子をみてしまってからは何を信じていいのかもまるで分らなくなっている。
それからちらりと母の隣に座っていた弟を盗み見た。無表情、いや何処か様子に違和感を感じて、体調でも悪いのかと小首をかしげてはっとした。まるでその顔が僕の左に座る6歳の息子の柚希と全くもって同じなのである。そう、正座をする時の敵「痺れ」に耐えうる人間特有の顔つきをしていた。
だから、僕はさっきから息子の背中を定期的に上下に撫でては静かに気を紛らわせてやっているのだ。 本人も周りの空気を読んで、声を出すのはあまり良くないことだと分かっているらしい。 まぁ、それでも先程から僕の顔をちらちらちらちらちら……流石にその速度で見つめられると不謹慎ながら笑いそうになる。
しかし、このまま我慢させるのも可哀想だと思ったからそっと柚希を抱っこして立ち上がる。物音をできるだけ立てないように襖を開けて、廊下に出た。それから歩いて暫く、突き当りにあるトイレにたどり着いた。夜だったら絶対に行きたくない雰囲気を醸し出している和式型。
「柚希、よく頑張ったな……」
「おとぉ~足が変なの~」
僕から先に声をかけると顔をクシャッとさせて何とも言えない表情になる柚希。 悪戯心でツンっと足を触ったその瞬間、情けなくも「うぐっ」と声を上げることになったのは僕のほうだった。涙目の息子が瞬発的に僕の頭突きをしてきたらしい……よりによって鼻頭に。
思わずしゃがみこんで息子を離してから、ガンガンと痛むそこを片手で摘む。鼻血が出てもおかしくない痛みを感じているのに、何も垂れてこないのがまた絶妙にモヤモヤとした気分にさせられた。
「おとぉ~ごめんなさいー!でもでもー」
「大丈夫、大丈夫。いまのはおとーもわるかった……ほら、もう足が大丈夫ならトイレ行ってきなさい」
どうやら仕返しという訳でもなかったらしく、唇をキュッと結んだり開いたり、体を上下に揺らして不安そうにあわあわしていたから、そう促すと柚希はパタパタとトイレと書かれた看板に向かって走っていく。まぁうん、完全に今のは僕が悪かったしいつか本当に仕返しされてもおかしくはない。そっと鼻頭をなでつつ肩を落として反省する。それから近くの壁に背を預けて祖父の事を考える。棺の中に眠っている祖父は最後にみた姿となんら変わっていなかった。
幼い頃に縁側で一緒にお昼寝をして、祖父よりも先に目が覚めることが多かった僕がよく知る顔だった。 今すぐにでも目を開けて、所々抜けた歯を見せながら豪快に笑って、茶でも飲むかなんて言いながら僕の頭を何度も何度も強く撫で回してきそうな、そんな穏やかな顔だっ「おどおおおおおおおあお」……え、?
今すぐにでも死ぬんじゃないかと思うほど、悲痛に満ちた叫び声が息子の入っていったトイレの中から響いてきて思わず一瞬だけ呆けてしまう。 しかし直ぐに現実に引き戻されて慌てて扉をゴンゴンゴンと叩いた……が鍵はかけてないらしい。だから「柚希!どうした?入るぞ」と声をかけるとそれに対して中からは「は”や”ぁぐ~」なんて断末魔に近い声が聞こえてきて僕の頭の中にはGから始まるあの昆虫が現れたのでは無いだろうか、と不安に駆られた。
柚希には悪いが、もしその昆虫だとするのならおとーはお前を置いて失神してしまうかもしれない。意を決して扉を開けてすぐ、僕は予想の斜め上すぎる光景に思わず吹き出さずにはいられなかった。
「柚?どー、し……ぷっ」
「わ”ら”わ”な”い”で、よお”~」
だってそこに居たのは和式トイレの便器を必死にまたがっている息子の姿があったから。すでに最大限に開脚している状況らしく足は酷くプルプルとしている。
「だずげで、おちたくないぃぃ」
「ははは……惜しかったな、柚。 ほら、もう大丈夫」
そっと後ろから柚の両脇を支えてやる。確かに、産まれてから和式トイレなんて使わせた記憶は無かったかもしれないけど地獄にでも落ちるんじゃないか、みたいな反応があまりにも可愛らしくて仕方ない。
「おとおーのいじわる」
「はい、はい。謝るから許して、ごめんね」
「んぅうううう、いいよ」
そして不屈そうな許しを得てからそっと息子を抱き上げて地面に着地させた──そんなトイレ事件も一通り終わったから2人で手を繋ぎながら畳部屋に戻る。
既にそれぞれ花を棺に置いていたらしく、僕たちで丁度最後だったらしい。 刺さる視線を無視するように、僕らは祖父の棺の前に歩く。 沢山花を貰って満足なのか、朝見た時よりも口角が上がっているように見えて思わず僕もそっと微笑んでしまった。
「おと~お花、ここ?」
「ん、そうだよ」
まだお葬式の概念を本当に理解していないらしい柚希は、お花を持っておねんねするの可愛いねと言っていた。 今は全てを教える必要もないから、その言葉に軽く微笑んで一緒に1輪の花を頭の横にそっと置いた。
(どうか、安らかに)
これで、僕がここに来るべき理由は片付いた。
親戚達はこれからまだまだやる事はあるのだろうが、僕と柚希は後はもう帰るだけだ。すれ違う人たちに何度か軽い会釈を繰り返しながら足早に玄関まで向かうと、まだ仕切る事も多いだろう父がわざわざ送るように背後に立つ。
彼に気付いた柚希がパッと顔を上げてから笑顔で手を振る。
「おじぃー! もうばいばいなんだって」
「早いな……柚希のおとーさんケチだなぁ?」
「ね!」
父親の前で結託していいセリフじゃないと思いますよ、柚希くん。と内心呆れながらそっと父の顔を見て改めて挨拶する。
「色々とありがとうございました。 それじゃあ、元気で」
「もう合わない前提のように見えるな」
「そのつもりだけど……?」
内心『?』でいっぱいになりながら何を言っているか分からない父親に肯定を返すと、唇を三角にしてきた。いったい何が不満なのかと思いながら斜め下の息子をみると祖父の真似をしていた。
「幼い孫には祖父の1人や2人が必要だろう……別に縁を切って出て行った息子のことはどうでもいい。 しかし孫の年齢的に一人呼ぶわけには行かんからな、おまけでお前が必要なだけだ……だから暇があったら今度は泊まりに来い」
どこか上から目線な命令に苦笑いをしながら僕は後頭部を思わずポリポリとかく。それから柚希と目線を合わせて「柚希はおじいちゃんに会いたいか?」と聞くと「何を聞いてるの?おと~は?」と言いたげな視線で僕のことを見上げ「こんどはでんしゃのおもちゃみせるんだもん」と言ってきた。
あぁ、はい。分かりました……分かりましたとも。君が望むのならおとーは否定しないよ。 父も父で目をキラキラとさせているし今回は僕が折れるとしよう……若干、折れてばかりな人生な気がしなくもないがと遠い目になりながら息子の頭をわしゃわしゃと撫でる。それからそっと僕は「……いずれ、また」とつぶやいて扉に手をかける。
父に僕の声が聞こえたのか聞こえてないのかは分からないが、ぼくはそっと息子と手を繋ぎなおしてから外に出た。
【きっと僕はまた、いずれ実家に顔を出すだろう。 その時はあの日、里奈が渡せなかった期限切れのギフトカタログ、それを代わりに渡せるくらいには落ち着いているだろうか?】
……いつもより長くなった、その文面を何度か見つめてから僕は送信ボタンに指を伸ばした。




